第1話 蛟龍〜水の拳〜 第十五節

 襲撃者の少女を肩に担いだ那美が家に戻って来ると、母屋の方に明かりが灯っていた。静江が帰って来ているようだ。


 さて、困った。


 この肩に担いで来た荷物をどう説明するか……同級生と言うには年上のように見えるし、友達と言うにも那美の交友関係に白人女性は居ない。となると……。


「おい、もう起きてるんだろう。拘束を解いてやるが逃げたり暴れたりするんじゃないぞ」

「……解ッタ」

 既に目を覚ましていた少女を肩から降ろした那美は、キッチンラップの拘束を手刀でザクザク切り裂いて解いた。


「凄い技ダナ……」

 改めて那美の技の切れ味を実感した少女は冷や汗をかきつつ、拘束で凝り固まった腕や肩を動かしてほぐす。

 そして那美が拘束する前に靴は履かせておいたので、裸足で地面を踏まずに済んだ事に安心する。


「それで……お前の名前は?まだ聞いて居なかったが」

 那美はその仕草を鋭い目で睨みながら決して油断せず、わざと闘気を発散しつつ少女に問う。


「Cardo……いや、本名カ、ナディア・シモーネだ。今の私ニハ意味を持たナイ名前だがナ」

 寂しげな表情でナディアが言う。


「だったら今から意味を持たせれば良い。ナディアと言ったな、お前は今からうちに空手の留学に来た留学生だ」

 那美が淡々と言う。


「リュウガクセイ……空手ノ……」

 言われたナディアは教会イグレヤに里子として連れて来られた時の事を思い出していた。


 ――――お前は今日からカルドだよ、教会の為に仕事を覚えてしっかり働けるよう、精進しな……


「それから出身だ、ベネズエラでも良いが、噂が広まってイグレヤとやらに知られると不味いだろう」

 改めて見るとナディアは綺麗な金髪の白人女性で、美女の部類に入っても良い顔立ちだった。


「そうダナ、私の産まレタ国はルーマニアだ、ソチラならイグレヤにも知ラれて居ナイ」


 ナディア・シモーネ……彼女はいわゆる『チャウシェスクの落とし子』であった。

 貧民窟の娼婦だった母の元で産まれたが、物心が付いた頃に母を病気で失い、元から父も兄弟も居なかった事からストリートチルドレンに身を落とし、とあるドイツ人の夫婦に拾われたのだ。

 その後、ドイツのボンに連れて行かれ育ったが、11歳になったある晩、その夫婦の親戚の男に身体を求められ、街へ逃げ出した。


 同じ年頃の子供たちより早熟で、体つきも大人に近くなってしまったナディアは、自分の身体が男に劣情を与えてしまうという事をそれで知ってしまった。

 それからは髪を短くし、少年だと思われる為にわざと身なりも汚くし、だぶついた服を拾って身に着けた。


 そうしてまた路上生活に戻り、汚れた身なりで街角に座っていた時に、イグレヤの一員に声を掛けられたのだった。

 その頃は誰にも心を閉ざしていて、自分の名もまともに発せず、ベネズエラに連れて行かれた後に世話好きの寮母に名を付けられて、段々と口数も増えていくようになったのである。

 それからの生活や、イグレヤでの訓練の中でも生まれや素性は明かさず、ドイツのストリートチルドレンの出だと皆は認識していた。


「そうか、色々あったようだが却って都合が良かったな、じゃあナディア、あの家の戸をくぐったら『別人になった気で』、なるべく明るく振る舞うようにするんだ」

「ワカッタ」

 そうして、那美はナディアを御槌家の客人として迎え入れる事にしたのだった。


「ただいま、ちょっと予定が変わってお客さんを連れて来たよ」

 那美は玄関をくぐると、家の中に向かってそう呼び掛けた。

 すると居間の方から足音が聞こえ、静江が姿を見せた

「おかえり、那美。今日はお泊りだって置き手紙に……あら、外人さん。ようこそいらっしゃいませ」

 那美が手刀で切り裂いてしまった服も、ポンチョで上手く隠して見れるような格好にしておいたので、静江に不審がられる様子は無かった。


「こちらはナディア・シモーネさん、師匠……あきら叔父さんの知り合いで、ルーマニアからうちの道場で空手を学ぶ為に留学して来たんだ」

 ナディアを紹介する那美。


 するとナディアは

「オーウ、アナタの家の匂いニッポンの匂い、コレ花カツオの匂いネ」

 と、奇妙なイントネーションで言った。


「あら、ナディアさん花かつおを知ってらっしゃるのね!!」

 ちょっと緊張気味だった静江の顔が明るくほころんだ。


「ナディア・シモーネ言いマス、よろしくドウモですネ」

 ナディアはそう自己紹介して、にっこりと微笑んだ。


『なるべく明るく、とは言ったけど、そんなキャラで行くんだ…』

 那美は初めて見るナディアの意外と明るく美しい笑顔を見て、大丈夫かな……と一瞬不安になったが、母さんが嬉しそうなら良いか……と思い直した。


 問題は師匠とどう口裏を合わせるかだ。電話して母に聞かれると不味いし、かと言ってナディアを残して母と二人きりにさせたまま、あざの中の公衆電話まで行くのも不安がある、となると……。


