お別れなんだよ……

(―――と、拓也の前では意気込んだけど……)



 放課後に立ち寄った、ファミレスの一席。

 そこで実は、うれいの表情でカップに揺れるコーヒーを見つめていた。



 向かいの席では、晴人はるとと悠が分厚い参考書を睨んでノートにペンを走らせながら、難問にぶち当たっては頭を抱えている。



 最近はよく見られる、お決まりの光景だ。



 対する自分のノートはまっさら。



 以前までは母や桜理のことばかり考えていたせいで勉強に身が入らなかったし、今となってはもう、地球での勉学を意識する必要もなくなってしまった。



 しかし、そんな自分の心境など知るよしもない晴人には、余裕なのがムカつくと恨み言を言われてしまったけれど。



「実?」

「……え?」



 呼ばれたことにかなり遅れてから気付いて、実は慌てて顔を上げる。

 そこでは、晴人と悠がペンを止めてこちらを見つめていた。



「なんか深刻そうな顔してるけど、悩み事でもあるのか?」



 心配そうな晴人の声。



「ああ……いや……」



 とっさに言葉を濁しながら、すぐに躊躇ためらいを振り払う。



 すぐに勉強モードに入ってしまった二人にどうやって話をしようかと、ずっとタイミングを見計らっていたのだ。



 晴人たちから声をかけてくれたのなら、都合がいい。



「あのさ……一つ、報告があって。」

「報告?」



 晴人も悠も、首を傾げる。

 実は深呼吸をして間を置くと、決意を込めた表情で二人と向かい合った。





じつは―――高校を卒業したら、母さんと一緒に、父さんのところに行くことになったんだ。」





 思いきって、そう切り出す。



「え…」



 目を丸くする悠。

 その隣にいる晴人の顔から、さっと血の気が引いていく。



 まだ付き合いが浅い悠はピンとこないのだろうが、幼い頃からずっと一緒だった晴人には、すでにこの後の展開が見えてしまっているようだった。



「親父さんって……ずっと海外に単身赴任してるって言ってたよな?」



 からからに渇いた声を絞り出す晴人は、どうか冗談であってくれと、全身でそう訴えているようにも見えた。



「うん。」



 実は頷く。



「ってことは、もしかして……日本を出るってことなのか?」

「……うん。」



 もう一度頷くと、そこで悠の顔色も変わる。



「晴人はこの前、父さんに会ったでしょ? 父さんが日本に戻ってきてたのは、このことを話し合うためだったんだ。」



 前にあった出来事を利用して、さらさらと嘘をつく。



 レティルにあそこの時間で二ヶ月くらいの時間をもらうと言ったのは、こういう意図があってのことだった。



 時間はまた過ぎて、地球はもう十月も終盤。

 あと五ヶ月もすれば、自分たちは高校を卒業する。



 ごく自然に別れるには、卒業後の進路の違いを理由にするのが一番都合がよかった。



「ど、どこに行くんだよ…?」



「それが、父さんったらまた転勤になるらしくてさ。次の赴任先が、まだ決まってないんだって。一旦はヨーロッパの方って話らしいけど、それも数年後にはどこに飛んでるか分かんないな。」



 あえて困ったように笑う実。



「とまあ、そんな感じで住む場所がころころ変わりそうだから、進学するのはやめて、父さんの手伝いとして働かせてもらおうかなって考えてる。」



 そして、一番の肝はこの先。



 この現実を伝えるのは、やはり少しばかり胸が痛い。

 それをこらえて、実は脳が発する電気信号に従って口を動かす。



「今住んでる家は、引き払うことになった。ケータイとかも全部解約していくから、今後連絡を取り合えるかも分からないんだ。多分……日本に帰ってくることは、もうないと思う。」



