第5話 殺し屋と貴族少女

 初見の印象は、ため息の多い男だと思った。


 私への呆れを、仕事のままならなさを特に隠すこともせず。悪びれもなくため息をつく。


 それが依頼人に対する態度かと憤りたくもなるが、無茶を言っているのは承知の上なので、私も黙って言葉を飲み込む。


 過程はどうあれ、あの男に正しく私の復讐を叩きつける。この殺し屋は正しく仕事をこなす。


 必要なのはそれだけだ。


 男は軽く息を吐き終えると、すっと私の前に置いていた小剣を手元に戻した。


 「これは仕事をやるうえで、一つ確認なんだが、本当にこの条件二つは必要なんだな?」


 その言葉に、私は黙って頷いた。


「ハッキリ言って、この条件があることで、仕事自体の失敗する可能性は増えてる。もちろんあんた自身も近くにいることで、怪我や……最悪、命の危険もある。金だって一桁分、安上がりに済むはずだ。……それを踏まえたうえで、この条件じゃないといけないんだな?」


 あくまで、冷静に、事実だけを述べる形で男は淡々と言葉を紡ぐ。


 「ええ。そうよ」


 だから、私も言葉のままにそのやり取りを首肯した。


 男は今度はため息はつかなかった。


 「あんた、名前は?」


 こちらをじっと覗いた瞳が、そこで初めて私と噛み合った。


 「リザ」


 家名は、今、必要ない。


 首飾りも、ティアラも、ドレスも、身を飾る化粧の一つも、今は何一つ必要ない。


 今はただのリザでいい。


 くすんだ瞳の男は、私をじっと見つめていた。


 



 ※




 俺たちはその後、次の日に標的のいる街へと足を踏み入れた。


 砂と岩に囲まれた街、俺の拠点の街と似たり寄ったりな、戦争と武器の街。


 ただ、基本が民間の傭兵と鍛冶師で成立しているあの街とは違って、ここは国の息がかかった組合が多い。


 つまり、ここの武器も、兵隊も、基本的には国同士の戦争に駆り出されるためのものなわけだ。


 なんで、ここはそれだけでかい規模の仕事が多い。必然、傭兵団や、武器屋も規模が大きいものになってくる。メイン通りの看板には『—--軍公認』という看板を背負っているものも、ちらほら見える。一品一品を選ぶ商店というより、数十人単位で武器を用意する、大工房といった印象が近い。


 その中央通りの比較的街の入り口に近い場所を横に抜けて、裏通りの路地に入る。


 表の活気だった雰囲気とは裏腹に、街の路地の先にはどことなくすえた―――何かが腐ったような匂いがする。


 まあ、戦争の街だからな、敗残兵や手足を失くして働けなくなったものも多い。そういうのが作り上げる貧民街だ。何処にでもよくある風景とも言える。


 そんな貧民街の端っこの空き家が、これから俺たちが使う拠点だった。


 斡旋屋のおっさんに見繕ってもらった場所だが、まあ大概ぼろい。廃屋をとりあえず、住める程度に整えた程度でしかない。


 まあ、こんなとこでも雨風をしのげて、寝込みに襲われる可能性が低いだけましなのだ。低いだけだが。


 とりあえず、ドアを開けて明かりもない室内に眼を巡らすと、先客たるネズミたちが何匹か走り去っていった。背後でひっッという依頼人の声が聞こえるが、まあほっておこう。


 ざっと小さな部屋を検分して、侵入者がいないことだけ確認してから、俺はドアを閉めて、荷物を置いた。そこでようやく一息つく。なんだか街との間を馬で移動してくるのは相応に骨が折れる。


