第17話 少年と少女

 一体、いくつ俺のせいで命が無駄になったのだろう。


 一体、いくつ俺の手で誰かの大切が台無しになったのだろう。


 一体、どれだけの時間が俺のせいで、崩れていったのだろうか。


 俺が殺してきた大概の奴らは相応に積み重ねた実績があって、年月をかけて磨き上げた技があって、人と酌み交わし続けた信頼があって、たくさんの想いがきっとそこにあったのだろう。


 それを全部、俺が明日食べるパンのため、水のため、肉のため、時たま買う安い煙草のために奪ってきた。何もかもをそうやって、台無しにしてきたんだ。


 こんな仕事は嫌いだった。どれだけ何かを台無しにしても、俺は綺麗な宝石になんてなれやしない。


 どこまで行っても、俺は結局ただの路傍の石にすぎないじゃあないか。


 積み重ねた何かを台無しにすることしか出来ない。


 そんな自分が嫌いだった。


 でもそれでいいとも想ってた。


 殺し屋という仕事自体は皮肉なほどに上手くいった。これがきっと天職だったのだ。凡人のやれる範疇の仕事しかしてないが、まあ俺くらい手が汚れてないとなかなかやれない。


 名前が売れても、所詮は張りぼて。その半分以上は見知らぬ誰かのおこぼれで、『英雄殺し』とかいう奴は構成されている。


 まあ、俺は結局その程度の人間だ。張りぼての英雄もどきくらいが、ちょうどいい。


 名前が売れたら俺のことを狙ってくる奴があらわれるだろうか。そうでなくとも、人相書きが出回っている以上、俺がやった軍の奴らは追って来ていてもおかしくない。


 そしたら、どうなるだろう。


 掴まって、殺されるのか。それもいい。


 ついでにどこぞの誰とも知らないやつの罪まで背おっちまえばいい。


 なんせいい加減、疲れたんだ。


 殺しの仕事も、それにうんざりする自分も、何かが手から零れ落ちる感覚も、何一つ大事な物がないことも。何もかも。


 疲れたんだ、もう終わったっていいだろう。


 指の先で回していた小剣がバランスを崩して手元からゆっくりと落ちていく。


 俺自身の足の方に刃先から落ちていく。


 避けなかった。


 するとたまたま刃の側面が膝に当たって、床にがらんと音を立てて小剣が落ちる。


 ……なんだ、別に刺さっててもよかったのにな。ここで足に傷を負っちまえば、色々と諦めがついたろうに。


 こういうのをなんていうんだったか、……悪運があるっていうんだな。ほんと、ろくでもない。


 溜息をついて剣をそっと拾い上げた。


 そうやって顔を上げた時だった。


 目の前にリザがいた。


 「ねえ、ズミ。買い物行きましょ?」


 そういってお前は笑ってた。


 俺はなんて答えを返せばいいのか。


 上手くわからなかった。


 わからないままに、顔を伏せることしかできなかった。



 ※



 「水と干し肉……パンに、火打石。……あと何がいるかな?」


 大通りの露店を二人で歩きながら、眼前で指折りをして数えるリザがふむむと唸る。俺はその姿を後ろで眺めながら、軽く頭を振った。


 「あんまり荷物を多くしないほうがいい。どこの街を目指すか知らんが、途中で必要なものを適宜買い足していった方が無難だ」


 俺がそう言うと、リザはフードを深めに被ったままでもわかるていどに、じっと厳しめの視線でこっちを舐めつけてくる。


 「ズミは旅慣れしてるから、それでいいんだろうけど、私は何が必要かもわかんないの。最低限の必需品はあるでしょう? 私そういうのも持ち合わせないんだから」


 その言葉に俺は軽く鼻息を吐いた。当たり前だが、ひと月市井で暮らした程度じゃ、お嬢様の世間知らずっぷりは変わらない。別にそれが悪いとも思わないが、面倒だとは少々思う。