「そんな!」



 遠回しにもう会えないことを告げると、晴人がたまらずといった様子でソファーから腰を浮かせた。



「実だけでも、日本に残るってことはできないのか!? 生活が心配だってことなら、オレの家に来いって! 実なら、オレの家族も大歓迎だよ。」



 必死な晴人に、実はただ笑うしかない。



「もちろん、その話も出たよ。大学生にもなれば、あの家で一人暮らしもできるわけだしね。」



「だったら―――」

「だめ、かな…?」



 微かに揺れる、実の声。

 どうにか実を説得しようとしていた晴人の言葉が、そこで止まる。



「だって俺、小学校に入った時くらいから、父さんとまともに暮らしたことがないんだよ? 本当は一緒に連れていきたかったけど、海外は治安がよくない所も多いからって、あえて母さんと俺を日本に残したんだってさ。そんなことを聞いたら、これからは一緒にいたいって思うじゃん。俺ももう十八だし、今なら父さんの仕事を手伝うことだって、自分の身を守ることだってできるんだからさ。」



「………」



 そう言うと、晴人が途端に言葉を失ってしまった。



 ずっと行動を共にしてきた晴人なら、十分に知っているはずだ。



 自分がどれだけ父が好きで、そんな父と滅多に会えないことをどれだけ寂しがっていたか。



 そして知っているからこそ、理解もできるだろう。



 父に〝一緒に来るか?〟と問われたら、自分なら当然のように〝離ればなれはもう嫌だ〟と思う。



 そう思った結果、自分は父の誘いに二つ返事で頷いたのだろうと。



「……ごめん。晴人たちと別れることになるのは悲しいけど、今は家族みんなでいられることを一番大事にしたいんだ。明日母さんと一緒に、学校にその話をしに行くから……その前に、二人には俺から直接伝えておきたかった。」



 これは、自分が望んだこと。



 それが伝わったらしく、晴人も悠も唐突な別れに悲しそうな顔をする。

 そのうち深くうつむいてしまった晴人に、実は罪悪感を持たざるを得ない。



 晴人からしたら、とんだ災難だと思う。



 身を切るような思いで恋人と別れることを選んだ次は、親友から別れを切り出されるのだから。



 二人をこんなにも悲しませることは、自分だって苦しくてたまらない。



 でも、仮に二人の記憶から自分のことを消そうとすれば、それに連動して、あの流浪るろうする異世界での出来事も消さなければならなくなる。



 それはできなかった。

 取り上げたくなかったのだ。



 母へ抱く自分の想いを自覚して、絶対に帰るのだと決意した悠が得た強さを。



 彼女が幸せならそれでいいのだと、愛しい温もりを手放した晴人が最後に見た、華奈美の笑顔を。



 だからといってなんの前触れもなく二人の前から消えたら、それこそ二人に心労をかけてしまうだろう。



 だから、これでいいのだ。



 ちゃんと正面から別れを告げる。

 これが、自分が二人に見せられる最大の誠意だ。



「―――が…」



 ふいに小さく震える晴人の唇。

 次の瞬間―――



「オレが会いに行く!!」



 キッと目元を険しくした晴人は、力強くテーブルを叩いてそう宣言した。

 驚いて目を丸くする実に、晴人はずいっと詰め寄る。



「勝手にお別れムード出してんじゃねぇよ!! 絶対に会いに行ってやるから、手紙くらいは寄越せよな!?」



「晴人……」



 パチパチとまばたきを繰り返した実は、ふとした拍子に参ったように微笑む。



「簡単に言っちゃって…。とんだけお金がかかると思ってんのさ。」

「そんなの関係ない!」



 晴人に、引く気はないようだった。



「見てろよ。オレ、お前がびっくりするくらいにビッグな大金持ちになってやる。実がどこにいたって、自家用ジェットでも飛ばして会いに行ってやるよ。ふじと一緒に。」



 晴人の顔は、決意に満ちている。



 なんだか、これをきっかけに彼の夢が決まってしまったかのような。

 そんな痛いほどにまっすぐな眼差しに、実はとっさに返せる言葉がなかった。



「……ありがとう。」



 どうにか絞り出した声の苦さったらない。





 本当に………本当に、お別れなんだよ……




 そう言ってしまいたくなって、あふれかけた気持ちを押し込める。



 この衝動に身を任せたら、今まで隠してきたことと一緒に涙が零れてしまいそうだったから。



「二人とも、いつまでも元気でいてよね。」



 そしてどうか、ずっと幸せに―――



 ささやかな願いを心の中でなぞりながら、そっと目を閉じた。


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