 「…………まず、掃除から始めるべきね」


 依頼人がそうぼやくのを聞きながら、俺は小さな椅子に腰を下ろした。


 「それも大事だが……。とりあえず、今後の流れの話をしよう」


 そう……口にしたのだが、依頼人はためらっているようで、椅子に腰を下ろそうとしない。


 ん? と首を傾げたけど、どうやら椅子が何やらよくわからないもので汚れているらしい。黒くてべたッとした……血かな。わからんが。彼女はしばらく迷った末に、懐から小綺麗なハンカチを出して、椅子の上に敷いて座ることにしたらしい。当たり前だが、あれも高級品だろうな、もったいねえ。


 「まずもって、これから俺たちはこの街で生活する」


 まあ、あんまりぼやぼや考えても仕方ないので話を進める。路地裏の部屋は日当たりも悪く、どことなく薄暗い。


 「……ただ仕事をして終わりじゃないの?」


 首を傾げる彼女に、俺は頭を振った。


 「俺一人……なら、それでもいいが。今回はあんたの目の前っていうのが条件なんだろ。女連れのよそ者なんてものは嫌でも目立つ、それじゃあまともに仕事はできない」


 「あなた、凄腕……と聞いたのだけれど? それくらいの条件でできなくなるものなの?」


 女はほぼ無自覚にそう尋ねてきた。半分、煽りのようにも思えたが、どうも純粋に疑問らしい。あのくそおっさん、売り文句に容赦がないからなあ、さぞ盛ったのだろう。どんなところでも、音もなく影もなく殺せるとか、もうちょっと謙遜を混ぜろと言いたい。まあ、混ぜたら仕事が来ないのかも知らんが。


 「あのなあ、多少腕があるとしても、殺し屋がやるのは闇討ち、不意打ちだ。戦場で百戦錬磨の英雄を、酒場の便所で背中を撫でる振りしながら後ろから刺すのが仕事なんだ。正面からやって勝てるなら、俺もさっさとに英雄になってるよ」


 そう言って、もれたため息に、彼女はふうんと納得したのかよくわからない返答をしてきた。自分で言ってて情けなくなる部分もあるが、まあいい、話を続けよう。


 「前提として、不意打ちに必要なのはその場に溶け込むことだ。貴族の社交場に俺みたいなのがいたら誰だって不振に想うし警戒するだろ?」


 俺の言葉に彼女はしばらく、俺の頭から足までをじっと眺めてから、こくんと力強く頷いた。実感が湧いてくれたようで何よりだ。


 「逆にだ。社交場に貴族然としたスーツを着て、小綺麗な男が居たら違和感も少なくなるだろ。その男が周囲の人間と知り合いなら尚のこと。その男はそこにいるのが当たり前、いて当たり前のやつに警戒はあんまりしないもんだ。路地裏にいる物乞いしかり、商店の売り子しかり、な」


 話しながら俺は懐から小剣を取り出した。どこぞの神聖な剣のレプリカじゃない、ただの小剣。例の少年の鍛冶屋で買った代物だから、指で弄ぶと、相変わらず手の中でいとも簡単にくるくると回る。


 「基本、歴戦の猛者って奴らはずっと何かに警戒してる。便所に行くときも、酒を飲んでる時も、女を抱いてる時も、頭の隅っこではずっと警戒してる。刺される心配はないか、死角に立ってるやつはいないか、食い物に毒は混じってないかってな。それがまあ、戦場で生き残る術ってやつだからだ」


 俺の知ってる中には、まじで女を抱いてる時にその女に殺されかけた奴もいる。飯に毒を盛られ過ぎて耐性が出来た奴もいるし、酒を飲んでる時に複数に囲まれて酒瓶で応戦した奴もいる。ある程度名が売れると、そういうことは当然起こる。大概のやつは、英雄にでもなれば、生半可な殺し屋に狙われたことなんて、一度や二度じゃないはずだ。


 そういうやつはずっと警戒し続けてる。


 そうやって警戒し続けてきたから、歴戦の英雄になったともいえる。


 ただ。


 ただ、それでも。


 いつか目の前で、頭に石を打ちつけられた英雄を思い浮かべる。


 「それでも人間だからな、常にくるかもわからない攻撃に完全に警戒できてるわけでもない。どんな英雄も、どんな歴戦の猛者も、戦場でどれだけ強い奴だろうが、綻びはどこかに絶対産まれちまう」


