第7話 殺し屋と標的

 昔、育ての親のおっさんに一度、依頼主がどういう奴か聞いたことがある。


 普段は絶対、そんなこと聞きもしない、なんでかと問われれば少し疑問だが。まあ、おっさんが『聞くな』と暗に語っていたからだろうか。


 それでも好奇心におされて一度だけ聞いたことがあった。まだ、俺が背も大して伸びてない頃だったと想う。


 どうして依頼人のことを俺たちに伝えないんだ、どういう理由で仕事をするのか教えてくれてもいいだろって。


 おっさんは相も変わらず汚れた紙を眺めながら、酷く興味もなさそうに呟いた。


 大体、同じだからだ。とおっさんは言った。


 大事な人が、妻が、夫が、子どもが、親が、兄弟が、姉妹が、親戚が、親友が、恋人が、先輩が、後輩が、師匠が、教え子が。


 惨たらしく殺された。理不尽に殺された。拷問をされて、犯されて、辱められて、死んだのだと。


 説明しても、何の面白みもないのだと。


 それに、そんな余計な事情、知らないほうが仕事はやりやすいからと。変な情や正義感が入った方が、殺し屋は失敗の確率が高まるからなと。そう興味もなさそうにぼやくだけだった。


 それから。


 お前らは路傍の石だ、とおっさんは言った。


 恨みも、復讐も、怒りも何も抱かないまま、ただ、たまさか頭に当たって人が死ぬ。


 お前らはそんな路傍の石だと言った。


 そうあってくれとおっさんは言った。


 俺はただそれを黙って聴いていた。


 正直、さほど興味があったわけでもなかったのだ。


 何せやってるのが殺し屋だ。慈善事業ではもちろんないし、人々に感謝される英雄や兵隊でもありはしない。依頼者の顔なんて見てもろくな気分にならないだろうなというのは、おおむねおっさんと同意見だった。


 知ったところで何も変わりはしない。


 下手すりゃ、剣を握る腕に怒りや迷いが生まれるだけだ。当然、仕事は失敗するかもしれない。


 だというのに。


 「なんで聞いちゃったかなあ…………」


 酒場の裏でごみを片づけながら、そうぼやいた。


 おっさんに紹介された仕事は酒場の料理人……の下働き。主な仕事は野菜の皮むきとスープの仕込み、あとは皿洗いにゴミ捨てと客引き。フロアが足りない時の注文取り。


 まあ、よくある雑用だ。幸いいくつか経験もあるし、賄いもそこまで悪いものでもない。


 「何、聞いちまったんだぁ?」


 同僚の下働きの男が、げらげら笑いながら俺の隣にゴミ箱をがんと置いた。これを二人で下町のゴミ捨て場まで運んでいく。帰れば手が少しだるくなるくらいには、重労働だ。


 「……うちのお嬢の些細な秘密だよ」


 嘘をつくときは、事実とない交ぜにしながら喋るようにしろ……っていうのが、うちのおっさんの教えだった。なので、まあ核心には触れない程度に事実を喋る。


 まあ、その嘘が些細かどうかはさておき。


 「はは、女の秘密はおっかねえからなあ。しかし深掘りして聞いてみたくもある」


 怖いもの見たさかなあと、同僚はけらけら笑う。出会って数日だが、思い切りがよいことだけはよくわかる男だった。


 「やめとけ。知ったら生かしておいちゃくれないぞ」


 「うわ、おっかね」


 これもあながち嘘でもない。うん、多分、手を下すことになるのは俺なんだが。


 そうして、二人で香辛料と生臭さがブレンドされたゴミをえっちらおっちらと運んでいく。もう夜も過ぎて、店じまいも近いから、人通りも随分と少ない。


 対象をやるならこういう時間……というわけでもなかったりする。


 夜道に後ろに立つ人間なんて、傭兵や兵隊でなくても警戒はするものだ。俺だって夜通り際にすれ違う人間とか、警戒くらいする。


 まあ、今は幸いこの男くらいしか周りに人はいない。


 「ところでよぉ、実は初日から聞きたかったんだけどよお」


 同僚の男が、少し周りを窺ってから、俺にそっと顔を寄せてきた。


 「リザちゃん、どこのいいとこの出だ?」


 俺は軽く首を横に振った。


 「…………知らん」


 「とぼけなくてもいいって。……っていうか、バレないと思ったのか? どう考えても、貴族の子女だろありゃ、礼儀作法が整いすぎてるし。特に教えてもないのに読み書きも算術もできる。昨日なんか、異国の客とも話してたぞ。ちゃんとした教育受けすぎだ。あんなの下町にいねえよ」


