第6話 殺し屋と復讐少女

 「もしかしたらこういうのは、あんたの方が得意かも知らんが。バレない嘘のつき方って知ってるか?」


 なんとなく、世間一般の貴族の社交界のイメージを抱きながら、俺はそう口にした。


 「……どういう意味で問うてるのかはわからないけど。……そうね、その嘘を本気で信じ込むとか?」


 ボロい部屋の掃除をしながら、そんなことを話し続ける。ちなみに、薄い衝立の向こうで、リザは髪を染めている最中だ。


 「半分正解……だな。残り半分は『できるだけ嘘をつかない』ことだ」


 「…………嘘をつく要素を出来るだけ排除して、バレるリスクを減らすってこと?」


 「大体あってる……教養があるな。まあ、多少無理があっても、必要ない部分は隠さないことだ。隠せばそこには矛盾が生じるし、疑念も生まれる。そうなれば警戒されて仕事どころじゃなくなる」


 とりあえずテーブルは綺麗に拭けた。まあ、この女が気に入るかどうかは別として。


 「例えば……あんたはこれから『家出した貴族の令嬢』になる」


 女の吐息が少しだけ歪んだ。バレてないとでも想ったのだろうか。こんな高貴な身分の人間が供も連れていない時点で、家公認なわけがない。


 「で、『家出したことを隠してる』『だけど生活のために必要だから仕事を探してる』ってことにする」


 「あなた…………」


 「あくまで、そういう体だ。……まあ、多分、あんたは普通にやってりゃあ、嫌でもそういう風に見えてくるよ」


 馬の貸屋でぱっと見ただけで、素性の予測がつくような人間だ。半端に町娘のフリなんてやれば、絶対にボロが出る。


 もちろん、そこら辺のやつは少し所作を気にすれば欺けるかもしれないが、相手はそこそこ名の知れた人間だ。警戒心も強いだろうし、一度不用意な警戒をされたら、それを解くことは難しい。


 だから、可能な限り素性はそのままにする。


 そして、隠した体であえて、それに気付かせる。そこが肝要なのだ。


 自分自身が思案して、可能性を模索する。


 こいつの所作が町娘でないと気付かせる。そしてその実、貴族の令嬢が家出をしているのだと答えを得させる。


 ベールを捲った先の真実を一度、掴ませる。


 そうすれば、人間は驚くほどに、自分自身が試行錯誤を重ねて得た結論に固執する。


 そして一度、違和感の答えを得た相手には驚くほど、警戒心が解かれてしまうものなのだ。


 だから一度、疑わせることに意味がある。


 そして、このお嬢さんの日常の違和感は、その疑念を生み出すのにあまりにもうってつけだ。


 そうやって、あらかた俺の話を聞いた後に、女はぎいと付いたてをどけて顔を出した。


 その手は、オレンジ色の染料にまみれていて、中途半端に拭いた髪も同様の色に染まっているを垂らしながら。


 顔には不満と鬱憤が溜まったような顔をしているが、それでも髪をしっかりと染め切っていた。


 …………やらせといてあれだが、よくやる気になったものだ。


 透けるような金の髪はこの国では貴人の象徴だ。遺伝的に金髪にならない貴族は、わざわざ薬品で脱色して舞踏会に望むなんて話もある。逆にある売春婦の赤子が金髪で生まれて、それを貴族が買い取ったなんて話もある。


 それくらい象徴的なもんだ、腰まである金髪なんて売れば、家の一棟は余裕で建つ。……何より、今使っている染料は質が悪くて、髪が生え変わるまで染め直しもできない。恐らく数年単位で、この女は貴族の社交界にも顔を出せなくなってしまっただろう。


 必要だからという理由でそこまでしたのだ。してのけたのだ。


 どういう経緯かはわからないが、下手をすればそのまま家を放逐されてもおかしくない。……いや、これだけの女に御付きが一人もついていないあたり、よく考えれば、もう家を棄ててきた可能性すらあるのか。


