トラウマどうしの衝突

「………っ」



 拓也が息を飲んで言葉に窮する。

 本名と共に浴びせられた言葉以上に、そのりんとした態度に怯んだと表現した方が的確だろう。



 まっすぐに拓也を貫く実の眼差しは、静かながらもとんでもない威圧感を放っていたのだから。



「拓也こそ、俺がどうして一度は記憶を封じたのか……それを分かってて俺を止めてるの?」

「―――っ!!」



 暗い感情をたぎらせて問いかけると、拓也の怒りがすっと引いていくのが分かった。



 ずるいやり口なのは、重々承知の上。

 しかしトラウマに対抗できるのは、やはりトラウマでしかないのだ。



「また桜理みたいな犠牲が出たら、俺はもう二度と自分を許せなくなる。仮に地球で平和に暮らせたとしても、心はずっと闇の中だろうね。拓也とは違う種類かもしれないけど、永遠に抜け出せない地獄に落ちることには変わりない。そうなってでも地球にしがみつけって、拓也は俺にそう言いたいの?」



 この世界から逃げはしないから、たまには地球で息抜きすることを許してくれ。

 行方をくらました前科を持つ自分がそう言ったところで、誰がそれを信じるというのか。



 いつまでも地球に執着する自分にやきもきする連中は、そのうちこう考えるのではないだろうか。



 そうだ。

 桜理のように、自分の未練に繋がる人間は全員こちらに呼び寄せてしまえばいいのでは、と。



 一方的に連れ去ってくるなら問答無用で叩き潰すが、同情や正義感を煽って、同意の元に連れてこられたら厄介だ。

 自惚うぬぼれかもしれないが、晴人はるとや梨央は、喜んでこちら側に来てしまう気がする。



 異世界に来てでも、お前を支えたいんだって。



 周囲の口車に乗せられてそう言ってくる彼らに対して、自分は何を言える?

 余計なお世話だから帰れだなんて、そんな冷たいことは言えないじゃないか。



 万が一にもそんなことになったら、逃げ道を残した自分の判断を後悔することは必至。

 そして、決して安全とは言えないあの世界を選んだことで彼らの身に何かが起こったら、自分は死ぬ瞬間まで自身を呪い続けるだろう。



「………」



 拓也はやりきれない表情で、奥歯を噛んでいる。

 他の皆も、どうして実がここまで頑ななのかを知り、実にかけられる言葉の一切を失ったようだった。



 トラウマを語る実の瞳には、安易ななぐさめを口にできないほどの恐怖が揺れていたから。



「拓也、ありがとね。拓也を責めたいわけじゃないんだ。拓也が俺を心配して止めてくれてることは分かってるし、その気持ち自体はとても嬉しいんだよ。」



 厳しい口調を取り下げて、実はそこで穏やかに微笑む。



「さっきも言ったけど、これは俺の心を守るための選択でもあるんだ。母さんや桜理と一緒にいたいっていうのもあるけど、俺を支えてくれるみんなとなら、あの世界で何が起こっても乗り越えられる。そう思ったから、俺はまっすぐな気持ちであの世界を選べたんだよ。」



 これは、今の自分から皆へ贈ることができる、最大の敬愛と賛辞だ。



 孤独であることに逃げようとしていた昔の自分だったら、こんな風に地球を手放すという決断には踏み切れなかった。



 口先では一人でいいんだとうそぶいておきながら、本当は寂しくて仕方なくて。

 自分で決めて力を取り戻したくせに、城が自分を捜さなければ、自分は何もかもを忘れたまま地球で笑えたはずなのにって、筋違いな不満ばかりを膨らませて。



 全てから目を背けた孤独の世界で悲劇に浸って、地球での生活に執着していたと思うのだ。



 ここにいる皆は、そんな自分に手を差し伸べてくれた。

 時には怒って、時には諭して、どんな自分でも温かく包んでくれた。



 信じていいんだって。

 長い時間をかけて、それを教えてくれたのだ。



 だから自分は、こうして前を向いていられる。



 どうしようもない運命に絶望したんじゃなくて、希望を求めたからこそ、この別れを受け入れたんだって。

 どうか、それだけは伝わってほしい。



 実が浮かべる柔らかい微笑みの力は絶大だった。

 誰もが虚を突かれたように固まり、次いで照れたように狼狽うろたえ始める。



 怒っていたはずの拓也までどぎまぎとしてしまう状況に、実はくすくすと笑う。

 その隣でじっと話の行く末を見守っていたエリオスが、軽く一息をつきながら立ち上がった。



「父さん、どうしたの?」



 実は小首を傾げる。



「ごめんね。ここからは、父さんは別行動をさせてもらうよ。」



 そう告げたエリオスの瞳が、冷たく据わる。



「ちょっと、話を聞きに行かなきゃいけない人がいるんだ。」



 一瞬でに苛烈に揺らめき出す強力な魔力。

 到底、話を聞きに行くような雰囲気じゃない。



 それを見るだけで、彼が誰と話をしようとしているのかは明白だった。



「父さん……危なくない?」



 訊ねる。



 不安だったのだ。

 もし話がこじれて争いにでもなったりしたら、父は無事でいられるのだろうかと。



「さあ…。どうなるかは、向こう次第だね。」



 下手にごまかしても意味はないと判断したのか、エリオスはどこか突き放すような口調でそう言う。



「ルティ。先に言っておこう。もしこのまま、父さんが戻ってこなくなったら……その時は、今後神だって名乗るような存在の話なんて聞くんじゃないよ。」



 物騒な〝もしも〟。

 眉を下げた実が答えられずにいると、エリオスは早々に話を振る相手を変えた。



「ティル君。君を信頼してのお願いだ。そうなった時は、この子に余計なことを一切聞かせないでくれ。」

「頼まれなくてもそうしますよ。」



 実とは違い、拓也は間髪入れずに即答する。



「なら安心だ。」



 安堵の表情を浮かべたエリオスの体を、瞬く間に光を帯びた風が包む。



 消えていく父の姿を見送る実は、持て余した不安を静めるように、ぎゅっと自分の胸を握っていた。


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