網膜を焼く火
eLe(エル)
第1話
私はお父さんのお墓の前で祈りを捧げていた。
「今までありがとうございました」
ゆっくりと立ち上がってから、墓前に添えたお父さんの好物、それとピースというタバコを眺めていた。
左肩に出来た青アザを摩る。タバコをジッと見ていると、途端に目の前が真っ白になり、過呼吸になっていた。
「ごめ、ごめんなさい……ごめんなさい」
何度か咳き込んで、その場に崩れ落ちる。墓地には私一人だけだ。誰も助けてはくれない。
私は心の中で、お父さんに助けを求めた。もう会えないお父さんのことを思うだけで、目に涙が溜まってしまう。
少し落ち着いてから、もう一度お墓を眺めた。お父さんが恋しくて、縋るみたいに未開封のピースに手を伸ばした。
慣れない手つきで一本取り出し、線香に火をつける為に持ってきたライターを使う。先端が赤らんでいく。これで良いのかと不安なまま、タバコに口付けた。そしてゆっくりと吸い込んでいく。
「ッ!!! ゲホッ、ゲホッ……!!」
分かっていたのに、咽せてしまう。苦いタバコの味が目に沁みる。それでも、少しずつ鼻に抜けていくこの香りは、紛れもなくお父さんのものだった。
お父さん、どうして死んじゃったの。
お母さんは生きてるのに、どうしてお父さんだけ。
自棄になってもう一口吸うと、今度は肺が苦しい。耐えきれず激しく咳き込む。
頭がクラクラして、心臓が慌ただしい。涙が止まらない。
私は走馬灯みたいに、あの頃を思い出していた。
*
私には五つ下の妹がいた。
けれどその子は、死んでしまった。交通事故だった。
それを聞いて、お父さんは心から喜んでた。お母さんは何も言わない。
どうしてだっけ。
そうだ、思い出した。
妹は度々に、殴られていたから。お父さんに何度も殴られて、タバコを押し付けられて、泣き叫んでいた。
私も同じ。でも、妹の方が嫌がるからって、お父さんは嬉しそうに妹ばかり虐めた。私はそれが怖いからお父さんに言われる事、何でもやった。逃げられないようにしたり、わざとお父さんが怒るように密告したり。
そしたらお父さんは、私の事は狙わなくなった。
良かった。
お父さん、ありがとう。
心の中ではいつも笑顔。それでも日々聴こえてくる悲鳴は、私の心を引き裂き続けていた。
そんなある日、妹は泣きながら家を飛び出した。妹の立場ならそれはそうかもと、私は妹のことを考えるのをやめて、不機嫌なお父さんに殴られないことだけを考えていた。
そのまま妹は帰ってこなかった。トラックに轢かれて、即死だったらしい。
お陰で保険金が入って、お父さんは笑顔だった。
お父さんが笑顔なら、殴られることも無いから、幸せな日々だった。でも、今度はお母さんが。いや、私?
いや、それだけは。お願い、お願いお願いお願い。痛くしないで。
その夜、恐怖に震えていた。
——家が燃えていた。
殴られずに済んだ翌日、私が学校から帰ってきたら、家が燃えていた。なんで、どうして。お父さん、お母さん? お父さん!!
すぐに消防車が来た。私はただ、目の前の炎から放たれる想像以上の熱気に晒されながら、左肩を摩って立ち尽くしていた。
*
あぁ、そうだった。
お母さんは、助かったんだった。
出火原因はタバコの火の不始末。お父さんはいつも、ちゃんと消してなかったよね。
「あれ」
おかしいな、涙が止まらない。手に挟んだタバコを落としてしまって、手が震えてることに気がついた。
感情が押し寄せてくるのが分かる。何、怖い。嫌だ!!
蹲ったままの私は、ゆっくりと目を開けた。そこにはまだ煙を揺らめかせ、微かに赤く光るタバコが有った。
「お父さんは……死んだ……」
そうだ。これで、もう何も怖くない。
本当に?
手を伸ばして、石畳に落ちているタバコを拾っても、すぐにまた落としてしまう。
湧き出てくる感情に、理解が追いつかない。これはなんだろう。沸々と燃えるような焦燥感。
怒り?
私は、怒ってる。怒ってる?
怒ってるよ。妹の事も、お母さんの事も、私の事も。当たり前だよ。どうして気づかなかったの。
でも、死んだんだからいいじゃん。いや、そんなんじゃ収まんないでしょ。だって、殺されたようなもんだよ。私だって危なかった。
それにお母さんだって、見て見ぬ振りしてたんだ、同罪だよ。どうせならお母さんも——
「違う!」
私は怖くなって叫んだ。肩で息をしながら、ふと足元に落ちていたタバコを踏んづけて、火を消した。
何度も、何度も。
「はぁ、はぁ……私は……」
混乱した私は、帰る事を決めた。それでもふと墓前を見れば、お父さんが何かを言いたそうに、
「どうせなら、もう一本どうだ?」
なんて、笑顔で手招きしてるようだった。
あの煙臭い匂いが蘇る。
私は揺らいだ。けれど、
「……今まで、ありがとうございました」
そう言って、逃げるみたいに墓前を後にした。
心の火を何度も何度も消しているのに、いつまでも燻り続けているような気がして。
私はふらふらしながら、左の肩を摩っていた。
お父さんと同じ笑みを湛えて。
*
網膜を焼く火 eLe(エル) @gray_trans
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