第8話 殺し屋と少女

 店が混む時間をどうにかやり過ごして、その日、俺とリザは店主に無理を言って早引きをさせてもらった。店主は少し驚いた様子ではあったが、大事になっちゃいけないと早々に、帰路につくことができた。


 どうしたん? と帰り際に同僚に聞かれたから、慣れない環境で体調を崩したとだけ答えておいた。それで同僚は納得してくれたらしく、まあそりゃそうだよな、お大事にと素直に見送ってくれた。


 客の連中にばれると厄介なので、裏口からローブを深めに被せてこっそりと店を抜け出す。


 路地を小走りで掛けながら、どうにか貸家まで辿り着くと、鍵を閉めてからそのまま寝台にリザを寝かせる。


 少々不審だったかと思わなくもないが、慣れない環境で体調を崩しやすかったと言うのもある種の事実だ。そこまでおかしいところはないだろうと、軽く息を吐いた。


 対して、寝台に寝かせたリザの息は荒い。


 端から見れば、風邪と疲労に見えなくもない―――が。


 息が荒れる。繰り返される。なお荒れる。


 あからさまに過呼吸だ。だというのに、その瞳から薄暗い、何かを睨みつけるような眼光は消えていない。


 「吸うな、吸うな。とりあえずゆっくり吐け、そんで息を落ち着けろ」


 リザの全身が、がたがたと震えている。


 寒気はなく、むしろ熱と怒りをもって。


 仕方なく水嚢を目の前に差し出したら、その手をがしっと握りしめてきた。こいつ自身の手が壊れてしまいそうなくらい、力を込めて。


 爪痕が俺の手に滲む、乾燥した皮膚にじわりと血が滲み始める。俺の血か、こいつの血かはいまいち判別としないとこだが。


 「ころしてやる」


 ああ、そうだな。


 「よくも兄様を―――。ころしてやる」


 まったくもってそのとおりだ。


 「ころしてやる」


 ――――――。


 「ころしてやる」


 こうやって依頼人を目の前にして改めて想うことがあるのだが。


 …………やっぱり復讐というのはろくでもないものに違いない。


 俺はこの女の、内情も知らん、過程も知らん、経過も知らん。


 それでも、こんなふうに、眼を血走らせて、血を滲ませて、呼吸さえままならなくなるほどのことなんぞ、まっとうなことなわけがなかった。


 まるで、復讐という悪魔に心も身体も売っぱらってしまったかのようだ。


 それに何より、その姿は誰がどう甘く見積もっても幸せとは程遠い姿に見えた。


 ただ、そこまで考えて、リザの爪が自分の指に食い込んでいく様を見ながら、ふと想う。


 復讐してるから、不幸せなわけじゃなくて、不幸せになったから、復讐しないと気が済まないのだ。


 では、その不幸せの原因は何なのか。


 おそらくだが。まあ、多分。


 何かが台無しになったのだ。


 こいつが大切にしていたものが、掛け替えのなかった何かが。


 取るに足らない誰かの手によって。


 崩れ去ってしまったのだろう。


 それは、この国ではありふれた話だった。


 そして俺がよく誰かにしていたことでもあった。


 人が殺し、殺されて、それを契機にまた殺して殺されて。


 積み上げて、積み重ねて、それを妬んで、憎んで、あるいは無関心に。


 何の気なしに石を投げてどこかの誰かが消えていく。


 あの街に産まれたころから、そんなことをひたすらに繰り返していた。


 社会という、国という、大きなゼンマイに巻き込まれた小さな歯車みたいなものだ。


 潰されないように、必死に回り続けて、回り続ける中でどこかの誰かの大切なものを犠牲にしていく。台無しにしていく。


 そこに俺の意思なんて、あってないようなものだ。産まれたころに与えられた選択肢は『野垂死ぬ』か『物乞い』か『人を殺す』くらいしかなかったのだから。


 ろくでもないし、くだらねえ、積み重ねたところで何にもならねえ。


 そして別に、こんなくそったれな事情は俺だけに限った話じゃない。


 俺以外にも、斡旋屋のおっさんの元で食ってる殺し屋は何人もいるし。そうでないやつは、腕っぷしが強けりゃ傭兵で、手先が器用なら鍛冶師だ。どうせみんな、人殺しの片棒だ。