 「あんた、ここにくるまでの旅はどうしてんただよ?」


 「侍従の人が旅支度は準備してくれたの。それも、依頼金を捻出するときに大概売り払っちゃったけど」


 「…………おいおい」


 何となくわかってはいたが、このお嬢様、後先を考えないにもほどがある。


 「だって……仕方ないでしょ? 有り金全部おじさまに見せたら、『大変心苦しいですが、もう少し足りませんな』って言われちゃったんだから」


 そう言ってリザは少し拗ねたように口先を尖らせた。俺は半分呆れて、視線を斜め上に逸らすしかない。


 それはあの親父なりの『全財産をなげうつなんて、ろくでもないからやめとけ』っていう心遣いだってのに。


 まあ全財産をはたいて、それでもなお上乗せしてくるようなら、受けた方がいいって判断もあったんだろうが。


 俺たちはそうやって買い物をいくつか繰り返して、背嚢一つ分くらいの旅支度を終えた。それから、休憩のため町の裏通りに面した場所に二人揃って目星をつけた。


 地べたは当然誰が踏んだとも知らない場所なわけだが、リザは特に気にした風もなく腰を下ろした。


 依頼前ならこの動作ですら渋ってそうだなとか考えながら、俺も同じようにリザの隣に腰を下ろした。


 裏通りといってもそこそこに人通りがある時期で、目線の少し上あたりを絶え間なく人が通り過ぎていく。


 地べたに座っていると、乾燥した風が人ごみの砂ぼこりを連れてきて目が少し痛くなる。それと同時、乾いた日の特有のにおいを鼻に連れてくる。


 その些細な兆しがなんでか、少し懐かしくなる。別に嗅ぎ慣れた匂いに違いはないんだが、なんでだろうな。


 「私、この街を離れるわ。今日はゆっくり休んで、明日の朝に出発するの。おじさまが言うにはね、追っ手がかかるのが、それくらいが限度だろうって」


 二人揃って、通り過ぎる人ごみを眺めていると、リザはそう何かを確かめる様に言葉を紡ぎ出した。


 「そうか」


 自分の喉から零れる音が、どこか他人事のように響く。


 俺の気分とか感情を一才無視して、金属めいた何かが口から出ているみたいだった。


 「ズミは、どうするの?」


 「………………」


 問われても、答えは特になかった。


 考えていなかった、わけじゃない。当たり前だが。


 逃げる算段、道中隠れ場所になりそうな街、比較的足のつかない経路、どれも全部考えた。


 仕事をこなすときに足がついて、追っ手がかかるのだって、これが初めてというわけでもない。ここまで他人の眼がどこにあるかわからない状況は初めてだが、まあその気になれば、なんとかなるだろう。


