少年よ、承認欲求を抱け。

たちばな

少年よ、承認欲求を抱け。

 次は自分の番だ、と四谷は急いで席を立った。クラスの人の視線が四谷に集中する。

「四谷大智です。えっと、――」

 四谷は少し言い淀んだが、ぐっと力を込めて言った。


「文芸部に、所属しようと思っています」


✳︎


 文芸部――基本的に、知名度は高くない。実際に自己紹介の後、「文芸部って何する部活?」という声がちらほら聞こえてきていた。

 文芸部、とは。文章を書いて発表する部活である。文章なら何でも良い。物語、詩、エッセイ……何を書いたって構わない。この高校の文芸部は年に五回ほど、部誌を発行しているらしい。部員全員の作品をまとめた、簡素だが凝縮された部誌だ。

 高校説明会の時、その部誌が配られていた。人気がないのかほとんど残っていたが、四谷はそれを読んだ。

 全て、衝撃だった。それぞれの部員の個性の強さ。自分の世界を書こうとする言葉選び。たかが部誌となめていた。高校の部活はこんなにも本格的なのかと、驚いた。

 四谷は決意した。この高校に入学し、文芸部に入ろうと。

 そして、『自分の目的』に向けて進んでいこうと――……。


✳︎


「ここか?」

 放課後。『資料室』とプレートが出ている部屋の前で、四谷は持っていた紙を見直した。紙には『文芸部 月曜と木曜 放課後、資料室で活動中』とある。今日は木曜日だから、活動しているはずだ。

「あの……文芸部って、ここ――」

 扉を控えめに開けて、驚いた。

 三つ編みで小柄の女子生徒と、スカートが短めでウェーブヘアの女子生徒が睨み合っている。詳しい状況は分からないが、揉めているのだろう、ということだけは伝わってくる。

 少し緊張する。あまり仲の良い部活ではないのだろうか、と不安が募る。

「あのぅ……」

 四谷には気づかない様子で、ウェーブヘアの女子生徒が怒鳴った。

「だからショウコ! 何回言ったら分かんだよ! これ以上、その気持ち悪い鶴作んの止めろ!」

「な、何でだ!? 気持ち悪くなんかないだろう!? 簡単に作れるし、そんなにスペース取らないし、可愛いし!」

 四谷は呆れた。確かに、三つ編みの女子生徒が持っているのは折り紙で作られた鶴だ。だが、ただの鶴ではない。脚がついている。本来ついていないものがついているというだけで違和感がすごい。

