第16話 ある少女とある養父

 『俺がそんな―――『普通』になんて、生きていけるわけねえだろうが』


 鍛冶屋の街をふらふらと独り歩く。


 『俺は、俺はさあ、あんたの息子を殺した『人殺し』なんだぞ?』


 深く知っている街ではない、兄様に連れられて数度足を運んだだけの街だ。


 『俺がそんな風に、幸せになんて生きていけるわけ―――ないだろうが』


 だから、私が行ける場所など多くはない。街並みは喧騒が慌ただしく活気がある。露店や鍛冶の店の連なりに少し興味はあるけれど、あまり不用意に顔を晒すべきではなかった。だから、フードを深くかぶったまま、独りでふらふらと歩いていた。


 私が行ける場所は多くない。だから視線を上げて、街を見下ろせる丘を見上げた。


 そこでは遠目でも見える街の英雄の姿が、街の喧騒からは少し外れて掲げてあった。


 いつか、この街で生まれた聖剣の英雄。私が生まれたころにはもう死んでいた、かつての救世主。


 そして、どこかの誰かにとって、あたりまえに大事だった、どこかの誰か。


 もう失われてしまった、誰かにとっての大事な人。


 その人を掲げた街の上の丘を独り、目指した。


 追手はきっと迫ってる。悠長に答えを探している時間はない。


 それでもまだ、私はこの街から動き出せずにいた。


 街の丘を独り目指す。


 それはまるでどこかの救世主が、人の罪を背負って歩いた丘に似ていた。


 ただ、その救世主と私の決定的な違いは、私は無辜の人々の願いを背負わなかったことだろうか。


 独り、身勝手に逃げ出して、それでもまだ私は生きている。


 生き残ってしまっている。


 復讐を終えて、なお。


 まだ、生き残ってしまっていた。







 ※




 「私、ここに来るって言ってたっけ?」


 「この街は儂の庭……というのも、少し謙遜ですな。儂自身の身体のようなものです。聞くべきところに尋ねれば、人を探すくらいわけありません。裏通りを通ったのなら特に、ね」


 ローブに身を包んで、街を見下ろす丘のベンチに腰を掛けた。その隣に、なんでかおじさまが座っていた。最初はちょっと驚いたけど、機嫌よさそうに話すおじさまを見て、私もくすくすと笑ってしまう。


 よく晴れて渇いた風の吹くいい日だった。この街は、いつきてもこんな天気な気がするけれど。


 見下ろす街からはそれなりに離れているはずなのに、鉄の音、槌の音、喧騒の声がまばらに聞こえてくる。


 人の活気があふれている、人の営みがそこにある。私の気持ちも、ちっぽけな殺し屋の心も、構わずどこかの誰かの日常は回り続ける。


 歯車を回すように、鉄を槌で打つように。変わらず、止まらず、時間は時に残酷に、時に優しく静かに流れていく。


 誰かを失った人の心も、時に残酷に、置いてけぼりにしながら。時に、その手を優しく引きながら。


 「ズミは……どうなりそう? ついてきてくれるかな?」


 「どうでしょうなあ……こればっかりは、人がどうなるかだけは、わかりません。儂も随分長く生き残ってきましたが、これだけはわかりません」


 おじさまはそう言うと、そっと煙管に火をつけた。煙はこちらに漂わないように気を遣ってくれている。


 その姿が、まだ在りし日の頃にそっくりで少しだけ微笑んでしまう。


 「聞いてもいい?」


 「何をですか?」


 私の問いに、老人は軽く笑って、とぼけていた。わかってるくせに。


 「ズミが言ってたこと、おじさまの子どもを……亡くしてしまったってこと」


 老人はかっかっかと笑っていた。かつてこの街で町長と呼ばれていた、スラム街の顔役は、ただ快活な声で笑っていた。


 「この街の捨て子はね、みんな私の子どもみたいなもんですよ。ついでに言うと戦災孤児は山ほどいます。その全てが儂の子どもですよ」


 「そして、殺し殺されは当たり前、身内同士での殺し合いも、突発的な暗殺も、誰かが金を積めば成立する。ここはそういう街です。私が生まれるずっと前から、何十年も何百年も前から、そう望まれてきた街です。子ども同士での殺し合い、仕事のかちあいなんてのは、まあ、良くある話。そのたびによく歌ったものですよ。仇は忘れろ、恨みも忘れろ、今日を笑って生きていこう―――ってね」


 老人は煙管を回しながらそっとベンチに背中を預けた。


 「ただ、私の子どもの中でも、とびきり名の売れた奴が居ましてね。聖剣---なんて呼ばれていた。元が殺しに向いてない癖に、望まれたからと言って、必死になって闘うような奴でした。お前は自身は何がほしいんだと、何のために戦っているんだと聞いてみたら。よくわからない、ただ目の前の笑顔のために戦っているとか、半端なことを抜かすような奴でした」


