第14話
土を
「この土は、夕べの雨で、いい匂いさせてますね」
魔王は低い声で微笑んだ。
植物を育てるのにきれいな水も陽の光も不可欠なものだが、何より土の重要性に気付かされる。粘土質のように密度が高過ぎても根を張れず、かと言ってふかふかの柔らかな土壌では茎を支えることができない。
「……この匂いが、いい匂い?」
「ええ。いい匂いですよ。水っ気を含んでいるくせに、ちゃんとミネラルも取り込んでいる。鼻をくすぐられる腐葉感、わかりませんか?」
魔王が鍬を土に突き立てる。さくっと軽い音が立つ。武器を持たない素手でいっぱい掬い上げるように、鍬を手放した魔王は両手を土に預けた。
「ミネラル? アルカリ土類金属って匂いするのか?」
勇者は笑った。鼻から息を抜くような湿った笑顔で。ちらりと魔王はその笑っていない目を見やり、両手いっぱいの土を掬った。しっとりと冷たく、ほんのりと温かい。
「イジワルしないでくださいよ。同じ異世界出身者じゃないですか」
薄ら白く整った鼻筋を掬った土に近付ける。金色に輝く稲穂のような前髪がはらりと流れて、勇者の一瞥から魔王の憂いた瞳を覆い隠した。
両手にこんもりと小山を成した土はどこか真っ黒いカビにも似た湿った香りを放ち、植物の健やかな成長をささやかに予感させる。草たちはこの土をよく食むだろう。
「ああ、うん。言葉が悪かったな」
勇者は俯き気味にそう言い捨てると、ぺたり、黒土に汚れるのも厭わず地べたに直接座り込んだ。
歪な角の生えた少女の姿をした魔王は両手の黒土を地面に戻し、鍬を握り直す。魔王と畏れられてはいるものの、姿形は肉も薄く骨も細い少女のものだ。鍬が大きく見える。
「魔王討伐の使命とやら、重くはありませんか?」
黒土を耕す魔王の鍬。勇者の両手は依然として空っぽだ。
「何もかもがめんどくせえな」
前世界で死して、ふと気が付けば異世界で勇者扱い。異世界人としての高い戦闘能力をもって魔王討伐のミッション。なんだ、これは。勇者は重たい空気を吐き捨てた。
蓋を開けてみれば、魔王と一緒に黒土に塗れて農作業だ。
「そうですか」
魔王もまた、異世界人だった。ただの厄介払いというわけか。
空気を程よく含んだ土は植物の根にとって居心地の良い空間となる。土に絡み、水を飲み、空気を吸い、生きる。植物はまさしく土を食べて生きている。植物は土を食む。魔王は言った。
「勇者殿、空を見てください」
山羊の角を持った少女の魔王に言われて、勇者は猫背のまま空を見上げた。
空が、今日はやたらと低い。間もなく音を立てて落ちてくるだろう。明日か。明後日か。この異世界は破れた空に埋もれて滅ぶ。
「立派な樹を育てて、割れ空が落ちてこないよう支えないと」
手を伸ばす。今にも掴み取れそうなほど近くに、ひび割れた空がある。そのひびにこの爪を立て、この手で割り砕き、この腕で引き剥がせば、この向こう側にどんな世界があるのだろう。
見えてくるは、魔王と勇者を迎えてくれる新世界か。はたまた、一瞬で押し潰される空の瓦礫か。このか弱い手で、気持ちを塞ぐあの空が割れたなら、どれほど心が晴れ渡るものか。
「一日で空を支える樹を育てるって? 不可能だ」
勇者は独り言をつぶやき落とすように、後ろめたい言葉を地面に吐き捨てた。きれいに生え揃った雑草が勇者の言葉を受け止めて、ぱらり、一掴みの葉束を揺らす。
「私と勇者殿なら、できるやも」
魔王の声を無視して、勇者の手が翡翠色した雑草に伸びる。
「あ、それには触れない方がいいですよ」
魔王が言った。
「何故だ?」
勇者は返した。
「それは……、物語の強制終了暴力装置です。抜いてみますか?」
勇者は……。
あたしマンドラゴラ! マンドラゴラ・オフィシナルム! いい加減覚えた? 覚えてないと、ィギニャ、びっくりした? みんなあたしを畏れて「マンドラゴラさん」ってフルで呼んでくれるよ! あなたは? 抜く? 抜かない? 終了装置、抜かないの? ねえ! あなたは! ねえってば!
マンドラゴラさんは叫びたい 鳥辺野九 @toribeno9
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