理から外れた瞬間

 私は所詮、この世界に操られているだけの存在でしかなかった。



 世界を存続させようという使命に忠実に生きてきた過去も。

 そのために様々な苦労をしてきた経験も。



 全ては、世界に都合がいいように作られたまやかし。

 そこに、私の意思と呼べるものは何一つとしてなかった。



 自分がそんな存在だったと知って、怒りを覚えずにいられるか?

 私を縛る何もかもがわずらわしいと思うのは、責められるべき過ちなのか?



 どんな経緯であれこの真理に気付いたのであれば、今度こそ縛られずに、本物の私の意思を持って生きていきたい。



 そう願うのは、罪なことだろうか?



 そして、自分の意思というものを強く願った私がしがみつけるのは、世界への憎悪だけだった。



 人間を滅ぼそうと考えたから、私はこんなにも抑止力に苦しめられた。

 苦しんだからこそ、抑止力という鎖の存在に気付くことができた。



 抑止力が私を苦しめているということは、今の私は抑止力に―――世界の意思に反しているのだ。



 ならば、今胸を満たすこの憎悪こそ、世界に囚われていない〝本物の私の意思〟ということではないか。



 それにすがらずして、私はどうやって〝私〟という個を認識すればいい?

 そんな都合のいい希望など、どこにもないだろう?



 何がなんでも、この世界を終焉しゅうえんに導いてやる。



 決心した私は、どうすれば世界の抑止力からのがれて全てを終わらせられるのかを考えた。



 そのためには、意識するのもおぞましい抑止力について論じなければならないが、憎たらしい世界を滅ぼすためだ。



 このくらいの不快感、いくらでも耐えてみせよう。



 そうして考え始めて……私は、すぐに大きな壁にぶち当たる。





 ―――どうして、今の私は抑止力に逆らえているのだろうか。





 同胞たちには、私が導き出したこの理論が記憶にすら根付かなかった。

 それなのに、私だけがこの理論を抱き続けていられるのは何故だ?



 私がこの理論を突き詰めた張本人だからか?

 いや、それはないだろう。



 抑止力は、生きとし生ける者全ての意識にも無意識にも作用している。



 抑止力にかかれば記憶ですらも改変されるのだということは、これまでの経験から証明されていることだ。



 本来であれば、私だって抑止力の存在に気付く前に無意識を正されていたはずだ。



 私が抑止力の存在に気付くことができたのも、今でもそのことを忘れずにいられるのも、私には抑止力が正常に働いていないからだと思われる。



 では何故、私には抑止力が正常に働いていないのだろうか。

 そもそも、私はいつから抑止力からのがれていた?



 考えろ。

 思い出せ。



 きっとそこに、この抑止力のほころびとなる何かがあるはずだ。



 私は、必死に記憶を手繰たぐった。



(―――あ…)



 何度も何度も記憶を掘り返していると、ふいにとあるいちページで手が止まった。



『どうか……どうか、この国を助けてください。王家も国民も、もうボロボロなんです。こんな戦争、早く終わらせて……みんなが、笑顔に戻れるように……』



『どうか……どうか! この国にとどまってくださいませんか!? 今あなたがいなくなってしまったら、民の士気が下がってしまいます!!』



 脳裏にひらめく、当時の言葉。

 よくよく思い返して、私は違和感に気付く。



 そうだ。

 思えば、あの時の私の判断はおかしかった。



 これまでの長い時の中で、人間に直接手を出したのはあれが初めてではない。

 ああやって引き留められたこともある。



 だが私は……これまでは一度として、人間の願いを聞き届けようと思ったことはなかった。



 彼らの声を無視して神の世界に戻ったり、あまりにもしつこいようなら人間たちの記憶から私の存在を消したりしていた。





 それなのに、私はどうして―――あの時だけ、〝ここにいてやってもいいか〟なんて思ったのだ?





 あの時点で、戦乱に終焉しゅうえんをもたらすという私の役目は終わっていた。

 人間に直接介入してもいいという有事の時もまた、終わっていたはずなのだ。



 この世に生きる生き物に接触してはならないという、神々の鉄則。

 人間には緊急時であっても触れてはいけないという禁忌。



 あの時の私は、何気なくこの二つの決まりを破っていた。

 改めて考えると、明らかに不自然な出来事だ。



 抑止力に縛られている神々は、いさかいや反抗など起こさない。

 ちょっとした疑念ですら、世界にとって都合が悪ければ揉み消される。



 本来であれば、そんな私が決まりを二つも破るなんてことはしないはずだ。



 ここにいてやってもいいかと思ったとしても、その程度の気の迷いなら、抑止力が働けばすぐに消えただろう。



 しかし現実では、私は人間に言われるがまま次の肉体に乗り換え、おさに言い訳をしながら人間の中にとどまった。



 その行動を、疑問に思うことすらなかったのだ。



 ならば……あの時は、私に抑止力が一切働かなかったことになる。



 抑止力が一切働かない?

 そんなことがありえるのか?



 その時、自分で作り上げた〝抑止力〟という概念に、一つの疑問が生じた。



 ……いや。

 今はここを突き詰めるのはやめよう。



 ともかく、あの出来事が私が抑止力からのがれたきったけだ。

 それが明確になっただけで進展だ。



 ―――では次だ。



 どんな理由があったにせよ、あの時の私は抑止力の影響を受けなかった。

 ならばその後、私が抑止力の影響を受けたタイミングはなかっただろうか。



 おそらくはどこかにあるはずだ。

 長から小言を言われるのではなく、私が自分の選択を自然に振り返ったタイミングが。



(―――あった……)



 そうして私は、また新たな発見をするのだった。


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