魂を揺さぶる叫び

 それまで顔を青くしていた実は、キッと目元を険しくした。



「そんなの……そんなの、あの人たちの意思じゃない!! あの人たちは聖域に狂わされただけで、俺が〝鍵〟だって分かってなかったはずだ!! お前は……俺に、濡れ衣で人間を恨ませようとしたっていうのか!?」



 そうだ。

 今なら分かる。



 あの悪意も殺意も、彼らの本当の意思じゃなかった。



 聖域の空気に狂わされた彼らは、目の前にある恐怖の幻影を消し去りたかっただけ。

 その手が伸びた先にいたのが、たまたま自分だっただけなのだ。



 自分が〝鍵〟だと認識している人々の悪意や殺意はもっと明確で、突き刺すように鋭かったり、時にはねっとりと絡みついたりするものだった。



 今はその違いを知っている。

 だから、あの時の彼らが本当は自分を見ていなかったことも理解しているのだ。



 それなのにこいつは、不可抗力としか言えないようなあの悪意で、自分に人間が絶対悪だと錯覚させようとしたというのか。



 だとしたら、こんなに悪質な洗脳はない。



 腹の底から湧いてくる怒りを我慢できずにレティルを睨みつけるが、彼は悪びれる態度など欠片かけらも見せなかった。



 そして次に彼が放った言葉に、自分は反論の全てを封じられることになる。



「ならばお前は、今でも人間が清く正しい生き物だと信じているのか!?」

「………っ! それは…っ」



 一瞬でも言葉につまった自分が負けだ。

 レティルが大きく腕を振りかぶって、自分に畳み掛けてくる。



「信じているわけがないよな!? お前はこの世界に戻ってきてから、本物の悪意や殺意を身にみて味わったはずだ! それは私が仕組んだことではなかった! 全ては人間が己の恐怖や欲に踊らされた結果、自らの意思でお前にやいばを向けたことのはずだ!!」



「くっ…」



「よく考えてみろ! エリオスを地獄に突き落としたのは、本当に私か!? 違うだろう!? あいつを歪めたのは、あいつが懸命に働きかけたにもかかわらず、己を振り返らなかった人間だ!! だからあいつは、あんなにも人間をさげすんでいるのだぞ!? お前を守ろうとしたセリシアを反逆者として殺そうとしたのは、他でもないお前の祖父だったではないか!!」



「くそ…っ、もう黙れ!!」



 これ以上、胸くそが悪くなることを言うんじゃない。

 もう聞きたくない。



 全身全霊がレティルの言葉を拒絶する。



 また激しく攻撃を交わす両者。

 その時にはもう、互いに互いのことしか見えていなかった。



 神だ人間だなんて関係ない。



 そこにあるのは、全てを剥き出しにして己という存在をぶつけ合う、心を持ったちっぽけな生き物どうし。



「―――どうしてお前は、まだ人間を守ろうとする?」



 ふと、レティルが実に問う。



「こんなに愚かで忌々いまいましい存在があるか!? 人間には、私にはない自由がある! 世界をも凌駕りょうができる無限の可能性を秘めている! それなのに何故……人間はその自由でいつも、傷つけることしかできないのだ!?」



「………っ」



 実は顔を歪める。



 聞くな。

 これは自分を破滅にいざなう毒だ。



 そう思うのに、レティルの言葉が耳に痛い。



 人間は何も傷つけていないなんて、どの口でそんな綺麗事をのたまえる?

 自分だって、今まで散々たくさんの人を傷つけてきたのに。



 レティルの言葉はさらに続く。



「お前だって、そう思うだろう!? だってお前は……結局幼い頃と同じように、人間への期待なんて捨てているではないか!!」



「―――っ!!」



「違うなどとは言わせないぞ? お前は人間を愛していない。人間に希望をいだいていない。お前に愛情を向ける少数がいたところで、お前は人間への猜疑さいぎ心を捨てられない。どんなに努力したところで、〝普通〟という大多数には敵わないからな。それが分かっているから、お前は今も力を隠して過ごしているのだろう? そのかせを外していたらやいばを向けられるって……そう思っているのは、お前が人間を信じていない何よりの証拠ではないか!!」



「だ、だって……」



「そうだ! そのまま認めてしまえ!!」



 動きがにぶった実の二の腕を掴み、レティルは実の体を強く揺さぶる。



「いいではないか!! 人間が蔓延はびこるこんな世界、滅ぼしてしまっても!! 私に世界を憎む理由と権利があるように、お前にだって人間を憎む理由と権利がある! だってお前は―――! 人間のエゴで存在を否定され、殺され続けてきたのだから!!」



 レティルの声が鼓膜を打つほどに、自分の心が追い込まれていくのが分かる。



 なんで、こいつの声はこんなにも切なく響くんだ。

 悪役なら悪役らしく、清々しく最後まで憎まれてみせろよ。



 なんでそんなに必死な顔をするんだ。

 そんな風に、俺にすがりついてくるなよ。





 ―――〝助けて〟って……そう言われているみたいじゃないか。





 ドクン、と。



 魂の根底が―――そこに眠るものが、レティルの激情に共鳴した。


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