 ウェーブヘアの生徒は呆れたように、大きくため息をついた。

「あのな、そんなにスペース取らないって言うけど……それ何匹目か分かるか?」

「む? ……分からんな」

 ショウコ、と呼ばれた女子生徒は首を傾げる。ウェーブヘアの生徒は声を荒げた。

「それで四十匹目だ! お前、五十枚入りの折り紙ほとんど脚つき鶴にしやがって……。ここは文芸部で、鶴部じゃねーからな!」

 良く見たら、狭い資料室の至るところに鶴が置いてある。その全部に脚が生えているらしい。

 しかし、怒られたというのにショウコという生徒は嬉しそうだ。

「何!? 私はついに四十匹折ったのか!? やってきた甲斐があったな!」

「喜んでる場合かよ! ったく、新入生が混乱するだろ!」

 その通りだ。口を挟むタイミングを逃した四谷はただ、この下らないやり取りを見ていることしかできない。

 それでも、頑張ることにした。

「あの」

「とにかくこの鶴は捨てるぞ! こんなの置いてあったら新入生ドン引きして来ねーだろ!」

「ああ、止めろ! 私の努力の結晶!」

「すみません!」

 声を張り上げると、二人が同時に四谷のことを見た。

「その、文芸部……入部したくて、見学、来たんですけど……!」

 二人の動きがぴたっと止まった。ウェーブヘアの生徒の目が見開かれる。三つ編みの生徒の目は反対に輝いている。

 二人は同時に叫んだ。

「し……新入生ぇぇぇぇ!?」


✳︎


「見苦しいところを見せて申し訳なかった!」

 三つ編みの生徒はぺこりと頭を下げた。上げた顔の中で、目がキラキラしていた。

「いやぁ、新入生が来るって珍しくてな。私の代は一人しかいないから、余計に」

「……はあ、そうだったんですか……」

「で、君の名前は」

「おいショウコ」

 ウェーブヘアの生徒が、言葉を止めた。

「まずはこっちから名乗るべきだろ」

 はっとする三つ編みの生徒。

「そうだったな! では、自己紹介しよう」

 にっと笑って、叫ぶように言う。

「私は八倉祥子! ショウコ、と気軽に呼んでくれて構わないぞ! そして私は文芸部部長、そう……部長だ!」

 そして――ドヤ顔をしてみせるショウコ。何というか騒がしい人だ。四谷は頷くことしかできない。

「部長、部長って……そこ、強調しなくて良いんだよなー……」

 隣の生徒は呆れ顔だ。ショウコのことはスルーして、自分も自己紹介を始める。

「あー、あたしは忍野三香だ。一応副部長だが……ま、どーでも良いよ。とりあえずやってるだけだしな」

 反対に、忍野と名乗る生徒は落ち着いている。第一印象はちょっと怖かったな、などと四谷が思っていると、心を読んだかのようにショウコが口を挟む。

「忍野はな、見た目は怖いけど本当はそんなことないんだ。だから新入生よ、あまり怖がるなよ」

「あ、はあ」

「おいショウコ、一言多いんだよ」

 忍野は軽くショウコを怒った後、「で?」と四谷に目を向けた。

「新入生、名前は?」

「あっ、俺は四谷大智といいます。一年四組です」

 とりあえずクラスも同時に言った。やはり先輩相手だと緊張する。

「本当に新入生だ……。新入生ってちゃんと来るんだな」

 忍野は感動しているらしい。ずっとポカンとしている。

「来るに決まってるだろう。で、四谷は何でこの部活に……?」

 ショウコは不思議そうな顔だ。

「え? 何で、って」

 どきりとする。が、忍野は分かり切った顔で言った。

「あー、別に面接とかじゃねーよ。ただ、文芸部って部員少ねーし人気もそんなにねーから、聞いてるだけだ」

「さすが忍野。私の考え全部分かってるな」

 ショウコは嬉しそうにする。部長と副部長だからだろうか、この二人はかなり仲が良いらしい。

「それで、どうしてここに来たんだ」

「あ。……えっと」

 四谷が言い淀むのは、……初対面の人に言えるような純粋な動機ではないからだ。

「ん? 別に私はどんな理由でも気にしないぞ」

「ショウコ、無理強いしなくて良いだろ。……まあ私もちょっと気になるけどな」

 ぎゅっと拳を握る四谷。そして口を開く。

「――承認欲求を発散したくて」


✳︎


 四谷は元々、物語を書くのが好きだった。小学生になった頃にはたくさんの物語を書いていた。好きだからというのもそうだが、時間潰しという理由もあった。四谷の両親は共に仕事で忙しかったのだ。

 その頃、四谷はコンクールへの応募も始めた。向いていたらしく、四谷は何度か賞を取った。もちろん先生たちにも褒められた。

 小学三年生で大きい賞を取った時、幼い四谷は閃いた。『これなら、忙しい両親でも褒めてくれる』――そう思い、両親に物語を見せた。

 だが。

『ああ、そう。悪いけど今忙しいの。大智、そこのお皿持ってきて』

『すまん、父さんは忙しくてな。今度見るよ』

 思ったような反応は得られなかった。父などは、『今度見る』と言っておいて結局一度も見てくれなかった。


✳︎


「――だから俺、多分人より承認欲求が強いんですよ。色々、物語投稿して……それで評価を得ても、足りなくて……認められたくて……」

「……」

 訳を話し終えても、ショウコと忍野は黙ったままだった。引いている、と四谷は捉えた。

「ごめんなさい、こんな動機で……」

「いや、別に怒ってるわけじゃねーし……ただちょっとびっくりしただけだよ」

 忍野がショウコに視線を滑らせる。

 ショウコは目を瞑り腕を組み、何やら真剣な顔をしていた。目を開けたかと思いきや、ショウコは四谷の目の前にぴっと指を立てた。

「四谷」

「……な、何ですか」

「お前の本当に求めてるものは手に入らないと思うぞ」

「は?」

 冗談か、と思ったがショウコは至って真面目だ。

「な、何で……ショウコ先輩はそんなこと言うんですか。ねえ、……」

 四谷は忍野に目を向ける。忍野は腰に手を当て、ため息をついた。

「……悪いな。今回ばかりはあたしもショウコと同意見だ」

「何で……?」

 呆然と呟くことしかできない。承認欲求を埋めるためだけにここに来たのに、それが得られない――?

 沈黙の中、ショウコがぽつりと言った。

「お前が本当に求めてるのは『あの時の両親からの褒め言葉』だろう。『たくさんの人の賞賛』じゃない」

「―――」

 言葉を失った。

「だから私は言ったんだ。『本当に求めてるもの』は手に入らないって」

「そんな、っ……」

 四谷は唇を噛む。

 四谷の『目的』は、承認欲求を発散することだと思っていた。たくさんの人から、褒められることだと思っていた。

 でも、無意識に――両親からの褒め言葉を求めていたのだ。それも、『小学三年生の四谷』に向けての褒め言葉を。

「そんなの、もう無理じゃないですか……!」

 声が震える。なぜか悔しさが溢れ出しそうで、四谷は真新しいワイシャツをぐっと掴んだ。

「あのな」

 四谷の肩に手が置かれる。顔を上げると、忍野の手だった。

「そんな悲観的になる必要ねーだろ」

 口をポカンと開けたまま、固まる四谷。忍野の言葉に、ショウコも大きく頷いている。

「確かに、お前の心の穴がぴったり埋まる日は多分来ないが――」

「代用品で埋めてきゃ良いんだよ。二年半やればそれなりに埋まんだろ」

「代用品で……」

 四谷は再び俯いた。

「……それでも満足できなかったら……俺はどうすれば良いんですか?」

 しばらくの間、ショウコは忍野と目を合わせた。そして、にやりとして言った。

「書き続けるんだ。がむしゃらに書いて、書いて書いて、それで埋める。ただひたすらに書き続ければ、いつかは良いものになる。私は、そう信じてる」

「……」

 ショウコの目は澄んでいた。


✳︎


 翌日。

 四谷は入部届を出した。文芸部、と力強い字で書いて、朝一番に先生に渡した。

 四谷は決意したのだ。書き続けることを。そして、ショウコの言葉を信じてみることを。


 彼の――いや、彼らの物語は、まだ始まったばかりだ。

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少年よ、承認欲求を抱け。 たちばな @tachibana-rituka

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