第1章 別れ
再び告げる決断
ニューヴェルでのごたごたも落ち着き、少しの間なら尚希が離れても平気だと判断できた頃。
実、拓也、尚希、エリオスの四人は、改めて地球に戻ってきていた。
出迎えてきた詩織に大事な話があると告げ、全員でソファーに腰かけてテーブルを囲む。
皆の表情に、笑顔はない。
詩織が用意したコーヒーにも手をつけようとしない。
それで、大事な話というのが深刻な内容であることを悟ったのだろう。
話を待つ詩織の表情には、大きな不安が揺れていた。
緊張した全員の視線を受ける実は、ただ静かに目を閉じている。
やがて開かれた
「―――もう、地球にいることはやめようと思う。」
長かった沈黙に終止符を打った、実の言葉。
それに詩織は目を見開き、拓也たちは複雑な表情をたたえた。
押し寄せてくる仕事に流されて、論じる時間が全然なかったこの話題。
ついに、それと直面する時が来たのだ。
「……ルティ。本当にいいのかい?」
最初に口を開いたのは、エリオスだった。
彼の口調にはこちらの結論を止める響きもなければ、非難するような響きもない。
おそらく父は、すでに自分の判断を受け入れているのだろう。
それを察しながら、実はゆっくりと頷いた。
「うん。あいつに、俺が信用できないなら血を預けるってまで豪語したくらいだからね。それくらい本気なんだって思ってくれると嬉しい。今さら、出した答えを覆すつもりはないよ。」
それを聞いた詩織は、驚愕の表情に蒼白な色を交えさせた。
〝血を預ける〟
彼女もあの世界に生を受けた存在ならば、これを聞いただけで、自分が何をしようとしたのかは分かっただろう。
「実…」
尚希がもどかしげに唇を噛む。
考え直せと言いたいが、それを簡単に口にできない。
そんな印象を抱かせる仕草だ。
尚希がそんな複雑な心境になる理由は、こちらとしても察せられる。
彼は一度あの世界を捨てて地球に
今の自分と、全く同じ道を辿っているのだ。
過去に下した自身の結論を棚に上げて、自分を止めることはできないのだろう。
ここで、自分に真っ向から反論できる人間がいるとすれば―――
「……おれは、反対だぞ。」
実と目が合った拓也は、その顔に並々ならぬ怒りを浮かべる。
「何考えてんだ!! いくらセリシア様やレイレンを助けるためだったとはいえ、あのくそ野郎の手を借りなくともよかっただろ!? キースが動いてやるって言ってたのに、それを待つことはできなかったのか!?」
案の定、拓也は
しかし想定の範囲内なので、自分の心は一片も動揺しない。
故に実は、拓也とは対照的な冷静さで彼の言葉に耳を傾けていた。
「あそこまで大きくなった問題は、人間の領分で解決しても穏便には収められないよ。俺一人が腹をくくるか、数えられない人たちが不安に駆られるか。どっちが軽いかは明らかでしょ。」
「この…っ。馬鹿か、お前は!?」
火に油を注がれたかのように、拓也の怒りが爆発する。
「だからおれは、お前があの世界に関わり続けるのは嫌だったんだよ!! お前は優しすぎるから、こうなったら簡単に自分を犠牲にするって分かってたから…っ」
拓也の表情に滲むのは、悔しさとやるせなさだ。
これまでを思い返せば、彼がこう言うのも仕方のないことだった。
魔力と記憶を取り戻してから、
たくさんの人と出会って触れ合って、色んな人から色んな言葉をかけてもらえた。
その中で、拓也だけだった。
あの世界に囚われるな、と。
出会った時から変わることなく、自分にそう言い続けてくれていた人は。
いつだって自分を守ろうとしてくれて、自分が無茶を通そうとすると一番にそれを認めて、共に走ってくれた拓也。
そんな彼はちょっとでも自由な時間ができると、自分を連れて地球に戻ろうとしていた。
そして、何度も自分に語りかけてきた。
幸せを諦めて、視野を狭める必要はない。
お前が取り戻したい生活は、こっちにあるんだろう、と。
そう言って、自分が地球での暮らしを忘れないように努めていた。
さらにそれを実現に近付けるため、桜理をサレイユから解放する手立てを自分と共に模索し続けてくれていた。
その努力をふいにしてしまったことは、申し訳ないと思う。
彼の底なしの優しさには、感謝するばかりだ。
―――でも、自分はもう決めたのだ。
自分が生きていくべき世界が、どちらであるのかを。
「別に、自己犠牲なんかじゃないよ。これはみんなのことだけじゃなくて、俺の心を守るための選択でもあるんだ。」
実はふと目を伏せる。
自分が地球に身を置いたことで、桜理はさらわれ、母は殺されかけた。
自分があの世界を捨てることを、多くの存在がよしとしない。
セイリンに告げられた言葉が真実であることは、苦い経験と共に証明されている。
もう嫌なのだ。
これ以上、心臓に悪い思いはしたくない。
「きっと、別れることが最善ってこともあるんだよ。あの世界にいる人のことは、俺が力を尽くせばきっと守れる。だけど……ここにいるみんなのことは、別れることでしか守れない。」
それは、過ちや遠回りを繰り返した末に辿り着いた、一つの結論。
自分にとってはもはや自明の事実だったのだが、それを聞いた瞬間、拓也がこれまで以上の激情を
「お前……おれがその選択をして、今死ぬほど後悔してるって分かってて言ってんのか!?」
興奮のあまり、拓也は肩で大きく息をしている。
「ごめんね。分かってるよ。」
答える実は、やはり静かなままだ。
分かっている。
この言葉が、別れることを選んだ結果、母親を失った拓也の逆鱗に触れてしまうことも。
自分と同じ地獄に落ちてほしくないと、拓也が心からそう願っていることも。
「でもね―――俺とティルとでは、物事の優先度が違う。」
きっぱりと。
実は、拓也の意見を切って捨てた。
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