第13話

 その日の夜、私はずっと考え事をしていた。

 子供たちに夕食を作って、そのあと寝かしつけている間も、私はあることを考えていた。


 母さんはだいぶ体調が良くなって、介護の程度は徐々に軽くなっていた。


 けど、ここ1週間はひどく大変だった。

 介護に、兄弟たちの世話。

 仕事は休んでいたけど、結局私が彼らを助けることになった。


 私はあらためて実感した。


 今の私は、やることが多すぎる。


 娘、姉、ヒーラー。


 全てを完璧にこなす。そう思って生きてきた。


 そのことに何の迷いもなかった。

 むしろ、頼られたりするのは好きだった。


 なのに、そのはずなのに、さっきから私の胸に何かが突っかかっていた。


 私は洗面所に向かって、ひとまず顔を洗うことにした。

 目を覚ましいたいわけじゃないけれど、何かスッキリする気がしたから。


 私は蛇口から水を出すと、それを手で組んで顔に打ちつける。

 冬の冷たい水が、頬に染みる。


 そしてタオルで顔を拭いて正面を向いた。


 洗面所には鏡がついているから、そこに映るのは当然私だ。


「いい顔、してるなぁ」


 私は自分自身で、自分のことを美人だと思っている。家族からはそう言われているし、村の人たちからもそう煽てられてきた。


 激動の1週間を過ごしたのに、私の肌は全くあれていない。疲労回復に、傷の治療も可能な私にとって、そういう悩みは無縁だ。


 けど、目の前にいつもと変わらない顔でいる私自身が、なぜか気色悪く思えた。


 頭はひどく痛むし、心も疲れている。

 なのに、平気な顔をしてそこに立っている。


 私は傷ついたとしても、体を治して無理やり動かすことが出来る。


 でも、ストレスや悩みなどは癒すことが出来ない。


 私は母さんが体調を崩した原因を思い出す。


 父さんの死だ。


 精神的なものによる体の不調、それを止めるすべは私は持っていない。


 そう考えると、少し恐怖を感じる。


 いずれ、私もそうなる日がくるんじゃないかと。


 兄弟たちはまだ小さい。長男はもう少しで自分のことは自分で出来るようになるだろう。それでも、まだまだ下の子たちはいる。


 母さんの様態は残念だけど、よくはならないと思う。だって、父さんが帰ってくるわけはないんだから。これからどんどんと年老いていくだろうから、また介護が必要になってくるかもしれない。