 「まあ……そんな半端者がよこす金を、自分の力と過信して成りあがった男が居ましてね。ええ、ほんと馬鹿な男なわけですが」


 「ほんとうに馬鹿な男です。そうやって自分の道ばかりに目を向け続け、そうやって金をよこす子どもの様子にすら、微塵も目を向けなかった」


 「そうやって金で成りあがるから、自分が生きてきた街の裏側すら、とんと目を向けなくなった」


 「だからその小さな薄暗闇で、踏みにじられている誰かのことを、すっかり忘れてしまっていた」


 「儂がスラムの顔役から手を引いてる間にね、質の悪い集団が出来ていたようです」


 「仕事でもないのに、人を嬲り、人を殺し、しかも子どもにそれを促し。真に受けた子らが、同じ街の子どもを踏みにじり続けた」


 「そうやって、街の隅の、薄暗いところにいる、一番小さく弱い人間たちに、負の澱みを背負わせた」


 「その末にその澱みから漏れた恨みが、たまさか私の子どもの一人に当たった。路傍の石が、たまたま頭に当たるようにね」


 「それだけの話ですよ。突き詰めれば、あの街の薄暗い部分から目を離した儂のせいだ」


 「儂から見ればね、あれはそういう話です。あのガキは誰かに背負わされた恨みを、自分が生き残るための意思を行動に移した、ただそれだけだ」


 「それがたまたま、私の息子の一人に当たったのです。因果が巡るように、目を逸らしてきた澱みというものは、一番、最悪な形になって目の前に現れるものらしいです」


 「肝心のその石に当てられた奴もね、心の中では実は死にたがっていたそうです。自信が背負わされた期待に押しつぶされて、そこから助けを求める声すらあげないままに」


 「本当なら、腐ってもそれなりの戦争を渡り歩いてきたやつです。石の一つくらい跳ねのけられたっておかしくない。なのに、そうはしなかった。最期を看取った奴が言うに、どこか満足そうに、どこか救われたような顔をして死んでいったそうです。まるで、背負っていた重荷をようやく下ろすことが出来たような、そんな顔を―――していたそうです」


 「怨めという方が無理でしょう。あのガキは私や他の人間が目を逸らし続けてきた、後ろ暗い掃き溜めような何かを、たまさか背負ってしまった、ただそれだけの子どもです。誰かが乱暴に人の背中をドミノのように押し倒し続けて、その最後の一人がたまたまあのガキだった。ただそれだけの話ですよ。恨みなんて、向けようがありませんでした」


 「あのガキを拾って育て始めたのも、街長を辞して、裏町の顔役に戻ったのも、安い罪滅ぼしのようなものでした。まあ、ただ単に上流の御仁のやり取りが肌に合わなかったと言うのも大きいですが」


 「あのガキにはそのことを何度も言いましたが、ちっともわかろうとはしませんでした。いつもどこかで自分を責めて、悪い夢にうなされ続けているようでした。何度聞いても、何時聞いても、悪い夢にうなされるのが止まらない。人殺しという役割も、まるで自分で自分自身を許さないために続けているような節さえあった」


 「あのガキの時間はね、もう二十年も前の石ころ一つから、未だに止まったまんまなんです」


 「すいません、リザ様。これは儂のわがままですが、やはり、あのガキを連れていってはくれんでしょうか」


 「今日中に無理にでも支度はさせます。腕に関しては保証しますよ、あのガキは生き残るという一点に関しては、儂の子どもらの中でもとびきりです。臆病で、慎重で、逃げ癖があって、生き残りたい、死にたくないという意思は人一倍。あいつと一緒に居れば、死ぬことはそうそうないでしょう」


 「この通りです。あのガキはこれ以上、仕事を続ければやがて潰れてしまうでしょう。そしてあのガキはそれを自身への罰だと思っている節がある。神経が擦り切れて、目と判断が弱った頃にしくじって死ぬのをどこかで待っている節がある。まあ、そんな心持でも今日までは生き残っているという、奴の資質の裏返しでもありますが」


 「頼めますか? リザ様。いいえ、第三十一代聖女 リーゼリット・エス・オテイラ様?」


 そうやって、かつて兄様が連れて会わせてくれた街の長は、私の嘗ての名前を呼んだ。


 少し微笑んで首を横に振る。


 「もうそんな、名前じゃないわ。背負うべき信徒と一緒に全部捨ててしまったもの。今は、リザ。家の名前も、教会に与えられた大仰な冠も、期待を背負う十字架も、何もない。ただのリザよ」


 そうやって、言葉を紡ぐとおじさまは、軽く、でもどこか恭しく頭を下げた。


 それがどうにもおかしく、二人してくすくすと笑い合う。


 それから、少しだけ後ろを振り返って、いつかの誰かの英雄の像を見上げてみる。


 ねえ、出会ったこともない、人の期待を背負い続けたあなた?


 あなたなら、一体、何を言うのでしょうね。


 私達の神様なら、一体、何と言うのでしょう。


 国の掲げる教義なら、話をきくまでもなく地獄に落としてしまうのでしょうか。


 ただ、もし、そうやって誰かが都合よく使う前の神様なら。


 ただ、話をきいてくれるのでしょうね。


 何も言わず、何も裁かず、ただその人が歩いてきた、生きてきたその道を。


 ただ黙って耳を傾けてくれるのでしょうね。


 きっと、手が血に染まってしまった、私のような落ちこぼれの聖女でも。


 ただ黙って聴いてくれるのでしょう。


 「では、うちの子どもを、頼めますかな。リザ様?」


 私は黙って微笑みました。


 救いはそこにあるのでしょうか。


 それだけは私には、いえきっと誰であっても、きっと神様だって知ってなどいないのでしょうね。

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