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  • 少し見えてきたように思います。

    ここから「愛」の定義へと向かうのなら、貴方自身の「創作愛」「ギター愛」「家族愛」をその定義を使って、どうひも解くのか、イジワルな言い方をするなら、どう自分をマナイタに乗せるのか、己自身の聖域なき言及が、どれだけ成されるか、そしていかに暴論の暴たりうるのか、ということを見届けたいと思います。

    これは私の考えなので、別に他人には期待していませんが、「他人を殴っていいのは、自分のその拳の痛みを知っている者だけだ」と思っています。
    なお、その痛みが性癖の開示で事足りるとは、残念ながら思いません。なぜなら開示は単なる露出プレイという別の性癖の一種に過ぎない場合があるからです。

    作者からの返信

    ありがとうございます。実は、私が本稿で語っている事はわざわざ書いて公開する程の物では無いかも知れないです。みんなたぶん内心では知っていて、恥ずかしいからわざわざ語ったりしないだけなのでは、とも思ってます。しかし、それでも語って置きたい。分からなくなる前に書いて置きたい。

    「創作愛」は他作を読むと分かりますが変身願望以外の何物でも無いです僕の場合。「ギター愛」は弾き語ることで憧れそのものに成り切るという変身願望です、凄く気持ちいいです。「家族愛」はもう、家族は自分そのものですよ、嫁も、子供も、自分です、だから、とても大切なんです。

    ところで「ギター愛」・・ありがとうございます、他作まで読んで貰えて、とても嬉しいです。

    他人を殴っていいのは、殴られる痛みを知っている人・・・なるほど、でも殴られる痛みを知っていても殴っちゃいけない、というのが本来の僕の立場です、本来の―――。「大暴論」という言葉を使っていますが、正直に言えば「キャッチーな言葉で目を止めさせたい」という僕の幼稚な打算です。すみません。

    さて、ここからも、更に僕の幼稚な「愛情論」が展開していきます。愛とは厳しい環境を生き抜く人間という生き物の、切羽詰まった哀しい本能です。しかし浅ましく哀しいものだから、時に美しく輝きを放つのではないか、とも思っています。本稿はエッセイですが、小説においては、生命の放つ一瞬の煌めきを「言葉」で切り取りたい、それをなんとかして成し遂げたい、と常に願っています。

    愛は、人によって様々な重要性を帯び、故に僕の語ることは時に誰かを傷つける可能性もあると思います。すみません。しかしそれは僕の意図するところではありません。意図するところではありませんが・・・それでもたぶん最後まで書きます。まあ、行き当たりばったりの、おやじの妄言です。

    編集済
  • 現実的に言えば映画やアニメの主人公の容姿がかわいらしくなければ興行は成り立たないのだろうと思います
    仮に老婆を描いたとしてもどこかにかわいらしさを残さないと生理的に観客は離れていってしまうでしょう
    この事実に反論しようとした時に、「では花はどうして美しいのですか?」と問われてわたしには返す言葉が今のところはありません😅

    作者からの返信

    花の美しさ・・なるほど、そうですね。じ、実は僕・・花の美しさはよく分かりません。色とか「きれいだな」とは思うのですが。

    飼っている犬を撫でてて、ああ僕は今、子供の頃の自分を撫でているな(深層心理的に)と思うことはあります。可愛い可愛いと撫でているのですが、心の奥の方にヒヤッと冷たい哀しみがあります。「でもこいつは実際のところ子供の頃の僕じゃない」と、やはり分かっていて、それを何処かで無視しようとしているんだと思います。

  • わたしはプリンスの‘If I was your girlfriend’という曲がとても好きです

    ですのでこういう感覚はとてもよくわかります

    ただ、優生、という部分についてはわたしは「醜い花」や「Lotus & Moon」という小説で真逆のことを書いてきていますので、とても難しいテーマに取り組んでおられることがすごいと思います

    作者からの返信

    ああ、naka-motooさん、読んで頂きありがとうございます。私は優生思想に与する者ではありませんが、恋愛や性愛がどういう段階を踏んで成立するのかを考える時、避けては通れないような気がして、自分でもある種の嫌悪感があるのですが、自分の嫌悪すべき本性を見据えて、書き進めていこうと考えています。naka-motooさんの作品はすべて「この残酷な世界で、人はどう在るべきか?」の答えを直接指し示す、ある種「天啓」のようなメッセージが込められています。地に苛烈に撃ち付ける雷(いかづち)のような言葉たちです。しかし私はまずは本稿に於いては、下卑た人間の本性をそのまま語りたいと考えています。そしてその卑俗、卑猥な人間の本性が、時に奇跡的な美しさを放つ時がある、と思っています。まあ、下卑た人間の本性、とか書きましたが、たぶんこれ、僕だけの、僕固有の性癖を語っているだけのような気もして、なんだか恥ずかしいです。

  • 賛否はともかく、どこに着地するのだろう、という興味でフォローしています。
    欲望の対象への変身願望、というキーワードは、注目に値すると思います。ググることによる理論付けが欲しいところです。

    キャッチに「覚悟」とありますが、それは「応援コメント」や「近況ノート」で反論される覚悟、という意味ですか?
    それとも、何かカタチになる反論は勘弁してほしいし、規約に沿って褒めたたえる行為のみ求めているけど、どう感じるかは個人の自由だ、という意味でしょうか?

    作者からの返信

    お読みいただき、ありがとうございます。一体どこに着地するのか?今しばらくお付き合い頂ければ幸いです。「炎上覚悟」は、この文章が思慮・配慮を少々欠いた、やや乱暴な内容であることを自覚しています、という意味です。もちろんコメント欄への反論も自由です。また、よろしくお願いします。メッセージ、とても励みになります。

  • 刈田さんってもしかしたら、倒錯的エロ師匠かもしれないと思いました。
    (語彙力が無い)

    作者からの返信

    ありがとうございますっ!ここからますますヒートアップしていきます!人は、子供と自分が別人であると頭では理解していても、本能の領域では区別していないんじゃないか?子供も自分の一部、というか、だからこそ変身願望の延長線上に性衝動があるのではないか?とけっこう本気で思っています。

  • 子供が十人もいると、嫌でも自分がどの子供に目が行くか分かりますね。三人でも、そういうところはあります。それを相性だと言うのは誤魔化しで、結局は、自分に似た子供を一番愛するのでしょう。そして余った分を他の子供に与える。
    余りが無い場合は、その”愛”の形がむき出しになるんだと思いました。

    作者からの返信

    きのこさん、読んでくれてありがとうございます。すみません、なんだか思慮の浅い文章を書いている自覚はあります。傷つく人も、或いはいるかも知れません。この文章、PVが現時点で「6」で、たぶんきのこさん以外にはおそらくほぼ誰も読んでないのですが、PVがつかないのを見て、毎日ちょっと安心する、そんな不思議な文章です。(作品と呼ぶのには自分でも抵抗がある)愛という問題は微妙で、人によってその大切さ、切実さが違うため、故に誰もが、正面から書くのを躊躇ってしまうのだと思います。しかし人生は有限なので、この思い付きを書けるうちに形にしておきたい、と思い、思い切って筆を執っています。無理のない範囲で、読んで頂ければ、と思います。この先、僕自身の(一般論として書いてるけど、やっぱりこれ、僕自身の話です)エゴがむき出しになってきて読みづらくなる予感があります。エロいし、ちょっとキモチワルイかも知れません。

    編集済