平成5年 4月

「おーい! 今日も滞納かテメエ!? はよ開けんかいっ!!」


「へいへい、今日も滞納ですよーだ」


 激しく扉を叩かれようとも俺は今日も部屋の鍵を開けない。毎日のように浴びせられる罵声もすぐにアウトプット。尻をかき、煎餅をかじり、テレビを見るだけの毎日。それでも欠かさずに行う毎日のルーティンがある。


「おはよう、ばあちゃん」


 チーン…………この音が鳴り響くとうるさい怒鳴り声も街を行き交う人や物の雑踏も全てがどうでも良くなる。


 ばあちゃんはここから俺を見てくれている。時代の波に飲まれ、職につけなかった情けない不孝者の俺を。変わらぬ顔でずっと俺を見つめている。


 ばあちゃんは2年前に死んだ。享年91歳。長生きだった。


 俺、真柴健太郎は3歳の時に両親を事故で亡くしてからずっとばあちゃんに育てられてきた。ばあちゃんは俺が親を失くす2年前にじいちゃんが他界していて、そのせいもあってか俺はばあちゃんに愛されて育った。


 幸い両親とじいちゃんの遺した遺産によって俺は厳しい生活ではあったが立派に──いや、立派ではない。しかし「ハタチ」という歳までは育ててもらった。感謝してもし足りない。


 ばあちゃんが死んだ2年前、つまりは平成3年。

最高潮へと至っていた日本の景気はまるで泡のように弾け飛んだ。失業者は山積み、価値のなくなったビル群、もちろん高卒であった俺の就職内定先の中小企業たちは倒産して、俺はこうなってしまう運命だった。


 しかしどれだけ時代を恨んでも仕方ないものは仕方ない。不孝者でも生きることで最低限の孝行に繋がると考えて必死に食いつなぐ日々だ。


 さて、今から稼ぎに行くとしよう。俺はタンスの中に適当にしまわれた白装束をバッグに詰めて部屋を出た。もちろん、家主に見つからないよう、窓から。



◆◆◆



「お疲れ様です」


「お、来たんだね。健ちゃん」


「はい。着替えてきますね」


  俺は宮司のおじさんに挨拶を交わしたから売店の更衣室で着替える。


 そう。俺はここ、河北神社でアルバイトをしている。アパートから歩いて10分ほど、団地を超えた先の森の中にあるそこそこ大きな神社だ。この地域は昔から信仰される神様がいて、その神様にまつわる行事もあるらしい。俺の地元ではないからどんな神様なのかはあまり知らないが。


 やはり時代の混乱ゆえか最近は参拝に来る人が多い。良い事とは言い難いが、来てくれる分だけその賽銭が働いている俺たちに還元されるのはありがたいことだ。


 さっと着替えて俺は箒を持つ。まあ、結局どう足掻いても俺は男だ。参拝客の目を引く巫女ではない。神社とは神聖なる場所。不浄を払うにはまずは境内の清潔さから始めるものだ。俺はひっそりと裏口から出て参拝客とできる限り接触しないように仕事に取り掛かり始めた。


 掃除が終わり、昼休憩を取ってからは業者から受け取った荷物、中身はお守りやらおみくじ、絵馬などといった売店の品々だ。これがまた重い。今更なのだが、こういった仕事の際にまでわざわざ白装束を着る必要があるのだろうか?


「はあ……疲れたあ……帰ってビール飲みてえ……」


  そんなことを口に出しながら俺は賽銭箱の周りに参拝客が外した硬貨が無いかを確認していた。別にこれをパクろうという気はない。結局は俺たちのもとに還元されるのだ。


「お、5円玉みっけ〜。ご縁がありますように……って、あれ?」


  俺はこの5円玉に違和感を感じた。古くは無い。かといって平成5年製のような輝きを持つわけでも無い。しかし明らかに違う部分が一つだけある。


「……昭和65年?」


 馬鹿な。見間違いだろう。そう思ってもう一度確認してみるとそこには確かに6と5の文字がある。俺をからかっているのだろうか?


