マティーニの横に銃口を
西野ゆう
第1話
「
ショートグラスに満たされた透明の液体。底にはオリーブが沈み、そのオリーブにはシルバーのピックが刺さっている。ピックのヘッドには名も知らぬ花が咲いている。そのピックを人差し指で抑えながら、グラスを口へ運ぶ男。不満を漏らしていたマティーニとは違い、飲み慣れた味にほっと息をつく。
「東京のバーだろ? ジャパニーズに合わせた味にしていたんだろうよ。好みの問題さ」
バーテンの最後の言葉に対して、正にそれだと言わんばかりに、オリーブを口に放り込んだ後に、ピックをバーテンに向けて二度三度タクトを振るように動かした。
「それだよ。聞いて驚いたんだが、日本でもジンを作っているらしい。正に日本人好みのジンを作っているわけだ。それをそのバーでは使ってるんだとよ」
「ケンブリッジでも
常連のその男は、三口でマティーニを飲み干すと、巻きタバコを懐から出した。
「そりゃあ、どっちだ?」
マスターが尋ねる。
「
マスターと壁際に座る常連の男がそういうやり取りをしていると、カウンターでひと席空けて座っていた男女が、男に興味を持って見ていた。そして、男が最初の煙を肺から吐き出したとき、近くに座っていた女の方が話しかけた。
「こんばんは。あなた、東京に行っていたの?」
常連の男は、女をチラリとみて、タバコをくわえた。そして、深く息を吸う。次に吐いた息では声は出さず、煙だけ出した。
「マスター、もう一杯」
男はそう言った後、女の方にようやく身体ごと向けた。
「先週帰ってきたばかりさ。あんた、日本人かい?」
黒い髪に黒い瞳。肌の色はロンドンの女が羨ましがるような良い色に焼けている。
「ええ、そうよ。でも、東京なんて都会育ちじゃない。カントリーサイド。ロンドンじゃ誰も知らないような小さな町に住んでた。五年前までね」
女はそこまで言うと、肩から腕を絡ませてきた男を見上げるように振り向き、キスをした。どうやら、隣の男は旦那のようだ。
「旦那の方は地元かい?」
「いや、俺はスコ
「カントリーサイドね。俺もそういう方が好きだね」
「あら、どこか実際行ったのかしら?」
男はタバコをふかす。そして記憶をたどるように上を見上げ、煙が消えていく様子を見ている。
「あそこは素晴らしかったね、京都のバンブーロード」
「ああ、嵐山。ふふ、私にとっては、京都は都会だと思うけどな」
「じゃあ、お嬢さんはどこの生まれなんだ?」
女は分かるはずもないと思いながら、スマートフォンの地図を準備しながら答えた。
「周防大島。山口県よ」
「ああ、陸奥が沈んだ所か」
男の答えに、彼女は目を丸くした。男の言った陸奥とは、第二次大戦中、原因不明の火災で沈んだ戦艦陸奥のことだ。
「良く知っているのね。もしかして軍関係の人?」
男は隠す理由もなく、本当のことを答えた。
「うちの爺さんがな。ボケちまった後、何度も話して聞かせてたよ。自分たちたった四人で沈めたって自慢してね。もちろん、誰も信じちゃいねえ」
男は苦笑しながらそう言って、新しく出されたマティーニに口を付ける前にタバコを消し、新たな一本を巻き始めた。
巻紙を舌ではなく、飲み干したマティーニのシルバーピックで湿らせる。そうしていると、新たな客が来た。男ひとりの客だ。
「いらっしゃい。おい、悪いがお話しする間柄になったんだ、そこを詰めてもらえるか?」
言われて常連の男が、周防大島出身という女の方にずれて座った。代わりに今来た客が壁際に座れるよう、テーブルに置いていたタバコとマティーニも滑らせるようにひと席分ずらす。そして男がテーブルの上のスマートフォンに触れたとき、その電話が鳴った。
男は画面を見ながらタバコに火をつけ、ひとつ大きく吸い込んだ後、電話に出た。
「ああ、大丈夫だ。ただ、ちょっと待ってくれよ」
男は火のついたタバコを灰皿に置き、オリーブをピックごと咥えた。そしてマスターに目配せして、電話を手に店の外に出た。
それを見届けて、マスターは夫婦の方へ身体を向けた。
「レストルームはあの柱の奥だよ」
マスターが日本人の女に、ゆっくりと大きめな声で言った。まるで英語が苦手なジャパニーズに話すように。
「え?」
女が突然の言葉に聞き返す。マスターにとっては、逆にその反応がありがたかった。
「通じないか……。さあ、案内しよう」
マスターは連れの旦那にも見えるように目配せして、カウンターから出て二人を案内した。
カウンターに残されたのはひとりの男と、消し忘れたタバコ。
そのタバコがフィルターに近づいたとき、激しい煙が噴き出し、カウンターの男はむせ返った。
「ロンドン市警だ」
常連の男が相手の首にピックを押し当てながら言った。
マティーニの横に銃口を 西野ゆう @ukizm
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