崩壊の始まり

「―――はあ。これで私も、ようやく役目が終わったな。」



 戦争の後片付けとなる最後の書類を確認し、私はようやく安堵の息を吐き出す。



 再びこのレベルの戦争を起こされたのではたまらない。



 そう思った私は王家の人間に命令し、こんな争いが二度と起こらないように徹底的に交渉させた。



 これまで確認した書類を見るに、交渉に問題はないと思われる。



 この国の人間には、お前たちがこの大陸の平和に目を光らせておけと重々に言ってある。



 他国の人間も、あれだけ圧倒的な力を見せつけられたのだから、この国に牙を剥くということもないはずだ。



 まあ、これから移ろっていく時間の中で、この戦乱の記憶が風化しないかという一抹の懸念はあるが……



「あの……おそれながらも、どうかお聞かせください。」



 その時、私から書類を返された人間が口を開いた。



 誰だったか。

 確か、この国の王を務める者だったか?



「あなた様は、一体……」



 ずっと訊きたくて仕方なかったのだろう。

 彼がその問いを口にすると、周りに控えていた他の人間も目の色を変えた。



「それを聞いて、どうするのだ?」



 面倒なので、適当にはぐらかすことにした。



「お前たちもすでに察しているように、人間ではないことは確かだな。だが、それ以上は知る必要もなかろう。どうせ、私はこの国から去る存在でしかないからな。」



「そんな!」



 無感動に告げると、途端に周囲が血相を変えた。



 やれやれ。

 面倒なことになってしまったな。



 私は溜め息をつくしかない。



 あんなに私に反発して恐れていたくせに、この手のひら返しはなんなのだ。

 今では私は、英雄だなんだともてはやされる存在になってしまっている。



「どうか……どうか! この国にとどまってくださいませんか!? 今あなたがいなくなってしまったら、民の士気が下がってしまいます!!」



「私に何を求めているのかは知らぬが、私の役目は終わったのだ。これ以上は何もする気などないぞ?」



「いてくださるだけでいいのです! 神のごとき守護がついているという事実があるだけで、今後の平和は半永久的に保たれます!!」



「実際は、守護などしておらんのに?」



「気の持ちようの問題です!!」



 意味が分からない。

 王を筆頭にその場の人間全員から懇願され、私は顔をしかめてしまった。



「そうは言ってもだな…。これを見てみろ。」



 私は彼らに、服の下に隠されていた腕を見せてやる。

 その肌は黒く変色し、ところどころでめくれた皮膚が痛々しくささくれ立っていた。



「分かったであろう? 元はすでに死んでいる肉体に、無理やり私が宿っている状態だからな。この体も、私を受け入れ続けるにはもう限界なのだ。いくら頼まれても、この体が朽ち果てればそれで終わり―――」



「なら!!」



 そこで、私の言葉を遮る声が響く。



 そちらを見ると、真っ青になる人々の中に一人だけ、緊張の面持ちで片手を上げる者がいた。



「私の体を使えませんか? ようは、代わりの体があればいいのでしょう?」

「は…?」



 私は耳を疑った。



 彼は何を言い出すのか。

 その思考回路は、もはや理解不能だった。



「……お前、死にたいのか? 私が宿るしろとなれば、生きていられる保証などないぞ?」



「覚悟の上です。国の安寧のためならば、喜んでこの体を差し出しましょう。」



 死ぬぞとはっきり告げたはずなのに、彼はやたらと輝いた顔でそう言ってくる。

 そして彼に触発されるように、また人々が私を引き留めようと言葉を連ね始めた。



 人間とは、不可解な生き物だ。



 自分たちが生き残るためにこれまで争ってきたはずなのに、私を前にしては、簡単にその命を捨てると言うのか。



『どうか……どうか、この国を助けてください。王家も国民も、もうボロボロなんです。こんな戦争、早く終わらせて……みんなが、笑顔に戻れるように……』



 ふとその時、この体の本来の持ち主が私に告げた言葉を思い出す。



 そして、その時に少年が見せたすがるような顔が、今目の前にいる人間たちの顔と重なった。



 ―――まあ……そこまで望むのなら、もう少しここにいてやってもいいか。



 押しに押され、そう思った。

 



 この時の私は知らなかったのだ。





 これが、自分という存在を崩壊させる日々の始まりになるなんて―――




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