第9話 殺し屋と英雄
「なあ兄ちゃんあんた、どこの生まれだ」
「聞いても何もなりませんよ」
数日後の夜。酒場であらかた食事の終わったテーブルの片づけをしているころ、何気なく
ちなみに奴の取り巻きたる兵隊たちは、カウンターの近くで給仕をしているリザにしきりに話しかけている。店長たちは客の機嫌を損ねないように、止めていないが、あんまりひどいようだと止めないといけない。と、一応視界にだけは入れておく。
……ただ、改めて考えると、そんな集団を率いているルドウィック当人は、取り巻きの様子を楽しげに眺めているだけだ。しかも、なんでか見物しながら男店員なんかに絡んでいるわけだ。どういうことだろう。見女麗しい女など見飽きているのか、それともそっちの気があるのか。
「いいから言ってみろって。俺は結構遠出してるからな、色んな街に詳しいんだよ」
「…………こっから大分離れたところにある鍛冶師の街です」
「ああ、あそこか。嵐鷹の英雄が生まれた街だろ。通りの奥に町長の館の代わりに鍛冶屋のでかい工房がある。あとは清熱の鍛冶師がいる街か」
ちなみに清熱の鍛冶師はすこぶる腕がいいが、その倍くらい口が悪いことで有名だ。一度知り合いが剣を売ってもらいに行ってみたが、金がなくて門前払いを食っていた気がする。持っていった金の倍くらいの罵倒をおみやげにして。あと嵐鷹の方は普通に知らない、別に無名ではないのだろうが、数か月ごとに変わる英雄など覚えていられない。
「ですね。よくご存じで」
「けっこう有名だからな。あそこの傭兵は手ごわいってよく聞く。たしか、二刀小剣の奴がこの前の戦役でうちの小隊を壊滅させてた。最近台頭してきた名売れだ。知ってるか?」
「いいえ。なにぶん、街がでかいもんで。売れ出しの奴までは噂が回ってきませんでしたね。英雄様もしょっちゅう代替わりしますし」
「はは、違いねえ。この街の英雄も今回の隣国との戦役でぽっくり逝っちまったしな」
「あー……何でしたっけ。剛剣……?」
「硬剣だな。名工が打った剣を持っていて、戦場で相手の武器を三十ばかし叩き負ったらしい」
「はあ…………」
「ちなみに最期は武器を叩き折った死骸に足を取られて、袋叩きにあって死んだらしい」
「………………」
「こういう話嫌いか?」
「……正直、あんまり聞いていて気分のいい話じゃないので」
「そうか、じゃあしまいにしよう」
そう言うと、ルドウィックはあっさりと身を引くように両の手をひらひらと上げた。もう気の悪いことはしないと、そういう様に。
俺はその様を見て軽く肩をすくめる。
「すいませんね、身内が英雄嫌いなもので。俺もうつってしまって」
「いや、いいさ。むしろそっちのほうが正常な感性だ。傭兵・兵隊、聞こえはいいが要するに人殺しの集団だ。英雄なんぞ沢山人を殺しましたねていう称号なわけだからな。酒場で自慢できても、神様の前じゃあむしろ叱られる」
神様というワードに少しだけ少し前のリザの様子が脳裏をよぎった。
「詳しくは知りませんが、お客さんもそこそこ名売れじゃありませんでした?」
俺がそう言うとルドウィックは少しだけ嬉しそうに目を輝かせた。
「お、知ってる? 俺も有名になってきたな。ちなみに二つ名とか一応あるんだが聞いたことあるか?」
「いいえ、残念ながら、人伝で聞いただけなので。そこまで詳しくは知らないんです」
事実、ルドウィックについては、酒場のウェイターがそれなりに教えてくれた。ただ、そこに二つ名が含まれていなかったのも事実だったりする。
「そっかあ、まあそんなもんだな」
「なんて言うんですか?」
俺がそう尋ねると、ルドウィックははっはっはと豪快に笑った。
「通り名を自分で語っちまうほどカッコ悪いことはなくねえか? あと、そういうのを自分から名乗るやつは俺の経験則上、名と実態が釣り合ってねえんだ」
