第1話 蛟龍〜水の拳〜 第十六節

 篠山道場で那美と渡辺師範代の試合を見届けた彬は、その日の内にタクシーで大阪まで戻ると、安田会の事務所に単身乗り込んだ。


 突然の大男の侵入に驚きつつも怒鳴りながら止めようとする下っ端連中をコバンザメみたいにまとわり付かせながら彬はズンズンと奥に進み、会長室のドアをノック無しにバーンと押し開き、

「協会ビルの件、ネタは上がっとるで」

 とカマを掛けただけで周りの連中の驚き戸惑う表情が殺気を纏った物に変貌する。

 完全に黒である。

 中には刃物を抜き出す奴まで出て来た。


「暴行傷害、殺人未遂、銃刀法違反に麻薬取締法違反、おまけに人身売買に売春斡旋か、とんだ外道げどうやのぉ…みんな仲良く揃って『別荘行き』やど」

 別荘…つまり刑務所行きという事だが、これもブラフだ。と言ってもそれらのどれも証拠と裏付けをしっかり得ている。


「相手は一人や、いてまえ!!」

 会長の安田政明やすだまさあきが叫ぶ。

 それを待ってましたとばかりに彬がニヤリと笑うと後はてんやわんやの大喧嘩であった。


 一人づつ突っ込もうが複数人で飛びかかろうが、そのことごとくを彬は軽くいなし、あるいは迎え討ち、刃物を持った相手は、腕を掴み刃物を取り落とすまでブンブン振り回して壁に叩き付けた。

 またたく間に怪我人の山が出来上がり、壁も床も血塗ちまみれになった。まるでひぐまでも襲って来たかのような大惨事である。


 安田会の者が総掛かりでかかっては行ったものの、街中まちなかと言う事もあり、銃を使う事が出来なかった時点で勝負は決まっていた。

(もっとも、『水の練気』を使う彬には拳銃程度では全く歯が立たないのだが。)


 会長を含む事務所の全員を叩きのめした後、金庫を段ボール箱でもこじ開けるようにバキバキメキメキと破壊しつつあっさり開いた彬は、中から扶桑利光ふそうとしみつ氏の拇印が押された手書きの証文と、様々な外国語で書かれてありサインが入っている書類を取り出すと、書類にひとしきり目を通し、それらをクシャクシャと丸めてテーブルの上の灰皿に投げ込んで、


