第18話 ズミとリザ

 とどのつまり、私は復讐をして何を得たのだろうか。


 考えてみてもわからない。


 失ったものの数は数えきれないほどもあるのに、何を得たのかと言われればさっぱりだ。


 きっと、いや間違いなく正しく生きるために、この行いは不必要だった。そんなこと、神様に尋ねなくたってわかってしまう。


 きっと私に望まれていたのは、あのまま滅びゆく国の中で、お飾りの聖女として生き続けることだった。あるいは心のない人形のようになって死んでいくはずだった、でも私はそれに応えることが出来なくて。


 望まれたことを、望まれたようにはできなかった。


 たくさんの人の期待を裏切って、数多の誰かの思惑を台無しにして。


 だけど、そう思うからと言って、あの時、全てを押し殺して聖女を演じ続ける道があったのかと尋ねられたら。


 正直、どうだろうと首を傾げてしまう。


 そりゃあ、紙の上のインクのように、もしもの話を書き連ねていくことはできるけれど。あの時の私の心がそれを許したかと言われたら間違いなく、「ない」とだけは答えれる。


 私はあの男を、兄さまの命を奪った男を、ルドウィックと呼ばれたあの英雄を、許せなかった。


 どれだけ神が慈悲を謳っても、どれだけ司祭が救済を説いたとしても、私の心はそれに納得しなかった。


 この想いを抱いた時点で、多分、私は聖女として失格だったんだろうなあ。


 まあ、昔から乳母や教育係には聖女らしくないと何度平手で打たれたかわからないし。


 今更になって化けの皮が剥がれただけなのかもしれないね。なにせ元はスラムの出だし、王城の生まれでもない。この髪と眼をもって生まれたから迷い込んだだけで、もしかしたら、今の私はあるべき場所に帰ってきただけなのかもしれない。


 ただ、私がどんな身の上だとしても、復讐なんて気持ちは間違いだ。


 それはわかる。誰に語られるでもなく、そんなこと、この手で奴の命を止める、ずっとずっと前に解かってた。


 それでも私は、進まざるおえなかった。その道が過ちだと、その道が誰の幸福をも生み出さないと、わかっていても、それでも尚。


 そうしないと、私は生きていけなかった。


 そうしないと苦しくて、とてもじゃないけど幸せになることなんてできなかった。


 だから、まあ、なんというか。仕方がなかったんだと、今はそう想う。


 数多の人に迷惑をかけて、夥しいほどの期待と事情をかなぐり捨てて。


 ついにはついに、誰かの命さえこの手で奪って。


 それでも仕方がなかったのだと。


 なんとなく想ってしまうのは、間違いだろうか。


 くだらない自己正当化だろうか。そう言われたら、返す言葉もないのだけど。実際、どうなんだろう。


 朝焼けがそろそそろやってくる、暗がりの中、あなたに尋ねてみたら。


 「そもそも湧いてきた感情に間違いとかあるのか?」


 と不思議そうに首を傾げられた。その返答に私は思わず笑ってしまう。人が今生をなげうつほどの間違いを犯した話をしてるというのに、まったくもう元も子もないなあ。


 「仮に間違えだったとこで、間違えを一つもしなかった奴なんて俺は見たことが無い。この街の奴らなんて、毎日生きてくために間違いだらけだ。そうだろう? 剣なんて打つ必要がどこにある。人を殺す必要なんてどこにある。そんなことをしなくても人間は、生きていけたはずだろう?」