 男はにやにやと笑いながら、俺にしたり顔で話を続けてきた。


 「………………もう少し、控えめにしろって言ったんだがな」


 俺は諦めて少しため息をついた。


 と言いつつ、まあ、予定通りではある。


 バレるにしてももう少し、時間を掛ける予定だったのも確かだったりしたのだが。


 「俺の観察眼舐めちゃいかんよ。で、誰? どこの貴族の人? あれか、異国か? それかどこぞのお姫様だったり。いや、魔術師とか錬金術師の家系とかもあったりするか?」


 同僚は楽し気に、あからさまに俺の反応を見るために、おおげさに話を振ってくる。ただまあ、残念なことに俺は本当に知らないので、その揺さぶりには何の意味もない。


 「だから、知らんって。俺は人に頼まれただけだ」


 これもある意味本当だ。


 「そう言って、またー、なんか知ってんじゃないの? お? おおん?」


 「しーらーん。ただ一言言っとくと、手は出さないほうがいいぞ。それこそ裏の誰かが出てきても。俺は面倒見切れんからな」


 事実だけを適当に並べ立てて、話を流す。その後も同僚はゴミ捨ての帰り道も、やいのやいのと掘り下げてきたが、適当に流しておいた。


 ただ、しばらくほっておくと、とりあえずリザがやんごとなき人物だっていう確証がとれたのが嬉しいのか、したり顔で何やらうんうん頷いていた。


 「あのなー……このことは―――」


 「わーってる、秘密だろ。だいじょーぶ、店長は優秀な看板娘が出来たって無邪気に喜んでるし、酒場のやつらも美少女の到来に鼻の下伸ばしっぱなしだ。俺くらいの勘のいい奴じゃないと気づかないよ」


 「だといいが……」


 「はっはっは。あ、噂をすればリザちゃんじゃん」


 同僚とそんなやり取りをして、言葉に促されるままに前方に目を向けた。


 すっかり見た目は町娘になったそいつは、軽く社交の笑みを同僚に返す。


 「おかえりなさい、ズミ、アレク。アレクはさっき、店長さんが呼んで……たよ。なんか話があるって」


 どことなく、語尾に迷いを滲ませている感は否めないが、まあ町娘といって通らなくないだろう。茶に染めた髪は少しムラが気になるのと、当然と言うか紅眼は隠せてはいないのだが。まあ、それ以外は、おおむね大体町娘だ。多分な。


 「お、まじかあ。残飯もらってんのバレたかな?」


 「お給料がどうのって言ってたから違うんじゃない? でも急いだほうがいいかも」


 「はいはーい、行ってきます」


 笑顔でそんなやり取りを交わした二人を眺めてから、小走りで去っていく同僚を見送った。


 少しだけ時間が空く。


 何も言わないまま、俺たちは少しだけ目線を交わした。


 周囲に視線はない。


 「……どーだい、お嬢。上手くやれてるかい?」


 「舐めないで。これくらい、社交界で慣れてるの。好意的な振る舞いくらい、どこにいたってできるわ」


 「そいつは何より。まあ、あんまり目立たんでくださいよ。なんかあったらどやされるのは俺だ」


 「わかってる、ズミには迷惑かけないから」


 周囲に視線はない。ないが、やり取りは緩めない。


 どこで誰が聞いてるともしれない。


 自室のドアを閉めるまで、俺たちは外で『仕事』のやり取りは決してしない。


 『どこかの貴族の令嬢がお目付け役と、市井の様子を見に来ている』あくまで俺たちはそういう役割だ。


  「


 少しだけ含みを持たせて、そう口にした。


 リザは少しだけ、目線が揺らいだが、軽く笑うとぐっと拳を握りしめた。  


 「 


 頬の奥が少しだけぐっと噛まれたのが、わずかに見えた。


 「そいつは何よりで」


 「当然でしょ?」


 それから、他愛のないやり取りを繰り返しながら店に戻る。暖簾を分けると、威勢よくリザを呼ぶ声がした。


 どうやら注文のようだ。


 リザは軽く手を振ると、そっちに向かって元気よくとことこと駆け出していく。


 俺たちが務めることになった店は普通の酒場が三件か四件くらいは入りそうな、この街に相応しい大酒場だ。その癖、人が足りないようで、俺たちが入ってきた時も大した詮索もなく店主は大喜びで受け入れてくれた。


 客は当然男ばかり。傭兵崩れの街だから当然と言えば、当然だが。


 他の女子もどうにも数が少なくぱっとしない。だからリザがフロアに戻ると男たちは、どことなく顔がにやついたものになる。注文を取ってるわけでもない周りの客も、どことなく機嫌がいい。まあ、見栄えのいい元気な少女が近くにいるだけでこうなるのだ。男というのはかくも現金なものだねえと、肩をすくめながら歩き出す。そろそろ俺も注文に回った方がいいかもしれない。