「今夜はちっと冷えるのぉ、焚き火にでも当たりたいんやが、マッチかライター持っとるか」

 と言いつつ、会長を睨み付ける。


 会長は渋々高価そうなライターを取り出すと、証文と書類に火を着けた。

 メラメラと燃え上がりまたたく間に灰になる手書きの証文と書類。

 その灰をテーブルに置いてあった葉巻でグシャグシャとかき混ぜ、他の灰と混ぜこぜにして満足した彬は、


「その素直さに免じてお巡りは呼ばんといたる。せやけど明日からは堅気の商売だけに精出して、二度とヤンチャすなよ」


 とドスを効かせて言い放つと、大笑いしながら帰って行った。


『……っちゅう訳や。それで安田会……いや、もう堅気の"安田さん"やな、と殺し屋の契約もになったさかい、安心してええど』


 彬の話を聞いた那美は絶句していた。

 師匠の腕前が凄い事は重々承知だったがまさかここまでとは……。


「そうでしたか、おかげさまでこれからは安心して生活して行けます、ありがとうございます、師匠」

 そう言って電話口で無意識に一礼する那美。


『ええてええて、そんな事より竜馬の見舞いに行ったってくれな』

 声色でちょっと照れてるのが伝わって来る。


「勿論です、あと、くだんの殺し屋なのですが、実は一戦交えまして……」


『おお、で?勝ったから電話しとるんやろうけど、そいつがどないしたんや』


「正体は私より歳は少し上らしい少女でして、殺し屋から足を洗いたい、と……そして母に説明する行き掛かり上、うちに留学生として来た事にしてしまったのですが……」


 恐縮しつつ那美がそう言うと、彬はガッハッハと大笑いし、


『よう考えたな、わかった、書類やら何やらは任せとけ、あと当面の生活資金も送るさかい、済まんが面倒見てやってくれるか?』

 なんとも頼もしく承諾してくれた。


 それを聞いた那美は安心し、

「お任せ下さい、どこに出しても恥ずかしくない立派な空手家に育て上げてみせます!!」

 と拳を握りしめて決意を伝えた。


『あぁ、別にそこまでせんでも……まぁええ、那美の思う通りにやったらええ。ほな、達者でなぁ〜』


 彬はそう言って電話を切った。


「ふぅ……」

 どうなる事かと心配していたが、万事上手く収まりそうで、まず一息ついた那美は、電話ボックスから出た。


 そして外で待っていたナディアに説明しようとしたが……そこには待っていた筈のナディアの姿は無かった。


 しくじった、と後悔すると同時にゾワッと寒気が背筋を走った。

 照真たちと母さんが……!!


 しかしその心配と恐怖は、聞こえてきたナディアの声で消え去った。


「ごめんヨー、千円札を使エル自販機を探シテたヨ……どうしたノ?」


 両手に烏龍茶の缶を持って戻って来たナディアの姿を見て、那美は安堵のため息をついた。


「ソウカ……安田会は壊滅カ……」

 農協の駐車場の車止めブロックに腰掛けて烏龍茶を飲みながら、彬との電話でのやり取りをナディアに伝える。


「師匠の言う事だから、にわかには信じ難くても事実の筈だ。つまりもう安心しても良いと言う事だ」

 那美のその言葉にナディアは、


「安心…コレデ私は自由の身にナレタのカ…?」

 と安心とも不安とも取れる複雑な表情で呟いた。


「この先、イグレヤとやらがどんな動きを見せるかは解らないが、情報も無い状態でこの田舎町まで手が及ぶまでは相当時間がかかるだろうから、当分は大丈夫だと思えば良い」


 那美はそう言うと立ち上がった。

 続けてナディアも立ち上がる。

 

 そして空き缶を缶入れに捨てて、

「とりあえず家に帰ろう。あまり遅くなると母さんが心配するからな」

 那美の家へ向けて再び二人は走り出した。


 家に帰り着いた那美とナディアは、風呂場に向かい、風呂の入り方を那美が指導した。

 入浴の要領も作法も日本と他国とでは違うだろうと考えての事だったが、やはり日本式の入浴方法は慣れていなかったようでその都度言葉と動作で説明する事になった。


 しかし、元から物覚えが良く(そうでないと生きていけなかったからではあるが)

 積極的な性格であったナディアは、那美が教える事を次々と身に付けて行った。


 ちなみにナディアが風呂から上がった後の着替えは静江が自分の新品の下着をプレゼントしてくれた。


 風呂から上がった二人は、まだ食べていなかった夕食を食べる事にした。

 冷凍グラタンを食べる事にしたのだが、幸い那美と静江の分だけでなく、入院している父の分も有ったので、それをナディアに食べてもらう事にする。


 ナディアは美味しさに感動して、

「美味シイ!!凄イ!!静江ママは料理の天才ネ!!」と絶賛した。


 それを聞いた静江は、

「あらあらそんなお上手ね、作り置きしていた甲斐があったわ」と、とても喜んでいるようだ。

 そんな母の様子に那美も思わず微笑んだ。かわいい。


 食事が終わり、ナディアを自分の部屋に連れて行った那美は、布団を二組用意して一方をナディアに使うように伝えると、文机に向かい何やら紙に書き付けだした。


「何ヲ書イテいるんダ?」

 とナディアが興味を持った様子で問う。


「ナディアの訓練メニューだ、明日から…いや、明後日からはこのメニュー通りに生活してもらう」

 そう返事する那美。


 明日からで無いのは、明日一杯を使ってある事をする為だった。


 那美自身が每日自主的に続けている修業のメニューは時間を遅らせる事になりそうだが、それでも構わない、と思った。

 今までよりこれから大切になる事の為の一日になる予定だからである。


 明日は…照真を街の散策に誘おう。

 それだけは誰にも邪魔はさせない。


 そう固く誓って、その日は眠る事にした。

 ナディアの訓練メニューはまだ完成していないが、明日の夜にでも考えればいい。


 そうして電気を消した後、那美もナディアも、互いを監視するように緊張した一夜になるかと思われたが、日野家での激しい立ち回りとその後のランニングが堪えたのか、更に入浴して夕食も食べたからか、二人ともぐっすりと眠ってしまった。




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