 「でもそうはならなかったじゃない」


 「ああ、だから間違いがどうとか、意味があるのかよって話をしてんだ」


 そう言って、あなたは答えになっているのかなっていのか、よくわからない返答をしてきた。私はくすくす笑うばかり。


 朝焼けがまだ見えない、そんな頃。


 乾燥の激しい地域だからなびく風が随分と冷たい、そんな頃。


 待っていると背嚢を二つ背負った老人が、路地脇からよっこいせと顔を出した。後ろには馬を一頭連れてきている。


 「はて、リザ様。お待たせしてしまいましたかな?」


 そういって、老人は私達ににっこりと笑いかけた。私の隣に立つズミを見て、どこか微笑ましそうな顔をしているのを隠しながら。


 「ううん、そんなに」


 だから、笑顔で私もそう返すのだけど、隣のズミはどこか不満そう。


 「もうちっと急げよ。追っ手は、今日にもこの街に来るんだろ?」


 そうやってぶっきらぼうな言葉を投げつける。……育ての親との今生の別れかもしれないのに。そんなに剣呑に言わなくてもいいでしょうに。


 ただそう想っていると、老人はにやっとどこか楽しそうに頬を釣り上げる。まるでそういうやり取りを待っていたとでもいう様に。


 「そうだな。だが追っつかれそうになってるのは、お前がぐだぐだ意思を決め損ねてたからじゃねえか」


 「………………うるせえなあ。あんなこと、急に言われて決められるかよ」


 「判断が遅い。重要な案件程、的確に、かつ素早く決めろ……って教えたろ? 丸一日もうだうだ悩んでんじゃねえよ」


 「はあ? そもそもお前が仕事前に全部話しときゃ、もっと整理もつけれてたんだろうが」


 憎まれ口の応酬に思わず苦笑いが浮かんでしまう。そのまま見守っててもいいけれど、時間もあるし、ちょっと見てられないから口を挟むことにした。


 「あはは……まあ、そこは私のせいでもあるし。ところでおじさま、背負ってるそれは何?」


 少し無理矢理だったかなと思わなくもないけれど、二人は少しバツの悪そうな顔をしてやり取りを止めにした。そして老人は背嚢をこっちに向けて差し出してくる。


 「これはまあ、うちの愚息を預かってもらう餞別みたいなもんです。旅に必要な物、隣国の伝手を辿るために役立つものも少し入れています。できたら、役に立ててください」


 そう言って渡してくれた老人の心遣いを、私はありがたく胸に抱いた。少しばかり重いけど、その重さが心地いい。


 「で、お前にはこれだ」


 「………………なんだよ」


 その後には老人はそう言って、ズミには革袋を一つ渡した。


 随分と重そうで、中からはジャラという、鉄のこすれ合う音がする。


 ズミはしばらく首を傾げてカバンを見ていたが、しばらくして中に手を突っ込んで、入っていた物を一本握って出した。


 それは細身の小剣だった、ズミがいつも握っていたものによく似ている。


 「お前のお気に入りのいつもの店だ。少年に作らせた、しめて十五本。旅に持ってけるギリギリだろ。大事に使え、いつもみたいにほいほい使い潰すんじゃねえぞ」


 ズミはしばらく何とも言えない顔をした後、握っていた一本を懐にしまった。


 「わかった」


 と、返事はしたけれどどこかさっきよりは落ち着いた声だった。そんな彼の声に、私も少し微笑んでしまう。


 「どこか腰を落ち着けたら、手紙飛ばせ。少しずつなら剣の工面はしてやれる。駄目そうなら向こうで鍛冶屋を見つけるかなんとかしろ」


 「ああ」


 老人は何も気づかないふりをしながら、これからの話を続ける。


 「間違っても荒事の仕事なんか始めるなよ。お前の仕事はあくまでリザ様の護衛だ。普通に働いて普通に暮らせ、そんでやばいやつらが来たら追っ払え、そんで逃げろ」


 「大丈夫だ。わかってる」


 老人はどことなくズミの顔に視線を合わさないままに、やれやれと言った感じに言葉を紡いでいる。


 ズミは少し視線を落としたまま、さっきよりまた幾分落ち着いた声で返事をしている。


 「先は見えないだろうが、人間いつまでも復讐になんぞ拘ってられねえからな。いつか必ず穏やかに生きれるようになる。それまで逃げろ。逃げて逃げて逃げ続けろ。必ず、必ずいつかその時はやってくる」


 「………………わかってる」


 零れた声が少しだけ震えたのには、誰も気づかないふりをした。


 「そんでまあ、俺が死ぬくらいの年になって、なんもかんも忘れられたころに帰ってこい。花なんぞいらねえから酒瓶の一つでも持って帰ってこい。知り合いはいるな? いつもの酒場に、いつもの鍛冶屋の子達、そういやお前娼婦は買ってなかったな? じゃあ、あれだパン屋の奴らとか、まあ誰かしらはいるだろう」


 「…………ああ」


 老人はズミの肩をバンと思いっきりよく叩いた。きっといつものように、きっと何度もそうしてきたように。


 「しみったれた顔すんな、俺まで辛気臭くなる。心配すんなって、お前みたいな路傍の石ころ、追っ手の奴らはみんなすぐ忘れちまうよ。誰も彼もが次の仕事で頭一杯だ。お前だってそうだったろ。ったく聞いてんのか?」


