第3話 殺し屋と鍛冶少年

 鍛冶師の少年は、眼をぱちくりと瞬かせた。


 売り子の少女は、表情がすとんと抜けた。


 来客の男は、どこか困ったように頭を掻いた。


 「特別注文オーダーメイドですか……?」


 鍛冶師の少年は手渡された図面をじっと見た。


 売り子の少女は手渡された革袋に入った金貨をぎょっと見た。


 「……だめだったか?」


 「いえ、やります! やらせてください!」


 男の問いに、少年は力強く答えると、指が一つ欠けた右手をぐっと握った。


 少年はこの鍛冶師の街で、売り子の少女と小さな鍛冶屋を営んでいた。


 どういうわけか小剣ばかり売るその店は、男の数少ないお気に入りの店だった。小剣を割と使い潰す男は、しょっちゅう新しい剣を買い替えるので、そこそこ常連だったりする。小さい店だから、男の顔も店側の二人もよく知っていた。


 まあ、どう考えても怪しい仕事なのだが、少年が気前よく引き受けてくれたことに男は安堵した。ただ同時に、面倒事に巻き込んでいないかだけが少し心配になる。


 現に今、引き受けた少年とは裏腹に、売り子の少女は少し険しい表情で、何か耳打ちをしていた。……これはもしかしたら、意見が翻る流れかもしれない。今、即答した少年にそこらへんの危機意識が乏しいから、この少女が実質的に店の切り盛りをしているのは、男にもなんとなく感じられた。


 まあ、それもまっとうな判断だ。知識さえあれば、これがどこぞの国の『神授の剣』だということは見て分かる。そうでなくても、意味深な依頼だ。そして、この手のものが利用されることがろくな案件なわけがない。男や少年のような一市民のやり取りではなく、もっと上の所から降りてきた仕事の場合、何が行われるのか安全の保障は終ぞない。


 断られるかもなあという想像に、男は軽く嘆息をついた。


 これからこんな調子で何件も鍛冶屋を回るようなら、おっさんに伝手を探して頼む方が早いのかもしれない。しかし、あのおっさんその手の紹介料はちゃっかり取っていくのだ。


 などと考えているうちに、少年はそっと男を向いた。


 浅黒くまだ幼さが残る瞳を男に向けながら、ぐっと握っていた掌に力を籠める。


 その眼には少しの迷いと、わずかな決心がちらっと見えた。


 対して、傍に立つ売り子の少女はどことなくぶすっとした顔をしていた。


 何やら意見の食い違いがあったようなのは、確かだった。


 「あの……常連さん。この仕事をやる前に尋ねたいことがあるんですが、よろしいですか?」


 男は内心深く嘆息した。


 これは予想が当たってしまったかもしれない。


 つまり、まあ、断られる流れだ、これは。


 少年が、『これは何に使うんですか?』とそう問うだけで、男は返す答えがなくなる。


 恐らく相応に重要な要人の暗殺、などと口が裂けてもいえるはずがない。


 まったく、困ったものだった。


 最悪、あの実用的でないレプリカを使う所まで視野にいれなくてはならない―――。


 そう、男が考えている最中、少年はまっすぐと男を見て口を開いた。




 「―――どうして、僕を選んだんですか?」




 ……、少しだけ意外な答えが返ってきた。


 少しばかり拍子が抜けて、肩の力も降りてしまう。


 反対に売り子の少女は、やれやれという風に額に手をやっているわけなのだが。


 男は少しだけ困ってから、自分の懐にあった小剣にそっと手を当てた。


 それはこの少年の店で買った剣だ。


 少し変わった剣で、ぱっと見は他の小剣と特に違いはないのだが……なんというか、独特の重心をしている。


 それゆえか、手に吸い付くように回る。振るときもその独特の重心で小回りが利いて扱いやすい。


 少し迷ってから、想ったことをそのままに告げた。


 いい剣だ、と。だから君に頼みたいと。


 そう告げると、少年は少しだけ顔を赤くしてから、力強く頷いてくれた。


 よかったと男は、少し安堵する。


 依頼主の意向によっては、不用意に秘密を知られる可能性があるのなら―――なんてこともあり得る。


 その心配を正直に告げると、少年は優しげに笑った。


 「鍛冶屋にも守秘義務があるんで、そこらへんは大丈夫です。このことは誰にも言いませんし、受け渡しの際も見られないようします。作成過程ももちろん、ここは僕一人の工房なんで問題ありません」


 「ああ……そうか。正直、助かる」


 余計な仕事は増やしたくないし、何より馴染の鍛冶屋がなくなるのは忍びない。


 そうやって安堵の息を吐きながら、男はぼんやりと鍛冶師の少年を見ていた。


 彼は早速だが図面を広げて、あれやこれやと考えているみたいだ。その横で少女は少しだけ疲れたような顔をしながら、男にそっとお茶のお代わりを淹れてくれた。


 そのまま立ち去るかとも思ったが、少女は少しばかり迷ってからふうと息を吐くと、少年の方を遠目に眺めはじめた。


 「―――暗殺も大変ですね」


 それから、どこか冷たい目でそう告げた。


 男は思わず口を噤んだ。


「そんなに気まずそうな顔しないでください。この街じゃあ珍しくもないでしょう」


 そういう割には、少女の言葉には棘があり、どことなく忌々し気に何かを噛み潰すような顔をしていた。


 禍根があるのは聞かずともよくわかった。恐らく……という枕詞すら必要ないだろう。この子は暗殺で何かがあったのだ。


 ここは傭兵と鍛冶師の街。


 鉄と火と、血潮の街。


 昨日の飲み友達が敵になるのも、味方になるのも、命の恩人になるのも、最期の仇敵になるのも。全てがありふれた、そんな街。


 命が金で買われ、命が金で売られるそんな街。


 殺し屋という仕事も、暗殺という手段が軽蔑こそされ、ありふれた職業の一つでしかない。


 「暗殺で嫌な想い出でも?」


 男は少女にそう尋ねた。分かりきった質問だな、と男は口にしてから少々嫌気がさした。


 「肉親が、酔っぱらってる時に通り魔に殺されました」


 そんな男に、ぶっきらぼうに少女は答えた。


 悲しい……だが、ありふれた話だった。やられたのが通り魔、というのも含めて。暗殺と断定されない仕事は、大概通り魔のせいにされるのだから。そちらの方が色々と都合がいいのだ――――色々と。


