この世界の仕組み

「お前を……殺す…?」



 レティルからのとんでもない願いに、実は止まりそうになる呼吸を繋ぐので精一杯だった。



 そんなことしたくない。

 いや――― できるわけがない。



 頭によぎったのは拒絶というよりは、不可能だという自明の事実。



 だってレティルは、曲がりなりにもこの世界を支配する神の一人ではないか。

 そんな存在を、人間である自分が殺せるはず―――



「今のお前ならできる。」



 狙ったかのようなタイミングで差し込まれた言葉。

 怯む実に注がれるレティルの視線は、痛いほどにまっすぐだった。



「むしろ、今のお前にしかできぬことよ。お前にも見えているのだろう? 世界に蔓延はびこが。」



 彼が指を滑らせた先にあるのは、空間内を走る糸の一本。



「おそらくお前もすでに察しているだろうが、コレはありとあらゆる存在や概念の綻びともいえるもの。そして――― この世のあまねく存在を縛りつける、世界からの抑止力の一部が形になったものともいえるな。」



「抑止力…?」



 初めて聞く単語だ。

 レティルから自分へと引き渡された能力の根幹たる話だったからか、実の瞳が明らかな関心を示す。



「この世界は言わば、とてつもなく巨大な生命体なのだ。」



 手始めにレティルは、簡潔にそう述べた。



「世界は己の命を維持するために、己の中で生きる存在の全てに干渉している。私はその干渉を総じて、世界からの抑止力と呼んでいる。そうだな……分かりやすい例をあげると、世界が〝この種族は不要だ〟と判断すれば、自然とその種族を狩る別の種族が現れる。あるいは突然、同族で共食いを始めることもあるな。これらは全て、世界が抑止力を使って生き物を操った結果だ。己の意思で自由に生きていると思っている生き物は皆、その無意識を〝世界〟という絶対主に支配されているのだよ。そして……」



 そこで、レティルの声音がぐっと低くなる。



「その象徴たる存在が――― 我々、神という生き物だ。」

「え…」



 口から勝手に、間抜けな声が漏れる。

 実は茫然としながらも、脳裏にひらめいた推測を口にした。



「象徴たる存在って……まさか、お前たちも世界とやらに縛られてるっていうのか?」

「ああ、そのとおりだ。」



 間髪入れずに実の発言を認めたレティルは、どこか自嘲的に笑う。



「お前たちは、我々のことを圧倒的な支配者だと思うだろう? ――― 違う。そんなものではない。私は前に言ったであろう? 神とは世界の〝調律者〟だと。」



 そういえば、確かにそんなことを聞いた気がするし、拓也も彼からそう言われたと話していた。



 〝支配者〟ではなく〝調律者〟。



 わざわざ違う単語で神の存在を形容する理由は、おそらく……



 この時点で、実はレティルが何を言いたいのかを察して、顔色を失くしていた。

 そして実の反応の一つ一つを観察していたレティルは、ふと視線を虚空へと向けた。



「我々は、全知全能の創造者ではない。神がこの世界を創ったのではなく、世界が神という存在を創ったのだ。だから我々は常に抑止力に縛られ、世界が許した権限の範囲でのみ、絶対的な力を発揮する。全ては、この世界を存続させるために。そうとしか存在できないように、意識も無意識も完璧に操作されて管理されている――― ただの操り人形なのだよ。」



 なんの感情もない、空虚な声。

 でたらめなことを言っているからの棒読みではない。



 そう口にしたのにはそれなりの根拠があって、それが真実だと悟ったからこそ、感情を失うに至ってしまった。



 どうしてなのか、そんな印象を抱いた。



「ちょっと待てよ……」



 混乱する頭でも、実は違和感に気付く。



 自分の認識を根底からひっくり返すような世界の仕組み。

 だが、その理論に大きな破綻はない。

 そんな理論で回っている世界があったとしても、なんら不思議はないだろう。



 しかしその理論は―――



「そんなのおかしい! 世界中の色んな存在が、俺がこの世界を捨てるのを許さないんだよな? 全ての存在が操られてるっていうなら、なんで俺たちは地球へ逃げられたんだ!? セイリンが母さんの望みに応えたことだって、世界にとっては都合が悪かったはずだろ!?」



 仮に、レティルが言う理論が真実だとしよう。

 それを前提にしてこれまでの行動を論じるなら、自分や父が地球へ逃げようと決めたその意思には、世界の意思がそのまま反映されていることになるはずだ。



 まさか、世界が意図的に自分を異世界に送り出したとでも?

 馬鹿なことを言わないでくれ。



 自分をこの世界に引き戻すために桜理をさらって、母やセイリンを殺そうとまでしたくせに?



 自分にこの世界から離れてほしくないなら、そんな回りくどいことをせずに、自分の意識をそう操作すればいい。

 そもそも人間に、異世界の存在を認知させなければよかったという話ではないか。



 あらゆる面で矛盾している。



「それは、お前たちが〝特別〟だからだ。」



 実の反論に対し、レティルが答えたのはそれだけ。



 特別だと?

 随分と便利な言葉を持ってきたものだ。



 それは、都合の悪いことから言いのがれる常套句じょうとうくではないか。

 実は一切聞き入れる様子を見せずに、レティルをきつく睨んだ。



 レティルは特に、困惑や焦りといった表情は浮かべない。

 ただ淡々と、よどみなく語る。



「世界からの抑止力は、人間だけには届かない。そして人間に触れることで、我々も一時的に、その抑止力からのがれられる時がある。今まで起こっていた世界にとっての不都合は、全て人間が関わっていたからこそ起きた奇跡なのだよ。」



「そんな都合のいい話が――― あ……」



 条件反射でレティルをなじろうとした実の声が、そこで高く外れた。


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