ジョーク・グッズ

渡貫とゐち

姉妹と目薬

「——なにこれ全然使えないじゃないこの目薬ぃっっ!!」


「目薬に罪はないでしょ。問題なのはお姉ちゃんのその不器用さじゃない? どうしてそう何度も挑戦して全部を床に落とすかな……、泣いてるの?」


 お姉ちゃんの足下にはぽたぽたと落ちた水滴が床を濡らしている。水滴同士がくっついて、数か所は、水滴とは言えない大きさにもなっていた……無駄にし過ぎよ。


「泣きたいけどね……せっかくの薬が流れちゃうから泣かないわ」


「そういうことは上手く差してから言ってくれる? 頬に垂れた水滴を顔を傾けて目に流し込む邪道のやり方じゃなくて……。垂らした目薬を直接、眼球に落とさないと認めないから」


「だってっ、できないんだからこうやるしかないじゃん!」


「……ほら、貸して。わたしがやってあげる」


「えぇ……こんなことで妹の手を借りるなんて情けなくない……?」


「自力で目薬も差せない姿を長々と見せておいて今更……。

 諦めずに挑戦するのはいいけど、このペースだとその小さい器が空になっちゃうし」


「だって器が小さいから、」


「ほんとは少量しか一回に使わないの! 小さい器でも減る量は少ないんだから……。お姉ちゃんが自力でやるとしたら、この器を両手で抱えられるくらいの器にしないと無理かもね――」


「そんな重たい、タルみたいな器を持ち上げることの方が差すよりも難しくない?」


「指摘するところ、そこでいいの? ぱんぱんに器に点眼薬を入れるまでもなく、序盤で成功するとか、言うべきなんじゃないの?」


 お姉ちゃん自身も、じゃあタル並みの器がないと無理だと思ってる?


 ともかく。なぜか隠そうとする目薬を奪い取り、あーっ!?!? と抵抗するお姉ちゃんの顎を指でくい、と上げ、上半身を逸らさせる……。傾けた体を支え、握った残り一滴ほどしかない目薬を慎重に、でも迅速に、お姉ちゃんの片目へ……差す。


 落ちた水滴は、吸い込まれるようにお姉ちゃんの眼球に触れ、


「う、うぇ、す、すーすーする……」


「そういう効果でしょ? 眠気をさっぱり解消させるための目薬なんだけど……、差すまでもなく失敗続きで、眠気なんて吹き飛んだんじゃない?」


 目をぱちぱちさせるお姉ちゃんが、やれやれ、と言いたげに額に手をやり、


「ふぅ、達成感……」

「差したのはわたしだから……まったく」


「安心したらなんだか、ふわぁ……眠たくなってきたかも……」


「目薬の意味! もしかして無駄撃ちしている間に、本来の効果まで無駄に外に逃がしちゃってたってこと!?」


 すーすーしていたのはほんの数秒だったようで、眠気に負けた目薬の効果は綺麗さっぱりに消えてしまい、ふわあ、と大きなあくびをしたお姉ちゃんがベッドにダイヴした。

 そして枕を抱えて……、十秒もしない内にすやすやと眠りに落ちてしまう……はぁ。


 乾かしていない濡れた髪から落ちたみたいに、床を見れば水滴がたくさん……。忘れて滑っても嫌だし、ささっとタオルで拭いてしまう――なんでわたしがこんなことを……。


「……りがとー、あた、しの妹、ちゃん……」


「はいはい。できれば夢の中じゃなくて、面と向かって言ってほしいものだけどね」




 翌日のことだった。


 お姉ちゃんがまた通販で『魔法道具』を買ったらしい。


「じゃーんっ、空間固定の目薬だってー……これで悩まされないね!」


「……おい、そんなものに頼って……自分の不器用さに呆れて、努力を諦めたの?」


 手作りで代用できそうなものをわざわざそれ専用の機能がついたものを買うなんて……。

 なんでも買えるお小遣いがあるからって、無駄なことに使っていいわけじゃないからね?