その言葉に、俺はもう一度、軽く肩をすくめた。向こうのカウンターで奴の兵隊の一人が、自身の通り名をリザに必死にアピールしようとしてたところだったからだ。ちなみに、そいつは自分とこの隊長の顔を振りかえると、しぼむように名乗りを辞めた。それを見て周りの奴らは楽しげに笑っている。隊長、そりゃあないですよ、なんて軽いツッコミもとんでいるが、当人は気にもせぜ楽し気に笑っているだけだ。
リザの様子が少しだけ心配で軽く窺ってみるが、今のところ表面上は平静に見える。その心の内まではここからは窺えないが。
「それにな兄ちゃん、さっきあんたが言ってたみたいに二つ名なんて、すぐ死んじまったら簡単に忘れられちまうのが落ちなのさ。十年も二十年も残る、そんな名前になって初めて名乗る価値はあるんだよ」
そう言って、ルドウィックは軽く肩をすくめながら麦酒を煽った。
「三国戦役の赫獅子とか、夕暮れの街の死衾とか、災禍の国討滅を成した―――聖剣の英雄とかな」
「………………」
テーブルの上を片づける指が少し止まりかけた。気づかれないように、無理矢理指を動かす。
「お、そういや聖剣使いが死んだのって、兄ちゃんが住んでた鍛冶師の街じゃなかったか」
「――――ええ、そもそも、あそこの生まれですよ、あの人は」
「おお、さすがに知ってるか」
よく、知ってる。
「まあ、街がよく見える丘の上に像が経ってるくらいですから。あの街に住んでる人間は誰でも知ってますよ」
「そっか、あれももう二十年近く前だよな。ガキの頃、逸話を聴くたびはしゃいだもんだ」
「未だにスラム街でも、子どもがおとぎ話として喋ってるくらいには有名ですよ」
「だろうなあ、懐かしい。俺はやっぱ毒竜討滅の話が好きだったなあ」
しみじみと想い出すように、ルドウィックは顎髭をなぞった。俺は少しだけ胸の奥がうすら寒くなるのを感じながら、軽く息を吐いてテーブルの片づけを終えた。
「―――俺は、敵の将軍との一騎打ちの話が好きでしたね」
「ほう、中々ニッチだな。聖剣の伝承とはあんま関係ない話だが」
「あの話が一番、人間じみてるじゃないですか。他はどうも空想めいてて、俺は苦手ですね」
「ま、確かになあ」
そんな風に、俺とルドウィックは何気ない話を繰り返す。
そうしている間にも、奴の俺に対する警戒が少しずつ解けているのを感じながら。
焦る必要はない。流れ落ちる水が時間をかけて土に跡をつけていくように、風が岩を削るように、雨水が瓶の中に溜まるように、じっくりと待てばいい。
こいつが俺に自然と背中を晒すようになるまでに。
何気なくテーブルの跡を片づけるふりをしながら、ルドウィックの背後を通り過ぎた。
足はできるだけ止めずに、何気なく。
奴の背後を通り過ぎるのは、ほんの一歩分の時間だけ。
ただ、それだけの時間で奴が張り巡らせている警戒に、思わず軽く笑ってしまう。
おそらく俺が奴の背後で敵意を持って、食器を軽く振り上げるだけで、次の瞬間には首根っこを摑まえて叩き伏せられている。
そんな直感があった。ああ、こいつは本当に時間がかかるな。
まあ、いいさ。時間はたっぷりかけると決めているのだから。
というか、リザも少しずつルドウィックに慣らしていかないとな。正体が感づかれないよう気を遣いながらにはなるが。なにせ、リザの目の前でやることが条件なのだ。肝心の依頼主が警戒されてたんじゃ世話がない。
そんなことを考えながら、引き上げた食器を持って厨房の裏に回った。
それから少しだけ目を閉じる。
閉じた先にはいつかの英雄の後ろ姿がそこにはあった。
いつか、俺の手によって、潰えたどこかの誰かのそんな姿が。
路傍の石のような一撃で、結局なにもかもは無駄になる。
聖剣さえそれで死んだのだ。未だに名前すら知らないあいつが死ななわいわけなどないだろうが。
だから、さっさと壊れてしまえばいい。
そんなことを考えながら、俺はそっと懐の内にしまった小剣を握りしめた。
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