 「そうか……」


 「こんな街です。別に恨みはないですよ、あなたに言っても、多分、お門違いですし」


 「…………」


 「傭兵は死んで当然、殺した分だけ恨みも買うから。


 鍛冶師も同じです。


 ひとたび剣を創ればそれは持ち手を殺すか、その敵を殺すかの二択にすぎない。


 誰かの恨みを買うことも当然、どこかで産まれてくる。


 うちの肉親も、そうやって誰かの恨みを買ったんでしょう、だから仕方ないって分かってます。繰り返しても、きりがないから仇を討とうとも想いません」


 そう言って、少女は少しばかりため息をついた。


 ここは傭兵と鍛冶師の街。


 誰かの生と誰かの死を金で買う、そういう街。


 殺し殺されが当たり前、友の仇さえ酒を飲んで忘れろと、誰かが謡う。


 傭兵稼業は死に稼業、腹に剣が刺さったらそこで終いだ、笑って逝こうと、誰かが謡う。


 俺の仇は飲んで忘れろと、誰かが謡う。


 この街は、そういう街だ。


 「でも、好きにはなれませんよね」


 たとえ、どれだけ頭でわかっていても―――。


 少女はそう言って、軽く笑った。


 男はその言葉に特に答えを返すことができなかった。


 彼が台無しにしてきた命の数は、酒をいくら飲んだところで忘れられそうにはなかったから。


 たとえそれが、忘れた方が身のためだと、頭でわかっていたとしても―――。


 そうして湿っぽくなった二人とは対照的に、少年は宝物でも眺めるようにレプリカの剣と図面を見比べては目を輝かせていた。


 どう造れば扱いやすいか、どう打てば丈夫になるか、持ち手の重心は、装丁と実用性の両立は―――。


 そんなことをブツブツと呟きながら、図面に必死にのめり込んでいた。


 あまりにのめり込み過ぎて、先ほどから口に当てているコップが既に空っぽなのにも気付いてない。


 その姿に耐えきれずに、少女と男は吹き出した。


 「―――なあ、あれを見てたらたまにどうでも良くならないか?」


 「―――ですね」


 恐らく一生かけても男と少女は分かり合えないだろう。


 男は加害者側の人間で、少女は被害者側の人間だ。

 

 宝石を砕いて台無しにする人間と、物を磨いて宝石にする人間、立場があまりにも違いすぎるだろう。


 わかり合いたいとさえ思ってもいないだろう。


 ただ、それでも今だけは同じものを見て笑っていた。


 少年は今日も、想うがままに剣を打つ。



 ※



 

 まあ、意図的にそういう注文を付けたのだが。


 切っ先も鋭いし、軽いわりに耐久もしっかりしている。加えて、少年の剣の独特の取り回しやすさもある。


 手の中で軽く回すと、手のひらに吸い付くようにくるくると回転する。


 その様を見て、少年と少女はおおーと感嘆の声を漏らした。


 感心してもらっているところ悪いが、実用的でもない大道芸だ。金の足しにもなりはしない。


 「助かった、お代は約束通り」


 「はい、確かに」


 少年の代わりに少女は俺が差し出した革袋受け取った。彼女が中身を改めている間に、俺は外套の懐にその小剣を収めた。


 「でも、こんなに軽く仕上げてよかったんですか? 婦女子の護身用か何かの予定だったり……?」


 少年は、少しだけ首を傾げると俺にそう尋ねた。俺はうーん、と呻き声を漏らしながら、懐に入れた小剣を握る。


 「まあ、基本的には俺が使うんだが、一応、万が一の時に他の誰かが使えるように……かな」


 「はあ」


 「まあ、仕事の話だ。深くは聞かないでくれ」


 「……ですね。わかりました」


 そう言った後、俺は軽く手を振った。


 「じゃあな、助かったよ」


 「いえ、こちらこそありがとうございました。僕を頼っていただいて」


 「……頼られた側なのに礼を言うのも変な話だな」


 そう言って、俺は少年と別れた。ちらりと少女の方を見てみたが、革袋の中身にご満悦な様子で俺のことなど気にも留めていなかった。


 そんなもんか、そんなもんだな。


 まあでも、それでいいさ。


 彼らはきっと、今日も明日も、何かを培い積み重ね続ける。


 自分自身の出来る限りを延々とまるで、毎日毎日、同じを宝石を磨き続けるように。


 やがてそれは、確かな輝きを持った何かへと姿を変える。


 それがどこか誇らしくもあり、羨ましくもあり。




 ――――虚しくもあった。




 懐の小剣をぎゅっと握った。


 さあ、仕事だ。


 どこぞの英雄を、途方もないほどに積み上げた功績を、どこかのだれかの輝かしいほどの人生を。


 壊しにいこう。


 蟻の小さな一噛みで、路傍の石の下らない一投で。


 全部全部、台無しにしてしまおう。

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