爆発する怒り

 とある聖域の奥深く。

 だだっ広い草原の真ん中に降り立ったエリオスは、数秒と経たずに違和感を持つ。



 珍しいこともあるものだ。

 自分が一つの山を乗り越えるといつも顔を出してくるアクラルトが、今回は出てこない。



「はは……私が怒っているのを察したかな?」



 面倒事では、極力部外者の立ち位置にいたい彼らしい判断だ。



 自分に神託を下した時点で部外者もへったくれもないが、あの時は自分だって、こんな未来が待ち受けているとは思っていなかったので仕方ない。



 ――― まあ、そんなことはさておき。



 エリオスは瞬時に表情を険しくすると、虚空を睨みつける。



「出てきたらどうだい。都合が悪くなったらだんまりなんて、そんな逃げを許すとでも? ルティに、地球側から次元の道を壊せって言ったっていいんだよ?」



 その脅し文句は強烈だったようだ。

 途端に風が草原を吹き抜け、諸悪の根元ともいえるやからが姿を現す。



「余計な前置きや言い訳なんか、聞きたくないからね?」



 彼と対峙するエリオスの瞳に、苛烈な殺気が揺れる。



「随分ふざけたことを聞いたのだけど……私が代償を支払い続けているにもかかわらず、ルティを連れていこうとしたそうじゃないか。」



 彼は何も言ってこない。

 おそらく、この情報が誰からもたらされたものかは分かっているのだろう。



 ごまかすことも素知らぬ顔もできないとは。自分たちがあてがったとはいえ、実の守護者たる拓也の能力には手を焼かされているらしい。



 いい気味だ。

 彼が自分で自分の首を絞めている滑稽こっけいな様は、見ていて非常に気分がいい。



 だが、そんなちっぽけな喜びで、この怒りが治まると思ったら大間違いだ。



 エリオスは詰問に近い口調で続ける。



「話が違うよね? ルティが全部を受け止められるくらいに強くなって、私の口からあのことを話すまでは猶予をくれると……そういう契約だったからこその代償じゃなかったのかい?」



 この代償を負った日のことは、今でも昨日のことのように思い出せる。

 それは、残酷なくらい昔のことを覚えている実が、唯一欠片も思い出さずにいられている記憶。



 どうか、あの記憶だけは永遠に忘れていてくれ。



 あまりにも救いがないから……



「確かに私は、ルティを地球に連れていって、君に見つからないように隠したさ。せめて子供の間くらい、子供らしく無邪気に生きてほしかったからね。その意図はちゃんと君に説明をしたし、ルティに繋がる保険として、私はこの世界にとどまった。君から直接、それなら契約の反故ほごにはならないという言質げんちまでもらっておいたはずだ。まさか……この世界を統べる神のおさである君が、あの時の言葉は取り消しだなんて言わないよね?」



 鋭く問いかけると、彼らは面白いくらいに言葉につまった。



 この身を焼くのは煉獄れんごくのような怒りと――― 暗い高揚感。



 こんな急に事態が動くとは思っておらず、心の準備をしていなかったおかげで、はらわたが煮えくり返りそうではあるが、これぞまさに待ち望んでいた展開だ。



 本気で自分が、実にあのことを話すつもりでいたとでも?



 まさか。

 愛する息子に、誰があんな残酷な使命を伝えるものか。



 実には何も知らせないまま、地球で幸せに一生を終わらせてやる気だったに決まっているじゃないか。



 それでもあえて自分が保険だと偽ってここに残ったのは、この展開を引き寄せるために他ならない。



 実を地球に隠してしまえば、この契約で不利に立つのは彼らの方。

 時が流れれば、しびれを切らして実に手を出そうとするだろう。



 そうなれば自分は、心置きなく彼らとの契約を決裂させることができる。

 そのためにこうやって、彼らの逃げ道は全部塞がせてもらったのだ。



「先に約束を破ったのは君だ。」



 さあ。

 止められるものなら、止めてみるがいい。



 目元を険しくしたエリオスの全身から、とんでもない量の魔力が噴き出す。

 その魔力にさらされるや否や、彼が焦ったように口を開いた。



「状況が変わった……まずは話を聞け……へぇ…?」



 投げかけられた言葉をぽつぽつと反芻はんすうしながら、エリオスはさらに魔力を強くする。



「なら、私を鎮めてから好きなだけ話すといいさ。」



 生憎あいにくと、こちらには彼らの話を聞くつもりなんて毛頭もないのだ。

 そもそも神の世界の事情など、人間である自分たちには関係ないのだから。



 エリオスはにっこりと笑う。



「面倒なら、殺せばいいんじゃないかい? ただしその場合――― ルティは君の言うことなんて、一切聞かなくなるだろうけどね。」



 表情は天使。

 その身にまとうのは、魔王のごとき慈悲のない力。



 そこには、エリオスという人間の真骨頂があった。


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