第1話 蛟龍〜水の拳〜 第四節

 不良たちが逃げ去り、その姿が見えなくなった頃には、辺りはもう薄暗い夕闇に包まれていた。


「じゃあ、帰ろうか。日野さん、家まで送るよ」

「そ、そうだね」


 先程の荒事の後、たとえ家まで大した距離は無いにしても、那美の申し出は照真にとっては有り難かった。

 二人並んで集落内の道を歩き始める。


 それにしてもこんなに小さな女の子が、あんな凶暴な不良たちや大男も一ひねりにしてしまうなんて……気分が落ち着いて来て改めて驚かされる。

 照真はそう思いつつ、那美の方をふと見ると、那美の左頬に血が付いているのに気づいた。


「御槌さん!血が……!!」

「那美で良いよ……ん、これか」


 那美が頬に付いている血痕に手をやる。


「相手の鼻血だな、ナイフなんか出して来たから手加減を誤った」


 不良の一人がバタフライナイフを取り出し、カチャカチャと回転させて刃を出そうとした瞬間、その手首と鼻に那美は二段横蹴りを放ったのだ。

 不良はバタフライナイフを取り落とし、鼻血を撒き散らして吹っ飛ばされた。


 その時付いた返り血だったのだが、倒してすぐさま他の不良に向かった為、そのままだったのだ。


 那美はその血を無造作に袖で拭い取ろうとする。


「駄目っ!!」


 照真は、制服の袖で血痕を拭おうとする那美の右手を掴んで止めると、あっ……御槌さんの手首ってこんなに細いんだ……なんて意外に思いながら、上着のポケットからポケットティッシュを取り出し、そこから2枚引き抜いて那美の頬を拭った。


「ん、ありがとう日野さん」

 意外に柔らかいその頬っぺをムニムニとおとなしく拭かれている那美を見て、何だか可愛らしいな……等と思いつつ、


「服に血が付いたら染みになっちゃうから……それから、私も照真で良いよ……えっと……な、那美ちゃん」


 ちょっと照れ臭かったが、照真は那美の事をそう呼んだ。


「わかった、照真、ありがとう」


 頬を拭われ終えた那美は、ぺこりと丁寧に一礼をする。


「そっ、そんなお辞儀だなんて、私の方こそ不良に絡まれてる所を助けて貰って…」

 素直で律儀な那美に赤面してドギマギする照真なのだった。


「(うぎぎ……)」

 そんなラブラブ仲良しな那美と照真を離れた塀の影からハンカチの端を咥えながら睨み付ける一人の女子の人影があった。

 だが、今は特に出番でも無いので、ただあるだけであった。


「それにしても、本当に強いんだね、那美ちゃん」

「子供の頃から厳しい修業を積んできたから……その成果だよ」


 照真の言葉に特に照れる事も謙遜けんそんする事も無く那美は淡々と答える。

 だとしたって修業を積んだだけで人間が、それもこんなに小さい女の子が素手で鉄の鎖を叩き切ったり出来る物なんだろうか……?