 「…………聞いてるよ」


 か細く震えた言葉に老人は、少しバツが悪そうにそっと目を逸らした。


 「…………ったく」


 そう言ってため息をつく老人は、少ししてどこか穏やかな笑みを浮かべた。


 そんな彼に、ズミは少しだけ顔を上げてその眼を見つめた。


 多分、その時、初めて二人の眼があったんじゃないだろうか。


 「なあ」


 「なんだ?」


 「今更だけど、聞いていいか?」


 「おお、なんだよ。改まって」



 ズミは静かに落ち着いた声で、でもはっきりと口を動かした。



 「なんで俺を殺さなかった?」



 「あの日、スラムの坂で俺をお前が見つけた時」



 「あんたは知ってたんだろ?」



 「あんたの息子を―――聖剣の英雄を、街のみんなに愛されてたあの人を―――殺したのは俺だって」



 「あんた、知ってたんだろ?」



 「だから衛兵から俺を隠した」



 「そんでそっからずっと生かし続けた」



 「なあ、あの時」



 「なんで俺を殺さなかったんだ?」



 「復讐---したくなかったのか?」



 声は少しだけ震えていた。でも彼はまっすぐと老人を、自分を今日まで育て続けた養父の眼を見つめていた。



 ただ、そう尋ねたズミの声はどこか遠くて、冷たくて、悲しくて。



 ああ、この人はそうやって、今日に至るまでずっとずっと、自分自身を疑い続けてきたのかと。



 『本当に自分が生きていいのか』をずっと信じ切れないままに、ずっとずっと生きてきたのだと。



 そんな想いがよくわかってしまう声だった。



 その疑問に私は答えを授けてあげることができっこない。



 それが辛くて、少しだけ目を伏せた。



 私は結局、復讐に取り憑かれた人間で、どうすれば許されるのかなんて、どうしたって答えてあげれなくて。



 どうしたら、私達は生きていていいと想えたんだろう。



 一体、どうしていたら――――。








 「やっぱり、馬鹿だなあ。



 老人はそう言った。いつもの調子でなんてことはない風に。



 「あんなあ、俺がいつお前らに『正しく生きろ』なんて教えたんだ?」




 「誰しもに愛されて生きる? 世間に名を売る? 戦争で活躍する? そんなこと、お前らに俺は一言だって望んだか?」




 「俺がお前に、口酸っぱくなんて教えたかもう忘れたのか? って言ったんだよ」




 「お前はあの時、『生き残る』ために自分を殺そうとする餓鬼どもを殺そうとしたんだろ? 上等じゃねえか、まあいささか狙いがよすぎて、あのバカ聖剣の英雄じゃ避けきれなかったんだろうがな」




 「上等じゃねえか。褒めこそすれ、それで俺がお前を恨む理由にはならねえなあ」




 「勘違いしてるようだから教えといてやる。お前が今までやってきた仕事---復讐っていうのはな、誰もかれもが今を生きるためにやってたんだよ」




 「大事な物をなくして、生きるための心の支えを失くしちまった人間は、それに縋らんと生きていけなくなっちまうんだ。どうしようもなく大切だったからこそ、それを失ったら生きていけなくなっちまう。だから、忘れないように行き場のなくなっちまった想いを、そうやって確認するために、復讐っていうのはあるんだよ。後ろ向きに見えるだろうがな、それはそれで立派に生きる行為だよ」





 「そんでなんだ、復讐をしたいと想わなかったか、だと?」





 「ああ、想ったさ。でもな相手はお前じゃない。あの時、うちのバカ息子を追い込んでいたどこぞの貴族やら、この街を腐らせていたくだらない大人やら、俺が憎かったのはそういうもんだ」




 「その復讐も、もう随分も前に終わったしな。お前が気にすることじゃねえよ」





 老人は少しだけ照れたような顔をして笑っていた。目の前で子どものように涙を流す自分の息子を見つめながら。





 「なんだ、そんなことずっと気にしてたのか? ったく、もっと早く言えばいいじゃねえか。っはっはっはっは…………」





 「言えるか……バカ」





 そうやって返す息子の言葉に微笑みを浮かべたまま。




 「俺はもうなあ、飽きたんだ! 自分より早く死んでいくバカ息子どもの顔を見ることにな!」



 老人は豪快に、快活に笑っていた。



 「名声なんぞいらねえよ。地位も権力も金も、そりゃあ一時期は溺れたが、管理するのも面倒だし、貴族の社交も鬱陶しいったらありゃしない」




 「いらねえ、いらねえ、そんなの何もいらねえんだ! そうなったら、親がガキに求めることなんて、一つしかありゃしねえだろ!」




 「『俺より長く生きることだ』!!」




 「どいつもこいつも、要らねえって言ってんのに功を急いで、名前を売って、成果を上げて、やれ褒めろだ、やれ認めろだと言ってきやがる。俺の気持ちなんてちっとも知らねえで。それが親孝行だとでもいいたげな顔で、自分の名前の載った新聞を持ってきやがる!」




