初めての同胞

 彼は、無感動な声で私に訊ねた。



「あなた、僕が領主の直系だってことはご存知ですか?」

「いや。そこまでは知らなかったな。」

「そうですか。」



 自分で訊ねておきながら、その答えはどうでもいい。

 そう思わせる、そっけない相づちだった。



「父さんは、単なる社交辞令だと思って聞き流していいって言ってくれるんですけどね…。付き合いで同年代の娘さんを連れてこられて、婚約者にどうだって言われるのは……結構きついんですよ。」



 そう語る彼の背中には、歳不相応なほどに重たい何かが、ずっしりとのしかかっているように見えた。



 これが、未来という強力な切り札を手にした代償か。

 彼はそのせいで、希望を夢に見るという当たり前のことすらできないのだ。



「ま、それに疲れてここに来たんです。ここなら僕より格上の貴族たちもごろごろいるでしょうし、少しは気楽かな…と。ただ……」



 そこで、彼の顔がうんざりと歪む。



「ここはここで、息がつまりますね。どの人も口を開けば、この国は大いなる神に守られているんだ、自分たちは神に仕えることを許された、選ばれし存在なんだ……と。はあ…。馬鹿の一つ覚えもいい加減にしてくださいって言ってやりたいところですよ。しかも、朝起きたら色んな人が猫なで声ですり寄ってきて、〝いつもと違う夢は見なかった? 未来っぽい景色は見えなかった?〟って、毎日のように訊いてくるんです。気持ち悪いと思いません?」



「ああ……あれは確かに、いい気分がするものではないな。」



 私も似たような経験ばかりしているので、彼がそう言いたくなる気持ちは分かる気がした。



「でしょう?」



 私の同意を得られた彼が、にこやかに笑う。



「だーれが、素直に吐いてやるかっていうんですよ。ちょっとばかり不愉快なんで、しばらくは能力に目覚めてないふりをして、みんなをやきもきさせてやろうと思って。」



「そのついでに、気に入らない人間を陥れて憂さ晴らしか?」

「何か不都合でも?」



 いやに早い切り返しだった。

 戸惑う私を一瞥いちべつもせず、彼はなんでもないことのようにこう言った。



「どうせあの子たちは、救いようがない大人にしかならない。僕が手を下さなくとも、いずれは腐って自滅するんですよ。なら別に、早めに退場してもらってもいいんじゃないですか?」



「………っ」



 不覚にも私は、彼が初めて見せたその姿に魅入ってしまった。



 一片の揺らぎもない笑顔で紡ぎ出される言葉と声は、純粋なまでのあざけりに満ちていたのだ。



「それに、見抜けない方もどうかと思いますけどねぇ? 子供ならともかく、いい歳した大人が揃いも揃って、簡単に転がされちゃって…。子供が素直で嘘が下手な生き物だなんて、誰が決めたんです? そんなくだらない先入観、どぶにでも捨ててしまえばいいのに。」



 流れる水のように。

 彼の口から、十歳とは思えない言葉がすらすらと出てくる。



「そんなんだから僕を見つけるのにも時間がかかって、今だって僕ごときに、いいように使われるんですよ。神に仕える選ばれた存在? ……はっ。僕に踏み潰される目ざわりなゴミって意味なら、確かに選ばれた存在なのかもしれませんね。」



 こやつ、本性はこんなにも容赦のない奴だったのか。

 可愛い顔をしているくせに、純な笑顔でなんと悪意だらけの毒を吐くのだ。

 顔と言動が、まるっきり逆ではないか。



 ああ、でも――― 惹かれずにはいられない。



 高鳴る鼓動が止まらない。





 彼は、私と同じ感情を腹の底に抱えている。





 それを感じ取った瞬間、目の前の世界が色を変えた。

 黒いもやがかかって灰色にくすんでいた景色が、途端に鮮やかな彩りを取り戻したかのようだった。



 まさか同じ人間の中に、ここまで人間を無条件にさげすむ者がいようとは。

 そんな存在、〝鍵〟の宿命を持つ者くらいしかいないと思っていたのに。



「……人間は、かくも愚かな生き物だからな。」



 言ってみる。

 すると。



「ええ、そうですね。あなたと徒党を組む気などありませんが、それだけは同意します。」



 彼は迷うことなく、私に頷いた。



 ああ、こんなことがあっていいのだろうか。

 初めて出会う同胞を見て、どうしようもなく彼のことが愛しくなってしまった。



 何故彼が〝鍵〟としての宿命を背負わなかったのか。

 彼ならば、嬉々として私の願いを叶えてくれただろうに……



 残念に思いながらも、胸の奥からあふれ返る彼への愛情と好奇心は、その程度のことで消えなかった。



「お前がそこまで歪んだ原因は何なのであろうな。……何か、人間を憎まざるを得ない未来でも見たのか?」



 もっと私を喜ばせてくれ。

 そんな願いから、私は彼が抱える闇に一歩踏み込んだ。



「―――……」



 問いかけた瞬間、彼がまとう雰囲気が一変する。



「それを、あなたに言う義理がありますか?」



 刹那に周辺の温度が下がる。

 人間の肉体の感覚などほとんど分からない私でも、凍えると思うくらいに寒気がした。



 興味本意で私たちの交流を覗きにきていた精霊たちが、慌ててこの場から逃げていく。

 微かな音がしてそちらに目をやると、彼が握り締める枝は、とげだらけの氷にびっしりと覆われていた。



 ゆらゆらと。

 蜃気楼しんきろうのように、爆発的な魔力を立ちのぼらせる彼。



「まさか、あなたならこの未来を変えてくださるとでも?」



 深くうつむいていた顔が上がる。

 淡い栗毛色の前髪の隙間から私を射るその双眸は暗く、そして苛烈な激情をはらんでいた。



 そこに宿るのは怒りか、怨嗟か。



 あまりにもすさまじい威圧感と拒絶に、私は怯んで声を失った。


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