 ただ思考して、考察して、なのに実行に移すためには指の一つだって動きはしなかった。


 逃げる。いつも通り。隠れる、どこへでも。


 そんなことはわかってる。わかってるのに、さっぱりと身体は動かなかった。


 だらだらと時間を潰して、まるで、まるでそうしている間に、不意に誰かに殺されるのを待っているかのように。


 道を歩いている時も、買い物をしているときも、今こうしているときでさえ。


 『何か』をじっと待っているみたいだ。


 どこかの誰かが。


 例えば、今、俺の目の前を通り過ぎた少年が。


 たまたまたそこにあった石を不意に拾って。


 俺に向かって投げつけるのを。


 漠然と待っているみたいだ。


 わからない。


 どうしてだろうな。


 でも、そうなったらきっと楽だろうな。


 なにせ、もう疲れたんだ。


 誰かに石を投げることも。


 誰かに石を投げられることに、いちいち怯えるのもさ。


 疲れたんだよ。もう、何もかも。


 「……逃げないの?」


 リザは少しこちらを窺うように顔を向けてきた。その顔を俺はうまく見ることができない。


 「…………かもな」


 零れた声は、掠れに掠れて、まるで別の誰かが喋っているかのようで。


 何もかも、今自分がここにいることも、砂の匂いも、身体中を蝕む傷の疼きも、いつからかずっと消えない頭の痛みも。


 ずっと遠いどこかの出来事みたいだった。


 「……死んじゃうよ?」


 「……別にそれでもいいのかもな」


 口から音もどきの何かを零しながら、息を抜きながら背中にある石壁に体重を預けた。普段、外にいるときにここまで身体から力は抜かない。


 今、この通行人の中の誰かが俺に馬乗りになってきたなら、そのままなすすべもなく死んでいくだろう。


 まあ、別にそれでもいいさ。いい加減、そんな想像にも疲れたんだ。


 ああ、そうだよ。もう何もかも疲れたんだ。


 誰かとすれ違うたびに、不意にそいつに刺されることに怯えるのも。


 飯を食うたびに、毒が入っていないか調べるためにもどしながら食うのも、自分の胃液の味を飲み下すのも。


 眠りに落ちるたびに、殺さそうになる夢を見て飛び起きるのも。剣を抱きしめながら眠りにつくのも。


 人と話しているたび、懐の剣の存在を何度も確かめることも。背後に誰かが立つたびに絶えず頭痛が鳴り響くのも。


 誰かに触れられる、たったそれだけで、全身が総毛だって吐き気を催してくることも。


 不意に、自分の上に誰かが投げた石が、落ちてくる光景を幻視することも。


 疲れたんだよ、もう全部。


 もう、疲れたんだ。


 「そっか、逃げないんだ……」


 「…………どうだろうな。俺のことだから、いざ目の前に刺客が来たら尻尾撒いて逃げてるかもしれんが」


 俺はそう言ってため息をついた。


 なにせ、ガキの頃に自分が死にたくないって一心だけで、頭のおかしい下準備をして、人を殺すような奴だ。


 いざ自分の命が危うくなったら、どんな手を使って逃げるかしれたものじゃない。


 そういや、今までの仕事でも心が諦めたことはなんどもあったのに、結局最後は俺の意思など関係なく身体が逃げ出したことが何度もあったか。


 そうやって、何度ずぶ濡れになりながらおっさんの元に、仕事を失敗しながら無様に帰ったか覚えてもない。


 そういう時に限って、あのおっさん「よくやった」なんて皮肉で褒めやがるのだ。普段は仕事がうまくいっても大して褒めもしない癖にな。


 ただ、今回はさすがに無理だろう。軍隊が本気で追ってくることも考えられるし、人相書きが出回った以上、それこそどこで殺されるとも知れないわけだ。同業者に殺される、なんてのが一番ありそうなのが皮肉なもんだ。


 どれほど警戒しても、人間はいつか隙ができる。


 どれだけ気を張っても、いつか限界は訪れる。


 どれだけ技術を磨いても、どれだけ経験を積んでも、どれだけ仲間を集めても、それは同じだ。


 ある一瞬、きっと俺の思いもよらない、そんなどうしようもない一瞬で、俺の命はあっけなく消えて無くなる。


 それをきっと、誰よりもよく知っている。


 だから、どうしようもないのさ。


 あっけなく俺は死ぬ。きっと俺が殺してきたたくさんの奴らと同じように。


 何の感慨もなく、何の意味もなく。


 路傍の石は。同じような誰かが投げた石が、たまさかあたってたまさか死ぬ。


 ただそれだけ。


 そう、ただそれだけなんだ。


 そうだろ?






 「じゃあ、







 「依頼内容はそうだなあ、私をずっと、守り続けて。私がもういいよって言うまで、ずっと」




 「………………んで」




 「ん?」




 「なんで…………そんなことする」




 「おじさまに頼まれたから」




 「あのクソおやじ…………」




 「――――っていうのは半分で、ほんとの理由はね―――私のため」




 「…………お前の?」




 「うん―――。私はこれからね、この国の外まで出ていくの、私のことなんて誰も知らないような場所まで逃げちゃうの。そこでね、ぜーんぶなかったことにしてね、普通の人が普通に暮らすみたいに生きていくの」




 「…………」




 「復讐のことも。兄さまのことも、私が元聖女だってことも、神様の教えのことも、誰にも告げないままね秘密にして、ただのリザとして生きていくの」




 「………………おい」




 「最後まで聞いて? でね、そんな生活してたらね、きっとふとした瞬間に辛くなるの。自分には誰にも言えない秘密があって、それを誰かに知られたら命を狙われるかもしれない。誰かが賞金欲しさに私を売るかもしれない。そうでなくても、復讐に駆られた女なんてそれだけで排斥されるかもしれない。……そんな怖さをねずっと抱えて生きて生きないといけない。きっと成人してもお酒の一つも飲めないわ。だって酔って秘密を喋ってしまったら、それが原因で私は殺されてしまうから」


 


 「………………」




 「そんな時にね、一人でも。たった一人でも、私の本当の姿を知っている誰かが傍にいてくれたら、少し気が楽になると想わない? どれだけいい恰好をしてもね、私が本当はどれだけ醜いか、どれだけ愚かか、どれだけ歪んでいるか、私がどれだけの罪を成してきたか、知ってくれている人が傍にいてくれたら、それだけで救われる気がするの。もちろん神様は知ってくれているけれど、神様とは最期の時までおしゃべりはできないから。生きて、私と一緒に秘密を守ってくれる人がいたらいいなって、そう想うのだけれど」





 「………………………………」





 「ズミはさ、どう想う?」





 「…………俺は人殺しだ」





 「うん、私も殺したよ?」





 「っ……………………もともと、俺がやるはずだった」





 「そうね、でもそもそも依頼したのは私でしょう?」





 「…………他の腕のいい奴に頼めばいい」





 「そうね、でも私が何をしたか知っているのはあなただけ。隣に立って見ていたのはあなただけ、でしょう?」




 「……………………」




 「………………」




 「………………俺は」




 「うん」




 「俺はただの……道端に落ちてる石ころみたいな……人間だ」





 「でも私はあなたがいいわ」




 「………………」




 「あなたがどこの道端に落ちていたとしても、私はあなたがいいわ」




 「…………」




 「今、たまたま隣にいるあなたがいいわ。どこにでもいる誰かじゃなくて、今ここにいるあなたがいいわ」












 「ね、ズミ。一緒に逃げよ?」







 そう言って少女は笑っていた。



 いつからか、膝を抱えて蹲っていた少年は、その少女をじっと見上げた。



 もう宝石ですらなくなったただの少女は、ただの石ころみたいな少年に向けて笑ってた。

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