 「要らねえよ! そんなもん、どうせ次に名前が載るのは死んだ時だ、英雄なんぞなったらなるだけ寿命が縮んでくじゃねえか! 最後には死に目ばっかり見せてきやがる! そんなもんはな、もううんざりだ!」




 「俺はお前らが生きているだけでよかったんだ!」




 「そこらへんに落ちてる石ころみたいに、別に誰に認められやしなくてもいい、大層な名前なんぞついていなくても構やしねえ!」




 「そこにいて、ちゃんと生きてりゃ、俺にとってはそれでよかった!」




 「そういう意味じゃ、お前は俺のバカ息子たちのなかでも飛びぬけて出来がいい。なんせなんだかんだ、最後にはびびって逃げ帰ってくるからな。あ? 貶してんじゃねえよ、褒めてんだ。心の底からな」




 「別にいいじゃねえか、泥啜って、ぶるぶる震えて、みっともなくても。さっさと死んじまうよりは、それがいいさ」




 「お前はどう想っていたか知らんがな、俺にとってお前は一番出来のいい息子だったよ。なにせ、今の今までこうしてしぶとく生きてきた」




 「生きていいか? 知らねえよ。神様に許されるか? 多分許されねえんじゃねえかな、多分この街に生まれた時点でな。顔も知らない誰かに許されるか? そんなもんいちいち気になんてしてられねえだろ」




 「だからほら、みっともなくどこかへ逃げちまえ」




 「お前はどこにでもいる鼠だ。お前はどこにだって転がってる石ころだ」




 「どこにいたって誰も構やしないさ。どこにいたって誰も気にも留めねえさ。だからどこへでも行って、石ころなりに生き残って幸せになっちまえ。そうすりゃあ、どんな英雄より、お前が一番の勝ち組だ」




 「俺はそれだけで満足だ」




 「俺はそれだけでよかったんだよ」




 「わかったか? バカ息子」




 「俺がお前に望むことはそれだけだ」




 「そうら時間だ夜も明ける。早くいけ」





 「じゃあ、元気でやれよ」





















 ※



 夜明けの街を二人で一匹の馬に乗って駆けていく。



 いつかと同じ、私達を追ってくる何かから逃げる様に、どこまでも遠ざかっていくように。



 私の復讐はここで終わり。



 ズミの懺悔もきっとここで終わったんだ。



 何もかもを終わりにして、それでも私たちは馬を駆って進んでいく。



 その先に何があるのだろう。いつか誰かが私達に追いついて来てしまうのだろうか。



 わからない。わからないままに馬を走らせた。



 どこへでもいけばいい。



 どこまでも逃げしまえばいい。



 何もかもが終わって、何もかもから逃げ出して。



 それでもまだこの命は尽きていない。



 きっとこの旅は輝かしい始まりの旅でも、美しい終わりの旅でもないけれど。



 それでもまだ続く旅だ。



 どこへ行こう、どこまでなら行けるのだろう。



 私達の命はどこまでなら続いていくのだろう。



 「どこへ向かうの?」



 とあなたに尋ねた。



 「西へ行く」



 とあなたは短く答えた。



 濡れた頬を抱えたまま、その雫が私の頬に落ちてくるのが少しだけくすぐったい。



 「西かあ、どんなところかな」



 そうやってあなたに尋ねたら。



 「さあな、話が本当なら、川に綺麗な水が流れて、森に果実がなっていて。牛とか羊を飼って暮らしてるらしい」



 あなたはぶっきらぼうな声で、そう返した。泣きながらなのに、顔は無表情のまんまなのがちょっと面白い。



 「凄いじゃない、そこでなら人殺しなんてしなくても生きていけたりするんじゃない?」



 後ろを振り返って、あなたにそう言って笑いかけた。



 あなたは少し困ったような顔をして笑ってた。



 「そんなとこ、ちゃんとたどり着けんのかねえ」



 だから私はこういった。



 根拠なんてないままに。



 「行けるよ。きっと、大丈夫」



 私達の旅がこれからどうなるかはわからない。



 どこかで追手に捕まって終わりかもしれないし。



 旅の途中で事故にあってしまうかもしれない。



 運命なんてものはこの世にありもしないから。



 この旅路がどうなるかなんて、きっと神様にだってわからない。



 わからないままに進みましょう。



 もう全部が終わってしまった、この命だけど。



 まだ失われていないから。



 灯が潰えるその時までは進みましょう。



 走れるところまで走りましょう。



 誰も追ってこない所まで、私達の命が届くその場所まで。



 きっと、ずっと、どこまでも。

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