甘い誘い

「ひとまずは、おめでとうと言うべきか? 無事に生まれたようだな?」



 対面するのは随分と久しい彼に、単刀直入に言ってやる。



 この時間のために、わざわざ二人きりの場を用意した。

 ここには人間も、他の神も近寄ってくることすらできない。

 それくらい強固な守りを施してある。



 それは、彼も自身の肌で感じ取っていたのだろう。

 私の声が空気を震わせた瞬間、彼の顔は氷のように冷たく、そして険しくなった。



 やれやれ。

 早いところ本題に入らないと、話を聞かせる前に殺されてしまいそうだ。



 また大きく成長した彼が、状況によっては人殺しもいとわないことを知っている私は、余計な前置きはやめることにした。



「案ずるな。私はルゥを殺すつもりなどない。むしろ私は、お前やルゥを助けるために、お前をここに呼んだのだ。」



「助ける…?」



 彼の眉が微かに跳ねる。

 それは出会って十年で、初めて彼が私に興味を示した瞬間だった。



「そうだ。ルゥに課せられた運命は、私から見てもあまりに切ない。愛しいお前の息子があんな未来を迎えるのは、さすがの私も忍びないのだ。だがおそらく、この未来まではお前も見えておらんだろう? だから今日は、それを教えてやろうと思ったのだ。」



 そうして語るは、一部の神々の間でのみ了解されていた、〝鍵〟を巡る壮大な計画。



 それを聞いた彼は、先ほどまでとは別の意味で冷たくなってしまった。



「そんな、むごい話が……」



「信じたくないかもしれんが、残念ながら嘘ではないのだ。なんたって、その計画の仕上げを担うのが私だからな。」



「―――っ!?」



 目を剥く彼に、私は自分が終焉を司る神であることを告げた。



 あらゆる存在や事象に終わりをもたらすのが、私の責務。

 簡潔に説明すると、彼はまた私に敵意を向ける。



「おいおい、忘れてくれるな。最初に言ったではないか。私はルゥを殺すつもりなどないと。いくら私が終焉の力を持っているからといって、その力の使い道がルゥの命を終わらせることしかないとは思うな。一体なんのために、あの話をしたと思っている。」



「じゃあ……目的は何なんです?」



 低く噛みついてくる声。



 少しでも気にさわることを言うなら、その瞬間に喉笛をかっさばいてやる。



 表情や瞳以上に、その全身にほとばしる魔力がそう語っていた。



 何があっても、どんな存在からでもルゥを守る。

 その気概やよし。



 彼がルゥの父親であってくれて、私は本当に幸せ者だ。



「どうだ? 私と手を組まないか? 私がこの存在の全てを使って――― ルゥを苦しめる〝鍵〟たる運命を滅してやろう。」



 そう問いかけた私に、彼は最初頷かなかった。



「あなたがそんなことをする理由が分かりません。」



 一切油断することなく、彼は努めて冷静にそうとだけ述べた。



「私も、お前と志は同じなのだよ。」

「……同じ?」



 一体どこが?

 刺すような視線で先を促してくる彼に、私は笑って告げる。



「目の前には無限の可能性が広がっているはずなのに、選び取れる道はいつも一つしかない。どんなに迂回をしようとも、どんなに道を壊そうとも、果てに待つのは決められた絶望だけ。何も変えられない自分という生き物の小ささに、どうしようもなく嫌気が差す。そして考えてしまう。……何をしても意味がないのなら、どうしてこんな力を持って生まれてきてしまったのか、と。」



「―――っ!!」



 私が初めて口に出した、このむなしい気持ち。

 それに、彼が明らかな動揺を見せた。



「なあ……これまで、お前も思ったことはなかったか? 私とお前には、どうも似ている部分があると。話していると、妙に気が合う時がある。いつの間にか、自然と同じ目線で物を見てしまうと。」



「それ、は……」



「似ているのではない。――― 同じなのだよ。だから私は、お前を心の底から愛した。お前は……最初で最後の、私の真の同胞だ。」



「………」



 最終的に、彼は黙りこくってしまった。



 認めたくはないが、私が言った言葉に何一つ反論できない。

 頭とは関係なく、心がそうだと叫んでいる。



 そんな風に、大きな葛藤かっとうに揺れている顔だった。



「まあ、そういうわけだ。ルゥを本来ある運命から解き放ってやることが、私にとって最大の復讐となる。その結果私がどうなるかは分からんが……アレにやいばを突き立てられるのであれば、この命が消えたとしても悔いはないな。」



「アレって…?」



「ふふ…。私を生んだ親……とでも言うべきかな。」



 世界を親だなんて表現したら、一気に気分が悪くなってしまった。

 私は一度目を閉じて、胸でくすぶる炎を静める。



「これは、ただの善意ではない。私もお前もこの運命が……この運命を課した世界が憎い。私の力でルゥの運命を滅してしまえば、お前はルゥを救えるし、私はアレに復讐ができる。利害は一致しているだろう?」



 改めて彼を見ると、その瞳にはもう、私に対する敵意はなかった。



 ひねくれた奴だ。

 素直に協力しようと持ちかけるよりも、善意抜きに損得を並べてやる方が、すんなりと話を受け入れるのだから。



 そんな彼もまた、愛おしくてたまらない。



「さあ、共に歩もう。」



 私は彼に、手を差し伸べる。



 悪いな、アクラルト――― いや、世界よ。



 必死に彼の気を引こうとしていた努力は認めてやるが、彼は最初から私のものだ。



 彼は私から離れない。

 今日のことを受けて、離れられなくなっただろう。



 そして私も、彼を離さない。

 だから今から、彼を私に縛りつける呪いを放つ。



 砂糖のように甘い声で。

 とびきり優しく、こう囁いてやるのだ。





「私は、ルゥを運命から解放する唯一の希望だ。」




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