 そこまで人生を投げ捨てて、復讐などやりたいものなのだろうか。


 「これでいい?」


 女はきっと俺を睨みながら、そう告げた。


 多少、染め残しがあるが、それがまあちょうどいい。勘のいい奴はそめたことに気が付く。それくらいがちょうどいい。


 俺は黙って首肯する。


 「残りを洗い流してくるわ。水をちょうだい」


 「その染料はあと二時間はつけておかないと色が落ちるぞ」


 「…………………………それでも水をちょうだい。喉が渇いた」


 不満も鬱屈も苛立ちも。


 溢れるほどには伝わってくる。それでも女は行動を辞めようとは決してしない。


 復讐なんぞしなければ、こんな苦労も知らないで済む貴族の令嬢が、ここまでする意味って一体何なんかね。


 俺は、軽く息を吐きながら、水嚢に入った水をよこした。


 女は最初、少し怪訝そうに水嚢を見ていたけれど、しばらくしたら諦めてそこに口をつけていた。


 ただ待っているのもあれなので、これからの流れを軽く説明しておくことにする。


 「明後日から俺たちは、近場の酒場で働くことになる。おっさんの知り合いの知り合い経由で仕事を紹介されてる。標的はそこによくくるが……、まあ、当分は気にしなくていい。仕事を覚えるので手一杯だろうからな。実際の仕事は、まあ、俺の判断でやらせてもらうよ。一週間で済むかもしれんし、一か月かかるかもしれん。もし隙の少ない奴だったら、一年以上かかるかもな」


 一年、という言葉はあえて多めに見積もって伝えたが、女は水嚢から顔を上げて、軽く首肯をするにとどめた。期間に関して、特に迷いや不満すら持っていないらしい。当たり前だが、俺もこんなスパンで仕事なんぞしたことがない。やって精々数週間だ。それで無理なら諦める。


 復讐という一念においては、驚くほどに我慢強い。そこらの暗殺者が呆れる程度には。


 「明日は一応、俺が軽い身の振り方を教える。あんたは特に何も考えずに、言う通りにしてくれればいい。変に演技もしなくていい、新しい社交マナーでも覚えるつもりでやってくれ。それが一番、自然になる」


 そこまで言ってから、俺は女の顔を見た。


 瞳に揺らぎは特にない。怒りや不満に近い何かはちらついてはいるけれど。肝座ってんなあ。


 「何か質問は?」


 「ないわ。あなたの言っている内容は合理的だから。細かいことは言われた通りにする。ただ、この街での身の振り方、当たり前の過ごし方というのは、明日じゃなくて今から教えて。どうせ髪が染まるまで、手は空いているの。時間は無駄にしたくない」


 「そうか……。まあ、構わないが」


 嘆息をつきながら、少し言葉が喉の奥で詰まった。


 別にこれを聞いても何にもなりはしない。


 むしろ、余計な情報が増えることで失敗の確率が出てしまうことさえある。


 『溝鼠』に好奇心なぞ不向きだ。知ってるえさ場で知ってるゴミを漁ってるくらいがちょうどいい。


 今までのやつらだって、そうやって何も知らないまま殺してきたと言うのに。


 ……それでも気になってしまうのは、依頼人が目の前にいると言う特殊な事情だからか。それともこの女が、明らかに異様な背景をもっているからなのか。


 結局、直感に押されるままに、俺は言葉を口にした。


 「あんた、どうしてそこまで復讐がしたいんだ」


 こんな仕事をしておいてなんなのだが。


 復讐なんて、何も生まない事象だろうに。


 どこまでいったって、過去の何かにしがみついているだけなのに。


 そんな俺の些細な問いに。


 女は少しだけ笑みを浮かべた。


 薄く、小さな、ほんの些細な微笑。


 口角が少し引くつく程度のそんな表情。


 だというのに。


 女は。


 あまりにも。


 凄惨に。


 酷く。


 何か。


 惨たらしいほどの『何か』を抑えたような声で。


 ぽつりと。


 水滴を一滴だけ垂らすように。


 言葉を告げた。


 




 「最愛の人が殺されたの」









 「復讐にこれ以上の理由なんて必要なの?」








 水瓶にワインを一滴垂らしても、香りの一つも変わりやしないが。




 それが猛毒ならば違いはある。少なくともその水は飲めなくなる。




 それはそう言った類の言葉だった。




 知らなければよかったと想った。




 まあ、もう手遅れではあるんだが。

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