慈悲の欠片もない生命体

 レティルは自身の両手を見つめ、ぽつぽつと言葉を零す。



「私がこの力をお前に引き継げるのが先か、世界が私を抹消するのが先か…。もはや、一刻の猶予ゆうよもなかったのだ。だが……お前は、散々私を振り回してくれたよ。勝手に地球の死神などに命を奪われかけよって……」



「あ…。だからお前は、あんなに慌てて俺を助けようとしたのか……」



 また一つ。

 レティルの行動に納得してしまう。



「ああ、そのとおりだ。紆余うよ曲折ありながらも、当初の予定どおり、お前にようやくこの能力を引き渡せる段階にまでこぎつけた。セリシアを救うために、エリオスだって結局、私の元に戻ってきた。なのに、やっと仕上がったというタイミングで、セイリンがお前とエリオスを地球に追いやったあげく、次元の扉まで閉めきりよった……」



 声のトーンを落としたレティルは、とても沈痛な面持ちをしている。



「お前に、力のほとんどを渡してしまったからな…。今の私には、セイリンを滅するまでの力は残っていない。あやつの妨害をかいくぐって、お前たちを迎えに行けるだけの力もない。まあ……元より、そんな気持ちの余裕はなかったがな。エリオスとルゥだけが私を私たらしめる希望なのに、その両方を取り上げられたら……私は…っ」



「………」



 実は眉を下げる。

 剣を力強く握る手から、すっと力が抜けてしまった。



 ああ、ほら……いつか思ったとおりだ。



 レティルが自分に執着する理由と、そこに至るまでの想いを知ってしまったら、桜理をさらったことも許してしまいそうだって。



 本当に彼を許したのかと問われれば、そういうわけじゃないと即答できる。

 でも、だからって彼にやいばを向けるのかと言われると、それには答えられない。



「お前が地球を振り返らないと言ってくれた時は、ガラにもなく腰を抜かしそうになった。これで私は、何も残せないまま消えていくことだけはないだろうとな。だが……」



 レティルの声が、かすれそうなほどに細くなっていく。



「どんな形であれ、お前が私に従う姿勢を見せたのは、世界にとって都合が悪かったのだろう。あれから抑止力はさらに力を増して、私を無に飲み込もうとしてくる。今の私では……もう、それに耐え続けることはできない。」



 だからこれが、本当に最後の抵抗なのだと。

 そう語るレティルの声に、胸がつきつきと痛む。



 必死に自分を守ろうと震えている小さな姿を、これ以上見ていられない。

 あまりにもつらい。



 レティルは微かに息を吐いた。



「世界という生命体にはな、慈悲など欠片もないのだよ。己の命を繋げるために、神や精霊を使ってあらゆるバランスを淡々と保つだけの……ただの機械だ。」



 吐露されるのは、深い絶望。



 この世界に、救いなんてないのだと。

 彼は、己の存在の全てでそれを示していた。



「―――……」



 強制的に、自分が消されていく恐怖。

 それを知らない自分が、彼に何を言えるというのだろう。



 言葉を失った実を見て、レティルがふいに唇の形を弧にする。



「お前は私と同じ立場に立てる存在だが、やはりまだ人間だな。甘すぎるよ。絶望の淵に落とされてもなお、人間を守ろうとしている。今お前を壊そうとしている私のことですら、どうにかして救えないかと考えているのだろう?」



「………っ」



 図星を突かれ、実は肩を痙攣けいれんさせる。



(だって……)



 切なさに胸が引き絞られて、もどかしさで顔が歪む。



 そんな想いをぶつけられたら、もう彼に敵意をぶつけることなんてできない。



 本当に彼が辿り着いてしまった理論で世界が回っていて、今まさに彼という存在が世界によって消されようとしているのだとしたら。



 彼は純粋な悪などではなくて、抑止力という運命に苦しめられた末に歪んでしまった、ただのあわれな存在でしかないじゃないか。



 その暗闇から抜け出せる方法はないのかって。



 そう考えてしまうのは、人間のさがだろう?



 一生懸命に突破口を捜そうとしている実に対し、レティルは何もかもを諦めた表情で笑っているだけ。



 希望を求めて、絶望から這い上がろうとするか。

 希望を捨てて、絶望の底へ突き進むか。



 その違いは大きかった。



 レティルは肩を落とす。



「その甘さも、世界がお前をどうしようとしていたかを知ったら……綺麗になくなるだろうな。まあその前に―――私がそんなもの、完膚なきまでに壊してやるが。」



「―――っ!?」



 実は大きく目を見開いて息を飲む。



 レティルの腕の中に、いつの間にか桜理が抱かれていたのだ。



 そんな。

 いつの間に。

 彼女に張っていた結界が壊された気配など、一切なかったはずなのに。





「いい加減―――遊びはおしまいだ。」





 すっと伸びたレティルの指。

 それが、まっすぐに桜理の体の一点を狙う。



 彼女の肉体が一瞬で崩壊する、破滅への一点を。



「―――っ!!」



 音にならない悲鳴がほとばしる。

 精神が極限まで追い詰められた瞬間、視界が一気にクリアになった。



(見えた…っ)



 はっきりと見える。

 レティルに絡みつく、無数の糸が。



 迷っている時間はない。



 実は剣を握り直し、力強く地面を蹴った。



「やめろーっ!!」



 全身全霊を込めて、終焉しゅうえんの剣を振りかざす。





 そして―――




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