 この世に完璧な人間などいやしない。


 大概の人間が手を胸に当てて考えれば、そんなこと当たり前に気づくだろう。


 神だって、創り忘れや感情に任せた過ちがあるのだ。いわんや人間が……ってやつだ。


 「例えば恋人と抱擁をしてる時」


 「例えば酒場で他人の喧嘩を眺めてる時」


 「例えば朝起きぬけの水を飲む時」


 例えば大事な何かを目の前で失った時。


 「どこでもいい、そういう綻びの隙間に剣を少し置いておく。それだけで人は殺せる。……そういうのが、俺の仕事だ」


 小剣を軽く指ではじいた。そいつは空中で二・三回転してから、革製の鞘にすとんと落ちてきた。


 「そのために、そいつの日常の中に溶け込む必要がある。あんた、人間が一番警戒しない相手って誰だか知ってるか?」


 「…………さっきの話で言うなら、一番、その場にいて違和感がない人ってこと?」


 俺はゆっくりと首を横に振った。


 まあ半分は正解なんだが。俺も大概はそういう手段をとる。武器屋の多い町じゃ武器屋の見習いに扮したり、交易が盛んな街じゃ流れの商人の格好をする。


 でもまあ、それは違和感が生まれないのならという話だ。


 「もちろん、できるんならそうする。ただ今回、俺とあんたじゃ上手くは溶け込めない。女連れのよそ者なんてのは、どう取り繕っても溶け込み切れない」


 だから。


 「人間が一番警戒しない相手っていうのはな」


 いつかの誰かがふと瞼の裏にこびりついた。


 「一度疑って、その後信じた人間なんだ」


 嫌な記憶がじわりと滲む。


 「違和感を抱えたまま、相手の目の前に現れる。その上で、相手の信頼を得る」


 対面の彼女の顔も、どことなく優れないほうに、ぎりっと歪んだ。


 「いいか? リザ、俺とあんたは、これからあんたが殺したいほど憎んでる相手の日常に入り込むんだ」


 小剣を懐にしまった。


 「最初は疑われる。でもそれでいい、少しずつ誤解を解いていく。そうして相手の警戒が解かれるのをただじっと待つ。標的が俺たちの前で、なんの警戒もせず酒を飲むようになるまでが勝負だ」


 恐らく、当分、剣を使うことはない。


 話を聞いた時点で長い仕事にはなると思っていた。


 いつものようにその場にいる人に扮して軽く刺すでは終われない。


 乗り越えるためのハードルがある、踏み越えるための障害がある。


 一つ一つはくだらないように見えるそれを、ただ飽きるほどに積み上げるしかない。


 …………我ながら、あまり向いていないことをしている気もするが。


 少し、対面の彼女の顔を窺った。最初は少し困惑していたようだが、今ではその眼には仄暗い決意が滲んでいる。


 「話は分かった。それで具体的に何をするの」


 何がそこまで彼女の背中を押すのか。


 何がそこまで彼女を駆り立てるのか。


 興味があるような気もするが、深入りはしないほうがいいんだろうなあ。


 少しだけ聞いてみたい気もするが。


 俺は椅子から腰を上げると、何気なく、彼女のフードを後ろにどけた。


 え。と彼女の声が漏れるが、そのまま無視してその顔を検分する。


 髪……は、軽く染めて茶色にでもするとして。瞳……は、どうしようもないな。まあ、赤色の瞳がいないわけじゃないし。金の髪とセットでなければそこまで深い意味は持たない。肌が綺麗すぎるのは……いかんともしがたいが、一周回ってこのままでいいか。


 よし、と軽くあたりを着けた。とりあえず髪染めだけ、後で荷物から引っ張り出しておこう。



 「とりあえず、あんたを酒屋の看板娘にでもしようか」



 さあ、長いのか短いのかわからない暗殺生活の始まりだ。

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