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2022年8月19日 13:04
少し見えてきたように思います。ここから「愛」の定義へと向かうのなら、貴方自身の「創作愛」「ギター愛」「家族愛」をその定義を使って、どうひも解くのか、イジワルな言い方をするなら、どう自分をマナイタに乗せるのか、己自身の聖域なき言及が、どれだけ成されるか、そしていかに暴論の暴たりうるのか、ということを見届けたいと思います。これは私の考えなので、別に他人には期待していませんが、「他人を殴っていいのは、自分のその拳の痛みを知っている者だけだ」と思っています。なお、その痛みが性癖の開示で事足りるとは、残念ながら思いません。なぜなら開示は単なる露出プレイという別の性癖の一種に過ぎない場合があるからです。
作者からの返信
ありがとうございます。実は、私が本稿で語っている事はわざわざ書いて公開する程の物では無いかも知れないです。みんなたぶん内心では知っていて、恥ずかしいからわざわざ語ったりしないだけなのでは、とも思ってます。しかし、それでも語って置きたい。分からなくなる前に書いて置きたい。「創作愛」は他作を読むと分かりますが変身願望以外の何物でも無いです僕の場合。「ギター愛」は弾き語ることで憧れそのものに成り切るという変身願望です、凄く気持ちいいです。「家族愛」はもう、家族は自分そのものですよ、嫁も、子供も、自分です、だから、とても大切なんです。ところで「ギター愛」・・ありがとうございます、他作まで読んで貰えて、とても嬉しいです。他人を殴っていいのは、殴られる痛みを知っている人・・・なるほど、でも殴られる痛みを知っていても殴っちゃいけない、というのが本来の僕の立場です、本来の―――。「大暴論」という言葉を使っていますが、正直に言えば「キャッチーな言葉で目を止めさせたい」という僕の幼稚な打算です。すみません。さて、ここからも、更に僕の幼稚な「愛情論」が展開していきます。愛とは厳しい環境を生き抜く人間という生き物の、切羽詰まった哀しい本能です。しかし浅ましく哀しいものだから、時に美しく輝きを放つのではないか、とも思っています。本稿はエッセイですが、小説においては、生命の放つ一瞬の煌めきを「言葉」で切り取りたい、それをなんとかして成し遂げたい、と常に願っています。愛は、人によって様々な重要性を帯び、故に僕の語ることは時に誰かを傷つける可能性もあると思います。すみません。しかしそれは僕の意図するところではありません。意図するところではありませんが・・・それでもたぶん最後まで書きます。まあ、行き当たりばったりの、おやじの妄言です。
少し見えてきたように思います。
ここから「愛」の定義へと向かうのなら、貴方自身の「創作愛」「ギター愛」「家族愛」をその定義を使って、どうひも解くのか、イジワルな言い方をするなら、どう自分をマナイタに乗せるのか、己自身の聖域なき言及が、どれだけ成されるか、そしていかに暴論の暴たりうるのか、ということを見届けたいと思います。
これは私の考えなので、別に他人には期待していませんが、「他人を殴っていいのは、自分のその拳の痛みを知っている者だけだ」と思っています。
なお、その痛みが性癖の開示で事足りるとは、残念ながら思いません。なぜなら開示は単なる露出プレイという別の性癖の一種に過ぎない場合があるからです。
作者からの返信
ありがとうございます。実は、私が本稿で語っている事はわざわざ書いて公開する程の物では無いかも知れないです。みんなたぶん内心では知っていて、恥ずかしいからわざわざ語ったりしないだけなのでは、とも思ってます。しかし、それでも語って置きたい。分からなくなる前に書いて置きたい。
「創作愛」は他作を読むと分かりますが変身願望以外の何物でも無いです僕の場合。「ギター愛」は弾き語ることで憧れそのものに成り切るという変身願望です、凄く気持ちいいです。「家族愛」はもう、家族は自分そのものですよ、嫁も、子供も、自分です、だから、とても大切なんです。
ところで「ギター愛」・・ありがとうございます、他作まで読んで貰えて、とても嬉しいです。
他人を殴っていいのは、殴られる痛みを知っている人・・・なるほど、でも殴られる痛みを知っていても殴っちゃいけない、というのが本来の僕の立場です、本来の―――。「大暴論」という言葉を使っていますが、正直に言えば「キャッチーな言葉で目を止めさせたい」という僕の幼稚な打算です。すみません。
さて、ここからも、更に僕の幼稚な「愛情論」が展開していきます。愛とは厳しい環境を生き抜く人間という生き物の、切羽詰まった哀しい本能です。しかし浅ましく哀しいものだから、時に美しく輝きを放つのではないか、とも思っています。本稿はエッセイですが、小説においては、生命の放つ一瞬の煌めきを「言葉」で切り取りたい、それをなんとかして成し遂げたい、と常に願っています。
愛は、人によって様々な重要性を帯び、故に僕の語ることは時に誰かを傷つける可能性もあると思います。すみません。しかしそれは僕の意図するところではありません。意図するところではありませんが・・・それでもたぶん最後まで書きます。まあ、行き当たりばったりの、おやじの妄言です。