 照真はそう疑問に思い、あの時に見た青白い光の事も聞こうか、と思い浮かんだのだが、


「着いた〜……ここが私の家」

 家に着いたので聞こうとしたのを忘れてしまった。


「綺麗な家だな……新築かな」

「うん、良かったら上がっていく?」


 照真は那美に助けて貰ったお礼にお茶でも出させて貰おうかと思ったが、


「招待はありがたいんだが、道場の方で門下生たちの稽古を見てやらないといけないので、今日は帰らせて頂くよ」


 ごめん、とペコリと礼をする那美、やっぱり礼儀正しく律儀でかわいい。


「そっか、じゃまた今度にでも……今日は本当にありがとうね」

 照真もそう応えて、背を向けて去っていく那美に手を振って見送った。


 どうやら彼女の帰り道は高校から照真の家の前の道のまだ先みたいだった。

 空手道場を開いているような大きな家は近所には見た覚えが無いのでかなり遠いのかも知れない。

 そんな遠い道程みちのりを那美は歩いて通っているのだ、通学自体も修業の一つなんだろうか。


 だが、通学路が同じという事は明日からもしかすると一緒に学校まで通えるかもしれない、そう考えると何だか嬉しく思えて来て、


「ただいまー!」

 と、照真は元気に玄関のドアを開けた。


 今日は気分が浮き沈みするような事や驚かされた事も沢山で、那美ちゃんに聞きたい事も沢山ある、でもそれはまた明日で良いや、そう考えた照真は今日の出来事は後で考える事にして、ドアを閉めた。


 辺りはもうすっかり暗くなっており、空には満天の星が瞬いていた。

 季節は5月終盤ではあったが海抜的には高めの土地に位置する篠山町は、夜になるとやや肌寒く感じるような気温であった。


「照真〜〜、今夜はクリームシチューよ〜」


 照真の母、麻子の声がキッチンの方から聞こえて来る。リビングには父である史郎がソファーに腰掛けて新聞を読んでいる姿があった。


「は〜い」

 母の声に返事をした照真は、洗面所に向かうと手を洗い、自室に鞄と上着を置いて来てからリビングへ向かうと、テーブルの上に置いてあるテレビのリモコンを拾い上げて操作した。


 テレビのチャンネルはサンテレビの夕方のニュースを映していたが、父は特に見ていた訳では無く、ただ点けていただけの様子で、新聞に目を通していて照真がチャンネルを変えるのを気にしていないようだ。


 照真もチャンネルはあれこれ変えたはみたものの、大して面白そうな番組も無いようだったので結局サンテレビにチャンネルを戻す。


 リモコンをテーブルに置き、ソファーに座った照真は、父に尋ねた。


「ねぇ、父さん」

「ん?」

 史郎は新聞に向けてた顔を娘に向ける。


「御槌さん、って聞いた事ある?」

 そう聞いて来た娘に史郎は思い出そうと悩む様子も見せず、


「あぁ、街の南の空手道場の御槌さんの事か、確か照真と同い年の娘さんが居るっていう」

 すぐにそう答えた。


「それで、その御槌さんがどうかしたのかい?」

 どうやら父は先程の那美と不良たちの喧嘩は知らないようだ、とはいえ狭い町だからいずれ父と母の耳には入るではあろうが……


「今日学校の図書室の近くで会って、同じクラスなんだけど話した事が無かったから、どんな人なのかなー、なんて思って」

 嘘は言ってない。

 だが、自分がその後不良に絡まれて、助けに入ってくれた那美がその不良たちと大立ち回りを演じた事は言わないでおいた方が良さそうだ。


「その御槌さん家の娘さんは照真のクラスメイトなんだろう?せっかくだから話しかけてみて仲良くさせてもらったらどうだい?機会があれば家に遊びに来てもらってもいいし」


 と優しい笑顔で語りかけた父の言葉に、照真は笑顔をほころばせ、


「うん、そうしてみる!!」

 と元気に応えた。


「あらあら、楽しそうに何の話かしら〜?」

 キッチンからダイニングのテーブルにクリームシチューの入った鍋を持って来た麻子が尋ねてくる。


 その言葉を聞いた父娘はダイニングに移動し、椅子に座って先ほどの話を麻子にも話した。


「そうなの、その子ってどんな子なのかしら、今度ウチに連れてきたらどう〜?」


 母も好意的だ。

 というかこの人は人を嫌うという事があるのかと娘である照真が思う程純真でいつも朗らかだ。

 その分、泣くとなかなか泣き止まなくて困るのだが。

 それに可愛らしい物が好きだから那美を見たら大喜びするに違いない、いや、する。


 母に目一杯抱きしめられて頭をナデナデされて困る那美の姿が脳裏に浮かんだ。かわいい。


 いや、きっとそうなるんだろうな〜、と晩ごはんのいただきますをして、温かいクリームシチューを食べながら照真はそう思った。










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