 店主に軽く声をかけて、注文を取りに回ることを告げた。


 俺が注文を窺いにいくと大概の客は残念そうな顔をするのだが、まあ勘弁してもらおう。うちのお嬢には残念ながら身体は一つしかないのだから。


 店の入り口に近いところで、手が上がった。


 リザが反応しようとして、一瞬迷った。


 丁度、俺とリザの中間地点、どっちが行こうか迷った……わけじゃないな。


 特に返事も目配せもせずに、俺はそれとなくはいはいと返事をして注文を取りに行く。


 俺は伝票を出しながら、ご注文を促した。


 麦酒、干し肉の香草焼き、芋の揚げ物、根菜のピクルス。


 五人ほど集まった屈強な男たちの注文を取っていく。


 手前の幾人かは、案の定、俺が注文を取りに来たから、いささか残念そうではあるが。


 「くっそう、兄ちゃんのほうが来ちまったじゃねえか。俺らはあの嬢ちゃんに来てほしかったのによ」


 「なあ、兄ちゃん。配膳はあの嬢ちゃんがしてくれねえかな? なあ、頼むぜ後生だよ」


 しまいにこんなことを言う始末である。


 こっちとしては、はあ、と言葉を返すしかない。


 そんな無茶を言われたところでなあ、むしろこういう面倒くさい客からは、離しておきたいのが本音だし。余計なぼろを出させるだけだ。


 ただ、一番奥の席に座っていた男だけは、俺に気前よく声をかけた。


 「ばか、おめえら店員さんが困ってんだろうが。第一、店も商売なんだ。配膳して欲しけりゃもっと一杯頼めって思うよなあ、兄ちゃん?」



 息を少しだけ吸って。



 音が出ないように細心の注意を払って吐いた。



 「そう……ですねえ。いっぱい頼んだら、うちのお嬢にも手伝ってもらわないといけないかも」


 「だ、そうだ。で、おめえらその程度しか頼まんのか?」


 「くそう兄ちゃん、芋の揚げもん、あと四人前追加してくれ!」


 「まあ、兄貴がそう言うんならしゃあないっすねえ。兄ちゃん、俺も豚の腸詰もらっていいか?」


 「はいはい、じゃあ、もう少しお待ちくださーい」


 そんな陽気な集団の言葉を軽く流して、注文をそっと終えた。


 一度、注文を終えてキッチンへの廊下の隅まで来て、ようやく一息を深く吐いた。


 軽くフロアを振りかえると、さっきの奥に座っていた男が、周りにもっと注文しろと酒を片手に陽気に笑っていた。


 気持ちのいい男だ。快活で、奔放で、人好きがして、優しさもある。


 しつこい客も彼の言葉にはなだめられ、不満をもつ客も彼の大声に思わず破顔してしまう。


 それは人に慕われる人の相だ。


 加えて警戒も当然強そうだ、観察のし過ぎで気取られないように苦労した。


 そう感じるくらいには、服の上からでも隆々とした身体が見て取れた。腕っぷしが強いなんてのは、当たり前すぎる情報で、そこに裏打ちされた経験と技術が乗ってるのも想像に難くない。



 そうやって入った小さな廊下の隅で、リザが独り立っていた。



 丁度、誰にも見られない位置で、



 一人、フロアの光を背にして、影に顔を向けたまま、ただじっと。




 壁に当たられた手が、強く握りしめられて、爪の隙間にぎじりと木片を食い込ませていた。



 それでも彼女は構わず握りしめ続けていた。血が少しだけその手から滲み始めていた。


 

 声は掛けない。


 

 誰が聞いているとも知れない。


 

 何も告げることはできない。安易にこちらを向かせることも、その顔を他の誰かに晒すことになってしまう危険性がある。



 だから、そっと軽く肩を叩いた。それから、背中で彼女の顔をフロアからそっと隠した。



 暗い。



 暗い暗い。



 表情の抜け落ちた顔がそこにはあった。



 しきりに何かを呟いてる。言葉にならない何かを呟いている。



 …………ダメだなこれは、もう今日は仕事にならなさそうだ。



 足取りも覚束ないので、おれはかるく肩を貸した、このまま今日は部屋の隅に座らせておこう。そう想った。



 歩く最中で、声に成らないかすれた何かが隣から聞こえてきた。




 








                              ころしてやる








 何度も、何度も何度も。



 そう、言葉にならないほどのかすれた声で呟いていた。



 俺は最後にもう一度だけフロアを振り返った、その中心に自然と立っている一人の男を。


 ルドウィックというのが彼の名だ。


 人々から慕われ、この前の隣国への遠征で多大な功績を遺したとされてる。


 この街の英雄。


 それが俺が殺す相手であり。


 リザの『最愛の人』を殺した相手でもあった。


 

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