大事な人が、次々と……

 ニューヴェルの領主邸の扉を叩くと、サミュールが歓迎ムードで出迎えてくれた。



 もう勝手知ったる屋敷なので、彼とは軽い挨拶を交わすだけですぐに別れる。

 一人で屋敷の中を進むと、自分を見かけた人々が必ず声をかけてくれた。



 カルノが自分への態度を改めたことで、ニューヴェルでの自分の立ち位置は、百八十度変わることになった。



 皆忙しくてじっくりと話す暇はなかったが、何かの折に一緒になると、これまでのことに対する礼と詫びを告げられた。

 そして、今さらだが体調は大丈夫なのかと、ものすごく心配された。



 そんな謝罪の日々が過ぎ去った後は、このとおり。

 心置きなく自分と仲良くできることに皆喜んでいるようだが、その中でも一番満足そうにしていたのは、屋敷のあるじである尚希だった。



 屋敷の人々との会話もそこそこに廊下を抜け、一直線に領主の執務室へ向かう。

 ドアを軽くノックしてから部屋に入ると、カルノとセリシアが、不安そうな表情で何かを話し合っているところだった。



 そこに、本来ならいるはずの尚希の姿はない。



「あ、ルティ君。」



 実の姿に気付いたカルノが、少しだけ表情をやわらげた。



「あの、キースさんは…?」



 挨拶も前置きもすっ飛ばして、本題に入る。

 すると。



「え…?」



 カルノもセリシアも、不可解そうに眉を寄せた。



「そっちにいるんじゃないのかい?」

「え…?」



 そう返されて、実の方が驚いてしまう。



「だって、ニューヴェルで問題が起こったからそっちを片付けてくるって、かれこれもう一週間前には……」

「ええっ!?」



 戸惑った実の言葉に、カルノとセリシアは目を見開いて、互いの顔を見合わせる。



「キース君は、一度もこっちに戻ってきてないよ。」

「戻ってない…?」



 部屋に入った瞬間に不穏な雰囲気は感じていたが、口ではっきりと言われると、途端に不安と共に危機感が全身を満たしていく。



 では自分と拓也に送られてきたメッセージは、尚希がついた嘘だったのか?

 どうして?



 尚希がそんなことをする理由が分からない。



 じゃあもしも、メッセージの送り主が尚希ではなかったとしたら?



 尚希からニューヴェルに戻るという最初のメッセージを受けてから感じていた胸騒ぎは、気にしすぎでもなんでもなくて―――



「じゃあ、ティルもこっちには……」

「来てないね。」



 一つ問いを重ねるほどに、問う実も答えるカルノも表情が凍っていく。



 尚希に、拓也に。

 自分にとって大切な人間が、立て続けに姿を消した。



 これを偶然で片付けるほど、自分は能天気じゃない。



 慌てて周囲を見回す。

 それで気付いた。



 もう一人。

 この場にいるべき人間が、もう一人いない。



「……ユーリはどこ?」



 お願いだ。

 彼は無事でいてくれ。



 切に願ったが、現実はあまりにも残酷だった。



 実がそう訊ねた瞬間、カルノもセリシアも、不安そうな顔をして返答につまったのだ。



「それが……」



 躊躇ためらいがちに唇を開くカルノ。



「ユーリ君、三日前に病院に行くって出ていったきり……今日まで戻ってきていないんだ。」

「―――っ!?」



 鈍器で後頭部を殴られた気分だった。

 顔面を蒼白にする実に沈痛な面持ちをしながらも、カルノは説明を続ける。



「ユーリ君に与えた休みは二日だったから、昨日の夜には屋敷に戻ってきてもおかしくなかったんだけど、なんの連絡もなくて…。さっき病院に問い合わせてみたら、三日前の夕方には病院を出ていったって言うんだ。だから私もセリシア様も心配で…。これまでの勤務態度や評判から考えるに、彼が仕事をおろそかにする子ではないのは明らかだからね……」



 うれいを帯びたカルノの声は、途中から実の耳には入っていなかった。



(どういうこと…?)



 茫然と床を見つめ、実は震える拳を握り締めた。



 尚希と拓也の二人だけではなく、ユーリまで?



 嫌でも分かる。

 これは誰かが、自分に深く関わる人間を狙っているのだと。

 しかも相手は、実力者であるあの三人でも適わないほどの強者。



 こんなことができる奴なんて、一人しか―――



「――― 実!!」



 その時、脳裏を揺さぶる勢いで声が響いた。



 男性とも女性ともつかない、中性的な声。

 そして、この場では最も聞きたくない声。



「アティ……」



 片耳に手をやる実の瞳は、すでに潤んでしまっている。



 嫌だ。

 聞きたくない。



 アティがこんな風に声を届けてくる時は、決まって―――



「まずいぞ! 桜理が倒れた!!」



 ほら、やっぱり……



「どうして…っ」



 できるだけ心を落ち着けようと、必死になる実。

 しかしその努力は、次のアティの言葉でもろくも崩れ去ることになる。



「突然、われに供給される力が途切れたのだ。それで……」

「―――っ!?」



 それは、まさかの事態。

 桜理が倒れたこと以上にありえない話だった。



「そんな!! 俺は、誓約を破棄してなんかいないのに…っ!!」



 アティへの力の供給が途切れた。

 それはつまり、自分と誓約を交わした聖木たちが、力の供給と止めたということだ。



「一体、何が……」

「それは我にも分からぬ。とにかく、今すぐ来てくれ!!」

「言われなくてもそうする!!」



 焦りに急かされ、実はすぐに腕を振って魔力を操った。



「母さん!!」



 魔法を構築しながら、カルノの隣でおどおどとしているセリシアに叫ぶ。



「この屋敷に、ありったけの強度で防御結界を張って!! もう誰が誰を狙うか分からない。せめて、この屋敷にいる人たちだけでも守って!! お願い…っ」



 完成した魔法によって、視界が揺らぐ。



 水面に揺蕩たゆたう影のように輪郭を失っていく母の姿に、一縷いちるの希望を託した。


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