最後の言葉も告げられない相手

 ダイニングテーブルをぐるりと回った拓也は、実の後ろにつく。



 そして次の瞬間―――実のこめかみに拳を当てて、思い切り力を込めた。



「いたたたたっ!!」

「おーまーえーはーっ!!」



 痛がる実に構わず、拓也はぐりぐりと拳を押しつける。



「まさかお前、口約束だけで満足してんじゃねぇだろうな!? あの時お前をぶっ刺してまで誓ったおれの覚悟を、どう心得てんだ!?」



「ご、ごめんごめん!! 別に拓也との約束をないがしろにしてるわけじゃなくて…っ。その約束があるからって、拓也を俺の傍に縛りつけようってつもりは全然なかったんだよ!! 拓也の人生は拓也のものなんだし、拓也がやりたいことに俺が口出しする権利はないでしょ!?」



「お前は、重要なことを分かっとらーん!!」



「いったーい!!」



 果てにはめいいっぱいの力でぶん殴られ、実はたまらず大声をあげた。



「何度か言った気がするけど、もう一回はっきり言ってやるから覚えとけよ!? おれの存在意義は〝ルティを守ること〟だ。おれが常に行動を共にするのはキースじゃなくて、お前なんだよ! おれが生きていく道には、お前がいることが大前提なんだぞ!? それなのに、あるじであるお前が〝なんでついてくるの?〟なんて、んなアホな話があるか!!」



「あ、主って……そんな大袈裟な……」



「ただの事実なんだけどな!? 忠誠を誓った人間にとって、忠誠を捧げた相手を主だと思うのは当たり前だし、主と一緒にいることも当たり前のことだ。そのうち、ユーリだってお前のところに来るんだからな!?」



「ええっ!?」



 衝撃の事実に、実は仰天。

 そしてそれを見た拓也は、さらに目くじらを立てる。



「やっぱり、ユーリがお前に言ったことの意味もちゃんと理解してなかったな!? お前って奴は……おれたちを拒絶しなくなったのは成長だけど、根っこではまだ、いつ一人になってもいいって思ってやがる節があるようだな。これは、説教がはかどりそうだなぁ?」



「ひーっ」



 目が怖い。

 この流れで説教が始まったら、半日コースになるのは必至だ。



「安心しろ。今は説教をしないでおいてやるよ。この話については、ニューヴェルに戻ったらユーリと一緒に、じーっくりと叩き込んでやるから。」



「安心要素、どこ!?」



 余計に怖くなってしまった。



 拓也の説教はもう慣れたものだが、ユーリの説教はどんな風になるのか想像がつかない。



 拓也以上に心をえぐってくる説教だったらどうしよう。



「まったく…。無自覚の天然なら、何をしても許されると思うなよ? 手を差し伸べたなら、その手を掴まれるだけの責任を持て。行動が善だろうと悪だろうと、やり逃げは許されないんだよ。」



「………? 俺、そんな大したことしてないと思うんだけど……」



 心底不思議そうな実の発言に、拓也の顔がひきつる。



「そういうとこだよ。この無自覚主。今ので、説教することが一つ追加だ。」



「うえぇっ!?」



「あー、やめやめ。今は、この話を突き詰めたいわけじゃねぇんだ。」



 どうしてそうなるのと問いたげな実をさらっとあしらい、拓也は一瞬で表情を硬くした。





「お前、楠木くすきのことはどうするんだ?」

「………っ」





 切り替えられた話題。

 その内容の重さに、それまでの焦りや戸惑いが綺麗さっぱり引っ込んでしまった。



「あ……その……」



 すぐには答えられなかった。



「梨央には……何も伝えないままでいようと思ってる。」



 胸にわだかまる罪悪感を押し殺しながら、決めていたことを口にする。



「梨央にはもう、俺からは会わないってはっきり伝えてある。最近じゃ、電話もメッセージもほとんどこなくなったし、ここで俺が最後の挨拶に出向いたら……逆に傷つけちゃうと思うんだ。」



 それは、最初からずっと考えていたことだった。



 梨央は、ずっと前に自分から決別を告げた相手だ。



 その後たった一度会って喧嘩別れのようになってしまったきり、彼女とは会うことも話すこともしていない。



 長い時間をかけて、梨央からの接触はどんどん減っていっている。



 この状況で自分から梨央に会いに行ってしまえば、自分のことを諦めかけている彼女に、自分をまた強く意識させてしまう。



 それは逆に不義理だろうと思ったのだ。



 急に自分がいなくなって、拓也とも連絡がつかなくなったとなれば、きっと梨央なら自分たちが住む世界を変えたのだと察するだろう。



 その時になったら、どうして勝手に消えてしまったんだと、梨央は自分を恨むかもしれない。



 でも、いっそのことその方がいい。



 自分のことを助けたいのにといつまでも悶々もんもんとするよりも、あんな冷たい人などもう知らないと割り切れた方が、自分としても彼女としても気持ちがいいと思うのだ。



「ふーん。そっか。」



 拓也は特に、意見を言ってこなかった。

 彼の性格上、反論してこないということは自分に同意ということだろう。



「うん。」



 実は躊躇ためらわずに頷いた。



 改めて認めると、胸にちくりと突き刺さるものがある。



 今までありがとう、と。

 どうか幸せに生きてほしい、と。



 それすらも伝えられないことは、心苦しいけれど。

 これでいいのだ。



 そんな気持ちを噛み締めながら、実は切ない表情で唇を引き結んだ。


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