どうか、あなたが幸せになれる選択を―――

「さすがに……おかしいよね……」



 実は、胸に込み上げてくる不安を口にせずにはいられなかった。



 これまで、学校にいる時以外は自分の傍にいた拓也が消息を絶った。



 それと同時に、今まで定期的に送られてきた尚希からのメッセージも途絶えてしまった。



 尚希は何よりもニューヴェルを大事にしている手前、連絡がなくなったとしても、向こうでの仕事が忙しいんだなと思える。



 しかし、拓也は?



 自分と一緒にいることが当たり前だと宣言していた拓也が、自分から離れることがありえるのだろうか。



 しかも、影を寄越してくることはおろか、連絡の一つもしてこないなんて。



 疑問に思って拓也と尚希が住むマンションにも訪ねてみたが、そこはもぬけの殻だった。



 夜まで待ってみることもしたのだが、彼らが部屋に戻ってくることもなかった。



「そうね…。今日も実が学校に行っている間、私も拓也君たちが来ないかって家で待機してたんだけど、誰も来なかったわ。」



 向かいの椅子に座る詩織も、心配そうな表情で目を伏せている。



「詩織さん。拓也の気配って、地球にはないんだよね?」



「ええ。かなりの広範囲を探索してみたんだけど、拓也君らしき魔力の反応はなかったわ。簡易的な魂寄せも試してみたけれど、そっちも反応なしね。」



「そっか……」



 実は落胆を滲ませた息をつく。



 詩織ほどの力を持っている存在でも拓也を見つけられないということは、やはり拓也は今、こちら側にいないということだろう。



「うん。ニューヴェルに行ってくるしかないね。」



 実は一人で頷く。



 地球でできる捜索の手は尽きた。

 このまま家で待っていても、事態が好転するとは思えない。



 ひとまずニューヴェルに向かえば、尚希やカルノとも合流できるはずだ。



 そこに拓也がいたならラッキーだし、いなかったとしても何かしらの情報を得られるかもしれない。



「じゃあその間、私はいつもどおり、あなたたちの影を維持しておくわね。」



 詩織の方から、願ってもない申し出が。



「ありがとう。いつもごめんね?」



 素直に謝辞を述べると、詩織はなんでもないことのように首を振った。



「いいのよ。このために私がいるんだもの。その役目も、もう少しで終わりだけどね。」

「あ…」



 どこか寂しそうな詩織。

 実は思わず眉を下げた。



「詩織さんは、どうするの? 俺たちと一緒に帰る? ……それとも、ここに残る?」



 聞くに聞けなかった詩織の今後。

 それを口にすると、詩織の表情が曇った。



「………」



 詩織は黙ったまま、すっと視線を横に逸らす。



 迷っているんだな。

 それだけは伝わってきた。



 実はそれ以上問い詰めはせず、無言で自分の手首に指を当てた。

 慣れた要領で腕に一本の切り傷を刻み、体内に循環している魔力をそこに集める。



 傷からあふれた血はテーブルに滴り落ちることはなく、実の意思に従ってとある形を作り始めた。



 最終的にそこにできあがったのは、実の手に収まる深紅色の結晶だ。



「これ、渡しておくね。」



 あっという間に傷を治した実は、自分の血を固めたそれを詩織の手に握らせた。



「まだ迷っててもいいよ。でも、この後何が起こるか分からない。これは、その時のための保険。これが溶けたり割れたりしたら、俺の身に何かしらの緊急事態が起こった合図。そうなった時には……どっちで生きていくかを選んでほしい。」



 何事もなければ、あと数ヶ月は悩む時間を与えられるはず。



 だけど、自分がニューヴェルに向かった後、なんの問題もなく皆で地球に戻ってこられる保証はない。



 場合によっては、高校卒業を待たずに次元の道を壊すことになるかもしれない。



 その時になって、詩織がなんの選択もできない状況はけたかった。



 もしかしたら、これで詩織と相対するのは最後になるかもしれない。

 そんな胸騒ぎから、実は詩織の手を包む自分の両手に力を込めた。



「どうか、詩織さんが幸せになれる方を選んで。今まで、本当にありがとう。俺……詩織さんのこと、大好きだよ。昔も、今もね。」



 気まずさばかりが先行して、ずっと詩織には想いを伝えられなかった。



 結局彼女の正体については教えてもらえないままだったが、彼女がどんな存在であろうと、この気持ちは変わらない。



 彼女を本当の母親だと思って過ごした日々は、嘘偽りなく幸せだった。

 彼女が自分に注いでくれていた愛情は、紛れもなく本物だった。



 関係性が変わったとしても、住む世界が別れたとしても、彼女は自分にとってかけがえのない存在として、永遠に自分の心に残っているだろう。



「どうか、幸せに。」



 これだけが、自分が詩織に願うことだ。


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