 だからこいつのことも、そんな珍しい話じゃない。


 話じゃないが、だからこそくだらないと、心底思う。


 こんなことばかり繰り返してるこの国が、人が、社会が、世界が。


 本当にくだらないと、そう想った。






 ※





 朝起きて、家の周りの哨戒だけして部屋に戻ると、どうやら目を覚ましたらしいリザが朝日の中で祈っていた。


 手の中に異国の神の紋章をじっと握って、ただ黙として時間を過ごしている。


 しばらくすると、俺に気付いたのかそっと目を開けてこちらを見た。


 少しだけ気まずそうに目を逸らして、何度か迷っていたが、諦めたようにこっちをみた。


 「ごめんなさい、昨日は……その迷惑をかけてしまったわ。手、大丈夫?」


 あまり謝り慣れていなさそうなのが、いかにもお嬢様って感じだな。


 「問題ない。なんなら剣で小芝居だって出来る」


 そう答えて、小剣を手の中でくるくる回す。少年の剣は相も変わらず、俺の手の中で軽快に回り続ける。


 「そう……それなら、よかった」


 「ああ……ところで、さっきもってたのはどこぞの神の紋章か?」


 俺がそう言うと、リザは少しだけ躊躇った後、ゆっくりと頷いた。


 まあ、『神授の剣』で仕事をこなそうなんて話があるくらいだ。信心深いのはなんとなく察していたが、ここまで明確な教徒だったか。


 「ええ……そうよ。それがどうしたの?」


 「いや……」


 その教徒だってことは、もしかしたらリザの素性に明確に関わることかもしれない。場合によっちゃあ、それで身元が相手にバレるなんてことも考えられる。後で、おっさんに伝手をたどって少し聞いた方がいいのかもしれない。


 「身元がバレるリスクがあるから、酒場にはもっていかないほうがいいかもな」


 「そう…………。でも…………」


 「難しいか?」


 「…………ううん。ただ、ずっと持っていたから慣れないだけ」


 宗教というのは人によっては、明確に精神的な支柱だったりする。傭兵たちの中でも何かしらの神を信じてる奴は意外と多いし、祈りや儀礼が習慣になってる奴もそう珍しくはない。


 何せ殺し殺されのくそったれな世界だ。それくらい精神的支柱がないとまともでなんていられないのかもしれない。


 ただ、路地裏の捨て子だった俺にはとんと無縁な話だった。


 あの町は教会もまともに機能してないから、斡旋屋のおっさんが孤児を引き取っているわけだしな。


 だからまあ、俺にとって宗教ってのは他人が大事にしてるのはよくわかるが、俺自身には何がいいのやらさっぱりな代物だ。


 神様に祈ったら水の一杯でも出てくるのなら信じるのだが、どうもそういう話でもないらしいし。


 そういえば、知り合い連中にも信心深い奴はとんといない。


 そう想うと、ほんのりと興味が湧いてきた。


 「一回、聞いてみたかったんだが……、そうやって祈るとどうなるんだ?」


 俺の言葉に、リザは少し困ったように頬を掻いた。


 「どう……って?」


 「神を信じたことが無いからな。わからないんだ。それを祈るとどうなるんだ? 何のために祈ってる? それがないとどうなるんだ?」


 リザは俺の問いに少しだけ考えるような仕草をとって、自分の紋章をじっと眺めた。それから、ゆっくりと俺を見て、一つずつ確かめる様に口を開いた。


 「私の国では、死後、神様と会うことになっているの」


 「死後?」


 またえらくきな臭い話だ。いや、宗教何て大体そんなもんか。


 「ええ。全てが終わったその後に、神様に報告するのよ。どんな人生を歩んで、どんなことをしてきたか、何を想って、誰と一緒に居て、何を願って生きてきたか」

 

 「……、それであれか、天国か地獄のどっちかに振り分けられるって話か」


 似たような話は不思議といろんな宗教で聞いたことがあったかね。


 「…………そういう教派もある……というかそっちが主流かしら。私が学んでいたのはもう少し、原理的というか。宗教の興りに近い物だったけど」


 「…………何が違うんだ?」


 リザは少しだけ迷ってから、ゆっくりと言葉を紡いだ。


 「天国と地獄……というのはね、大衆掌握のための概念に近いから。『善をなして人を助けなさい』とか『犯罪を犯しても神は知っている』とか『社会的道徳は守りなさい』とか『同性愛は異端だ』とかね。そう謡うことで社会の安定を図ろうとする考え方に近いの。神様はその時に名前を借りてるだけ」


 「………………」


 「私が信じているのは、そういうのよりは、もっと宗教の始まりに近くて『神様はあなたをずっと見てくれている。あなたがどれだけの罪を犯そうと、あなたを見守ってくれている』って考え方なの。祈りの時間は神様がいつでも自分を見守ってくれていること、それといつか神様にあったときになんてしゃべるか、その予行演習みたいなもの……かな」


 そう語るリザは珍しく、少しだけ優しい笑みを浮かべていた。


 「…………その神様は、復讐を認めてくれるのか?」


 「…………さあ、知らない。教典の原典だと、神様はただ聞くだけって書いてある。…………そこから天国と地獄に振り分けられるって教派だと。殺人は、いかなる理由があっても地獄行きね」