「でも、ちょっと面白そうじゃない?」


「思っても買わないよ。……空間固定? ようするに、魔法で空間に目薬を固定するだけの機能でしょ? 目薬がずれないようにして、あとは寝転がったお姉ちゃんの位置に合わせて点眼薬を垂らせばいい……、壁にでも固定すれば同じことが再現できるじゃん」


「壁って……たぶん横の距離が足りないかも」


「壁に刺した棒の先端に固定すれば? じゃなければ天井でもいいし……、『そういう方法もあるよね』って提案しているだけで、それが最善とは言ってないから」


「なら最善はこの道具じゃない? だって空間に固定できるんだから壁も棒も天井も必要ないでしょ!? 場所を選ばずに目薬を差せるってのは、商品価値として充分に高いよ!」


「普通は場所を選ばずに、どこでも目薬って差せるものだけど……。固定もせずに手で持って真上に持っていくだけで……感覚だけでいけるはずなんだけど」


「あたしじゃ無理なの! だからあたしのための商品だよね! ……まるでどこかで見ていたように、ピンポイントで作られた商品だよ……あたしと同じように不器用で、同じことを考えていた人がいたのかな。失敗体験から生まれるのが商品だもんね!」


 作られたってことは、まあそうなんだろうけど……、まさか事前に予知して作っておこう、と思うとは思えないし……。本当に不器用な人のために作られた商品なのかな?


「じゃあ試してみよう」

「え? お姉ちゃん、いま眠いの?」

「ううん」


 首を左右に振るお姉ちゃん……、それ、眠気を覚ます目薬でしょ?


「眠くないけどやってみたいから……試してみるだけ。別に、目の奥をスッキリさせるために差すこともあるよ! あとは泣いたフリをする時とか」


「あんまり多用すると、本当に眠い時とか効果が薄れて……、ちょっと待って。泣いたフリをする時に使った? もしかしてちょくちょくわたしに泣き顔を見せてくるのって、その目薬を使ったから、なんてカラクリがあるわけじゃないよね?」


「説明しょーは、どこかなー」


「……そのツインテール、毟り取ってやろうかな」


 揺れる二つの束を目で追っていると、説明書を取り出したお姉ちゃんが、どれどれ、と字を指でなぞる。


「よく分からないなあ……」


「お姉ちゃん、最初から通して読もうとするからでしょ。ほら、目次を利用してさ、知りたいところをピンポイントで読めばいいじゃん。

 で、分からないところができたらその都度、目次から移動していけば――」


「容器の外側に描かれた『魔法陣』があるからそこを指で……ぐっと押すのかな?」

「…………、直感的なタイプはこれだから……」


 まあ、やりたいようにやらせましょうか。どうせ分からなくなれば泣きついてくるだろうし……、泣きながらわたしに助けを求めて――もしかしていつものその涙は目薬で?


 ……知ってしまえば疑ってしまうじゃないか。


「あ、固定された」


 台も壁もなく、本当に空間にぽつんとある目薬……。宙に浮くそれを、蛇口のようにくるっと回して、先っぽを下にする。蓋を取れば、自然と点眼薬が落ちてくる仕組みだ。


「これで、あたしは寝転がって……あっ、ちょっと位置が高いかも――冷たっ!? ほっぺたに薬が落ちてきてっ……また冷た!? うわっ、ちょっとこれ止めてーっっ!?!?」


「蓋をすればいいでしょ。あと起き上がって。顔を両手で覆う発想でどうして止まる」


 一人だったらどうしていたんだろう……、わたしが見つけるまでずっと水滴を浴び続けていたのだろうか……。アホだ、アホがいる……でも可愛いよね。


「うぅ……」

「泣いているように見えるけど、流れるそれ、ぜんぶ点眼薬でしょ?」


「口の中に入った……苦い……すーすーする……」


「目薬の位置を下げるから、じっとしててね……。

 動いたらまた面倒な微調整をしなくちゃいけないんだから」


 言われて、ぴし、と石みたいに固まるお姉ちゃん――極端だなあ。


 身じろぎ一つするくらい大丈夫だと思うでしょ、普通。


「こんなものかな……どう、見上げる景色はどんな感じ?」

「すっごい変な景色……だって目薬が浮いてるんだもん」


 固定してしまうと、わたしがどれだけ目薬を叩いても、その位置がずれたりしない。容器に描かれた魔法陣をぐっと押すことで解除でき、それ以外では解除ができない――その固定力はどんなものよりも優先される。