 そして、おそらくこれからずっと冒険者は続けると思う。一番私に合っている仕事だし。役割的には、攻撃と回復。2つ出来るんだから、求められるのは当然。


「はぁ、そういうことか……」


 今の自分の現状、そして未来の私を考え出した時、私は自分が何に悩んでいるのかが、少しだけ分かった。


 ようするに私は、求められすぎているのだ。


 本来ならば、それぞれ別の人間でやるはずのことを、全て私1人でこなしているのだ。


 私は目をつぶって思い返してみた。

 今まで自分がやってきたことを。


 すると、頭の奥から、似たような言葉が飛び交ってきた。

 何度も何度も、聞いてきたことだ。


「ゼマ、おねがいね」


 母さんの声だ。療養生活になってから、家事は私がやってきた。仕方ない、ことなんだ。


「ねぇちゃん、遊ぼうよ」


「おねぇちゃん、お腹減った」


「ねぇちゃん、一緒に寝ようよ」


「ねぇちゃん、おふろ」


「ゼマねぇちゃん、抱っこ」


「ねぇね、どこにもいかないで」


 兄弟たちの私を呼ぶ声が、脳内でひどくこだまする。そりゃあ、一番上の姉貴なんだから、こう頼られるのは当たり前だ。長女が、下の子たちの面倒を見るのは当然、なんだ。


 今度は、あの男たちの声が聞こえてくる。


「ゼマ、よろしく頼むぞ」


「ゼマ、わりぃ、治してくれ」


 私はパーティーにとって、大事な戦力であり回復手段。彼らのために動くのが、仕事……。


 それ以降も、様々な人の声が聞こえてくる。

 全部私を呼ぶ声だ。

 村の人たちの手伝いもたまにしていた。傷を癒すとかね。


 耳を防いでも聞こえてくるその声が、ひどく耳障りだった。ちょっと前までは、それを生きがいに感じていたのに。


 ああ、ダメだ。


 目をつぶっているはずなのに、めまいがしてきた。


 立っているのに平衡感覚がよく分かんなくなってきた。


「ゼマ」


「姉ちゃん」


 私を呼ぶ声は止まるどころか、徐々に増えていく。


 そっか、これだけ私は頼られてきたんだ。

 きっとこれからも、増えていくんだ。


 別にそれでもいい。


 それでもいいんだ。


 家族と一緒にいて、村の人にも頼りにされていて、友人たちと仕事をしている。


 今の生活に不満はない。


 それが私の人生な……。


 心の中で紡ぎ始めたその言葉を、私は中断した。


 私の人生?


 家族の支えになることが?


 仲間の支援をすることが?


 それって、本当に私の望んだこと?


 物語でいえば、私は主人公じゃない。


 誰かの支えになっている脇役だ。


 姉であることは抗えない運命。そして父が亡くなったことにより、冒険者になった。冒険者自体は楽しいけど、そこで稼いだお金は全部生活費などで消えていく。


 私はもしかすると、一度も自分のために生きたことなどなかったのかもしれない。


 そう思うと、不思議と心が解放された気がしてきた。


 だけど、頭に鳴り響く音は聞こえない。


 私を求める無数の声だ。


 そうだ。


 これはきっと、この生活を変えないかぎり、ずっと鳴り響くはずだ。


「ゼマ、おねぇちゃん?」


 その声はひどく鮮明に聞こえた。


 私は断ち切らなければいけない。

 瞬間的にそう思い、いつのまにか言葉を発していた。


「うるさい!」


 普段から子供たちや、レザスに向かって言うこともある言葉だ。


 けど気持ちの入りすぎたその声は、自分で聞いてもかなり濁ったものだった。


 すると、近くで「ガタっ」という音が聞こえてきた。

 これは私の頭の中でなった音ではないことは、感覚的に分かった。


 私は目を開けて、音のなる方へと顔を向ける。


「……っ!」


 私は絶句した。


 なんで、ここに。


「……ぐすっ」


 そこにいたのは、瞼の下に涙をため込んだ4男のフーだ。


 きっとトイレにでも行きたくて目が覚めたんだ。たまにある。

 それでここの電気がついていたから、様子を見に来たんだ。


 彼が何故泣く寸前なのかは、すぐに見当がついた。


 私がフーを怒鳴ったからだ。


 フーに向かって怒鳴りつけたわけじゃない。


 いや、待って。


 最後に聞こえた私を呼ぶ声に、少し違和感があった。


 もしかしてあれは、実際にフーが私を呼ぶ声だったんじゃ。


「ごめん、フー。おねえちゃんは大丈夫だから、布団に戻りな」


 私は急遽笑顔を取り繕って、フーを宥める。

 その効果があったのが、最終的に泣きだすことはなく、指で涙を拭い取りながら、リビングに戻っていった。


「はぁ、びっくりした」


 まさか、兄弟に聞かれていたなんて。


 大丈夫か。


 いや、全然大丈夫じゃないだろ。


 意図的ではないけど、あんなに怒りをぶつけたのは初めてだ。


 今後、私の中のストレスが肥大化すれば、きっとあんな風に人に当たってしまうのだろう。そんなの絶対に嫌だ。


 自分自身のことは、自分で守り切らないと。


 このままでは、いずれ私は私でいられなくなる。

 本当に、ただの都合のいい存在になってしまう。


「逃げなきゃ」


 私はもう一度鏡を見返し、そこにいる女に言い聞かせた。


 そこからの私は早かった。


 今まで家事や子育てに使っていた頭を、全て自分自身に注ぎ込んだ。


 私はすぐに、やるべきことを頭の中で整理すると、行動に移す。


 その夜は全く眠ることはなかった。


 だけど、なぜか頭はさえていて、気持ちは清々しかった。

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