 「直接手は下さなくてもか?」


 「…………殺人の依頼、あと手助けも同じく地獄行きだから」


 「…………」


 なるほどなあ、と思わず感心しながら、手に持っていた小剣を弄ぶ。


 「だから、あなたの改宗はおすすめしないわ」


 「予定もないさ。信じる意味も薄そうだ」


 どうりでうちの国じゃ流行らないわけだ。救いを与えないどころか、地獄に誘ってくる神様なんぞ流行らなくて当然か。


 ただ、そこまで考えてはてと、少し首を傾げる。


 「そういえば、隣国はしょっちょう戦争してなかったか。その理屈だと罪人だらけになっちまうが……。それともあれか、お前の言う原理的な宗教だからそれもセーフなのか?」


 殺人の指示が地獄行きなら、王様まで仲良く地獄行きだ。兵役に取られた時点で運命は決する。死後の世界っていうのが、宗教者にとってどれだけ大事なのかは知らんが、そこそこ致命的な気はするが。


 俺のそんな問いにリザは少しだけ悲しそうな眼をして、かるく首を横に振った


 「国で掲げているのは、さっき言った大衆先導用の宗教なの。だから、もちろん普通なら地獄行き。でも、聖地を目指すための凱旋だから、罪には問われないことになっている」


 「ほおん……」


 さっき、『いかなる理由があっても』って言ってた気がするが……。まあ、そんなことリザに問いただしたところで、何が変わるわけでもない。こいつが信じているのとは、少し違う所みたいだしな。


 「矛盾してるでしょ? ……でもね、それでもみんな信じてるの。不思議だけど、確かに誰かの心の支えにはなってるの」


 そう言ってリザは紋章をぎゅっと握りしめた。まるで何かにすがるように、子どもが許しを請うみたいに。


 「神様はね、もともと、弱い人たちのためのものだった。罪を犯した人、迫害された人、自分の弱さに負けてしまった人……そういう人たちのためのものだった。でもいつの間にかそういうものじゃなくなったって……兄様が昔教えてくれたわ」


 手の中で回していた、小剣の刃が少しだけリザの方に傾いた、ぐらりと揺れてそのまま見落とせば、刃をそちらに傾いていく。ただ軽く指に力を籠めると簡単に手元に戻ってきた。これはそういう剣なのだ。


 「もし……神様が変わっていたら。私は絶対地獄行きね……あなたにも付き合わせているようで申し訳ないけれど」


 刃を指なぞりながら、頭を振る。


 「どうせ、元から人殺しだ。……それにその理屈だと、俺の故郷で生まれた時点で全員仲良く地獄行きだ」


 なにせ傭兵と鍛冶師の街だ。誰もが殺し、誰もが殺され、多かれ少なかれその手伝いを誰もがしてる。しかも戦災孤児の行き道は、物乞いか殺し屋の精々二択だ。飢えて死んだ奴だけが天国に行けるってわけだな、ばかばかしい。


 例の鍛冶屋の少年少女までもが地獄行きだと言うのは少し、やるせない話だが。


 「そうね……正直、ろくでもないわ」


 そう言ってリザは力なく笑った。


 それに思わず俺は鼻で笑ってしまった。


 「俺もそう想う。初めてあんたと意見があったよ」


 そう言うと、リザは少しだけ驚いた顔をした後、くすくすと笑っていた。そうやって笑っていると、年相応の少女に見える。復讐の一念などまるでどこにもないかのような。


 けらけらとくすくすと、力なく笑いながら、俺たちは少しだけそのまま時間を過ごした。


 少しだけそうやって、やがて笑い飽きたら、俺はゆっくり腰を上げた。


 「昼から仕事だ。動けるかい? お嬢」


 「ありがとう、大丈夫。もう少しだけお祈りしたら、出る準備をするわ」


 「はいよ。表で運動してるから、何かあったら呼んでくれ」


 「うん……ありがとう」


 そうやって少しだけ微笑んだリザに背を向けて、俺はゆっくりドアを開けて外に出た。


 今日もお日柄はよく、乾燥した砂の匂いが辺り一面を覆っている。


 晴れ渡る日光は須らくに渇きを与えながら、今日も青空の真ん中に陣取っている。


 神様っていうのはいったい、どんなもんなんだろうな。


 隣国の話じゃあ、天国と地獄に勝手に振り分けてくるらしい。そんで俺は生まれた時点で地獄行き確定だ。


 リザの話だと……何だったか、死後に自分のしたことを報告にしに行くんだったか? で、ずっと俺たちのことを見ていると。見てるだけかよ、助けてやれよ。


 どう考えたって、復讐なんぞ頑張ってんの間違いだろ。教えてやれよ。


 「ろくでもねえなあ」


 そうやって呟いた自分の頬が何故か笑っているのだけを感じながら。


 空を見た。


 今日もきっとくそ暑い。

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