 今を生きる俺が忘れるはずがない。あのテレビで報道された時代の終わりを俺はこの目で見た。


 ──昭和は64年 1月7日で終わっている。


 誰かが悪戯で4を5に差し替えたとか? いいや、いくら悪戯でも精巧な技術で作られる国家共通通貨をここまで自然に作り替えることなど不可能だ。


「……よく分かんねーけど、いいご縁がありますように……」


  神様にそう願った時だった。


「アンタ、何してんのよ」


 後ろから犯人を突き止めた時のような厳しい声が突きつけられる。振り向くとそこには近所の中学校の制服を着た少女が俺を睨みつけていた。


「え? なにって仕事……」


「とぼけんじゃないわよ! アンタ、賽銭泥棒でしょ!!」


  ……はあ? なんでそうなるんだ?


「あのですね……私はこの神社で働いておりまして……ほら、この服だってここの神主さんから頂いた白装束で……」


「そうやって疑われないように偽装して賽銭を盗もうって算段ね? でも私には通用しないわよ、そんな小細工」


  だからなんでそうなるんだよ!! この歳でもう人間不信なのかこのガキ!?


「お、落ち着けって。ていうかなんで俺が賽銭泥棒なんてしなきゃいけないんだ?」


「ふん、こんな時間にここにいるような人が定職に就いてるはずないじゃない。お金がないからこんなことするんでしょ?」


  ……今のは効いたぞ。このガキ、生意気な口を開きやがって……!


「誓って俺は賽銭泥棒じゃないが、お前の物言いに言わせてもらうぞ。今この日本で定職につけない人間がどれだけいると思ってる? 家庭があって、頑張って稼いでいたのに企業の都合で首を切られた人や、内定をもらっていたのに企業が倒産して職につかなかったやつだっているんだぞ。お前みたいなガキだってこれから就職するって時にこの不況が絶対に邪魔してくる。俺たちの時代じゃないからまだマシかも知れねえけど、お前が今の俺たちの立場になったら即フリーターだろうな」


「私は優秀だからアンタみたいなクズにはならないわよ。まあいいわ。ほら、行きましょ? 交番に」


すたすたと歩いてきた少女は容赦なく俺の白装束の袖を掴んで引っ張ってくる。


「なんで行かなきゃならねえんだ! それに俺は今仕事中! ガキに構ってる暇なんざねえよ!」


  俺は苛だって強引にその手を払い除ける。少し強く弾きすぎたのか少女は少しふらついた。


「痛ったあ! 何すんのよ、この変態!」


「俺のどこが変態だ! 神聖なる白装束纏ってんだぞ! これに懲りたらさっさと賽銭して帰りやがれ! 賽銭する時はこの5円玉みたいに外すんじゃねえぞ!」


 そういって俺は某御老公様のように昭和65年の5円玉を見せつけた。すると少女も初めてこの5円玉を見た時の俺と同じような反応を見せる。


「昭和65年? アンタ、賽銭泥棒で偽金作りなの?」


「違えわ! 俺はこの5円玉がおかしいなって思って見てただけなんだよ!」


  少女はまじまじと5円玉を見る。まだ俺のことを疑ってるようで首を傾げているが、数秒後に理解したように頷いた。


「分かったわ。アンタは別世界から来た人間ね」


  ……もう反応するのも面倒くさくなって俺はシカトを貫くことにした。このガキはこじ付けの神様か? ならばさっさとこの5円玉を賽銭して本来あるべきところへ帰っていただこう。


「あ! 待ちなさいよ! 何投げようとしてんのよ!」


「ああ、もう、うるさい! この5円玉やるからさっさと帰れ!」


  そうやって後ろを振り向いて5円玉を前に突き出した時だった。


「「え?」」


  一瞬だけこの5円玉の穴越しに俺と少女の視線が繋がった。するとこの5円玉は突然眩く輝き始め──


「うわ!?」


「きゃあ!?」


  俺たち二人は真っ白な光の中に包まれた。風が静かに吐いた時にはもう、賽銭箱の前にはもう誰もいなかった。

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