 わたしじゃなく、たとえば屈強な男性が大きなハンマーを振り回して殴ったところで、同じこと。なーんか、別のことにも利用できそうな気もするけどねー。

 ……とにかく、今は商品の用途に沿っていこう。


「お姉ちゃん、いくよ――はーい、目を開けてー」

「う、うん……」


 なぜか口も一緒に開けているお姉ちゃんの目へ、点眼薬が垂れていき……、


「冷たっ!?」

「あれ?」


 落ちた水滴はお姉ちゃんの目の、少し横へ落下した……んん? 微調整もした、間違いなく固定された目薬から落ちた点眼薬は、お姉ちゃんの眼球に落ちるはず、だけど――。


 また、微調整をして、

 これで間違いないという確信を持って点眼薬を垂らすけど……やっぱり。


「ねえなにしてるの!? ぽたぽたぽたぽたっ、ほっぺたがびちょびちょなんだけど!」


「うるさい」

「うるさい!?」


 がーん、と落ち込むお姉ちゃんを尻目に、わたしは考える……、間違いなく落下位置は確認したし、お姉ちゃんの寝転がる位置も合わせている……外れるわけがないのだけど――。


 お姉ちゃんが、わたしの知らないところで動いてる? でもそんな挙動があればわたしも気づくし、僅か数ミリずれただけでは、点眼薬は眼球に落ちるはず……なのに。


 これでは落下した点眼薬が、途中で軌道を変えたような……?



「せっかく高いお金を出して買ったのに、欠陥品なの!? クレームを入れて、」


「ねえお姉ちゃん……この目薬、こんな位置に固定したっけ?」


 わたしは違和感を抱いたのだ。固定した位置は、さっきからずっと変わっていないはずなのに……、どうしてか、部屋の中心から部屋の隅に近づいていた。


 いつの間にずれていたの?


 自覚がないまま、わたしたちは部屋の隅に移動していたとでも?


「……違う。そうじゃなくて――この目薬は、空間に固定される……」


 空間。


 固定。


 ――!?



「……なるほど」

「え、欠陥が分かったの、我が妹ちゃん?」


「うーん、たぶんね。正解じゃないかもだし……とりあえず、あと何回か試してみて、位置がずれるなら、もうわたしが差してあげるから――はい、寝転がって」


 言われるがままに従うお姉ちゃんが寝転がり……細かい位置の微調整をして、点眼薬を落とすが――ずれる。もう一回、ずれて、またずれて、疑惑が確信に変わっていった。


「うぇ、だから、苦いんだって――」


「わたしが差してあげるから、はい、顔を見せて」


 お姉ちゃんの眼球に点眼薬を落とす。……ぎゅっと目を瞑らないように、指でまぶたを持ち上げて、ぽた、と垂らしてこれで完了。

 あれだけ苦労したことも、こうして人の手を使ってしまえば簡単にできてしまうのだ。


「……さっぱりはしたけど、モヤモヤする……やっぱり欠陥品でしょ!? 空間に固定される目薬だから、フリーハンドで差せます、なんてキャッチコピーは優良誤認なんじゃないの!?」


「お姉ちゃんお姉ちゃん、これ、ジョークグッズだよ?」

「……ジョーク、グッズ……?」


「うん。目薬を正確に差せるように、って目的じゃなくて、おふざけ目的のネタ商品。でもまあ、求める人によっては、充分な恩恵を受けられる素晴らしい商品になるんだろうね――ほら」


 商品の注意書きには、こうあった。


『※これはジョークグッズです。

 本来の用途は、「あなたの大切な人と物理的な距離を縮めたい」――そんな願望を持つあなたにはぴったりな商品です。

 目薬が差せない、位置がずれてしまい、欠陥商品だ、とでも想い人に告げれば、きっとその人はあなたに目薬を差してくれるでしょう――しょうがないなあ、とでも、ぶつくさ言いながら。

 それでも距離はぐっと縮まるはずです。それでは、健闘を祈ります』




「――ね? わたしとお姉ちゃん、距離、ぐっと縮まったと思わない?」




 ―― おわり ――

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