「ナディア、うちに着いたばかりで悪いけど、今からランニングに行くから付いて来るように」

 振り返りながら明るい声で言う那美、だがその顔は鋭く険しい。


 その那美の表情を見たナディアは、笑顔を崩さないまま察したように、

「わかりマシタ、カラテの修行ですネ、頑張りマス!!」

 と、元気に応えた。


「あらあら、今からランニング?お風呂のお湯は落とさないで待ってるから、気を付けて行ってらっしゃい」

 静江が二人を見送る。


 そうして那美とナディアは、元来た道を戻り、町の農協の電話ボックスまでの間のランニングに励む事になった。


「あんな感ジデ良カッタか?」

 車一台、人っ子一人通らない道を二人一緒に並走しながら真顔になったナディアが言う。


「良いと思うが……そのうちボロが出てしまわないようにだけは注意してくれ」

 淡々と応える那美、まだ信用し切って良いような段階では無いから無理も無かった。


「ところでナディア、どこで日本語を習ったんだ?」

 先程日野家で尋問をした時から聞きたかった疑問を訊ねる。

教会イグレヤの語学教室ダ。大阪に来ル前に学んだ。変カ?」

 さらりと答えるナディア。なかなかに素直な性格らしい。


「いや……それだけ話せるなら充分だろう」

 後は師匠と口裏を合わせる前に母が連絡を取ったりしていないかだ……もし先に電話をされていたら全てが台無しだ。


 そうして二人でぽつりぽつりと会話を交わしつつ、ランニングを続ける内にあざの集落が見えて来た。

「照真の家の窓ガラス、弁償しないとな……」

 先程のナディアの襲撃の時に割られた掃き出し窓の窓ガラスの事だ。あれだけ大きなガラスだから相当な金額だろう。

「アノ窓か……済マナイ事をシタ」

 ナディアも反省してるようだ。


「いつもあんな無茶な襲撃をしているのか?」

 那美が尋ねる。

「イヤ、いつもナラバAlvo……ターゲットに最初ニ接触シタ時ニ仕留めてイル」

 以前のナディアはなかなかの腕前の殺し屋だったようだ。


「それを失敗したから計画ややり方が今までとは違ってしまったと?」

 想像だが恐らくはそんな所だろう、と那美は思った。


「ソウダ。しかも2日に渡ッテ2度の失敗ダ。私は処刑人失格ダナ……」

 悲しそうにナディアが言う。


「そうだな、だがそのおかげで新しい人生を始められるんだから良かったと思えば良いだろう」


 自分でも何故彼女を慰めるようなそんな言葉が出て来たのか解らないが、那美の口をついて出て来た言葉はナディアの心に深く刻まれた。


 そうこうしている内に日野家の前を通り過ぎた。

「彼女……テルマにもちゃんと謝ラナイといけないナ……ナミ、テルマも空手を学ンデるのか?」

 ナディアが聞く。


「いや、照真はクラスメイトで友達だが、実は昨日知り合えたばかりなんだ」

 素直に答える那美。


「友達カ……良い物ダナ、友達ッテ。私ガ言ウのもオカシイだろうガ、テルマは良い子ダナ、大切にシテあげてクレ」

 ナディア自身、自分のその言葉には驚いていた。だが、その時は本当にそう思ったのだった。


「ああ、そうだな……そうだよな……」


 あの時、日野家を去ろうとした時に、自分を原因としたあまりの不始末に逃げ出してしまった時にでも、照真は本気で心配してくれていた。


 その事に対しての感謝と、厄介事に巻き込んでしまった事への謝罪をしないと照真が可哀想だし、自分で自分を許せなくなる。


 それに、ナディアと今こうして話が出来ているのも照真が居て、ナディアを許そうと言ってくれたからだ。


 もし別の場所で那美一人だけでナディアと対峙していたら、酷い手傷を負わせていたか、手加減する余裕も無く殺してしまっていたかも知れない。

 改めてそう考えると寒気がして来た。


 父に繰り返し教え込まれて来た、"水の拳"の使い方を誤るな、という教訓も裏切ってしまう事になったかも知れないのだ。

 隣を走るナディアを見ていると、そんな運命にならなくて良かった、と改めて思う那美だった。


「どうしたンダ?ナミ」

 不思議そうな顔で見て来るナディア。その顔は、同性である那美から見ても魅力的な美人だ。

「ん……、いや、もうすぐ農協に着く。そしたら師匠に電話を掛けてナディアの事も説明する。」

 那美の言葉に真剣な表情で頷くナディア。


 そう言っている間に農協に着いた。

 那美は電話ボックスに入りながら、ナディアに

「電話を掛けるからそこで待っててくれ」

 と言った。

「解ッタ。待っテル」


 受話器を持ち、テレホンカードを差し込み師匠……彬の家の電話番号を押す。

 独り身の彬は出掛けている事も多いが、この時間ならば家に居るかも知れない。というか居てくれないと困る。祈るような気持ちで呼び出し音を待つ。


 トゥルルルル……トゥルルルル……トゥルルルル……ガチャッ!!


『はい、御槌です、どちらさんで?』

 掛かった!!彬の独特な関西弁が聞こえて来て安堵する那美。


「那美です、夜分遅くに申し訳ありません、父を狙った犯人についての事なんですが……」

 師匠相手に隠し事や遠回しな言い方は無駄だ。

 全てを洗いざらい話してしまおう。


 そう那美は考え、次の言葉を継ごうとしたが、彬から返って来たのは以外な言葉だった。


『ああ、安田会の殺し屋か、それなら心配いらんで、ワシが安田会ぶっ潰して来たからな』


 え?

 ええ〜〜~~~~~~~~っ!!??








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