第八十三話
それは、純白の繭だった。
空洞全体に糸のようなものを張り、肥大した自身の殻を支え胎動する不気味な存在。
ポロポロと隙間から
それは、成長を続けていた。
かつて古の英雄に両断され姿形も崩壊したかに思われたが、確実に生き延びていた。魔力を吸収し、その魔力を利用し自らの手駒を量産し続ける最悪の魔導兵器。
前回は失敗した。
十数年の積み重ねでは、かの英雄に討ち滅ぼされる可能性があった。
ならば次は失敗しない為に──
たった一つ下された命令である、『この世界を破壊しろ』という指示に従って。
繭はまだ、動かない。
◇
「────……これ、は……」
数日間かけて坑道の最深部へと辿り着いたエミーリアは、眼前に広がる光景に絶句する。
空気が淀みきった空間。
魔力濃度が徐々に高まりつつあるのは悟っていたが、それにしたってここまで異常なものが存在するなんて思ってもいなかった。
大きい空洞──それこそ街一つ飲み込めるほど巨大な場所に、身を丸ごと収める形で繭が根を張っている。溢れ出る魔力の高さにどうして気が付かなかったと歯噛みしつつ、エミーリアは冷静に現状を把握しようと思考を巡らせた。
(バカでかい繭──十中八九置き土産だろ。最悪な遺産残していきやがってあのクソ親父め……)
一歩踏み出すのは憚られた。
これ以上先に進めば踏み締めるのは虹色の石、おそらく地上で定期的に悪さをしていたものと同じだろう。まだこちらに攻撃してくる意志を見せていないのだから、わざわざ刺激するのは愚策だった。
(あの繭……めちゃくちゃな魔力量してる。ルーナが千人いても足りないくらい溜め込んでるのに、どうしてこの距離まで近づかないと感知できない? 魔力を抑えるにしたってマギア以外に感知不能なんて隠匿技術は存在しない筈だ)
ドクン、ドクン、と胎動を繰り返す不気味な音を耳にしながら、エミーリアはパズルを紐解いていく。
(原因がコイツなのは間違いない。んで、ああ、そういうことか。なんで感知できなかったのかは──この魔力障壁が原因だな)
眼前まで近づくことでようやく目に捉えることができた。
薄く展開された魔力障壁──おそらくこれが探知阻害の効果を発揮していたのだろう。
迂闊に手を出すことは躊躇いながらも、顔をギリギリまで近づけてその効果を探ろうとエミーリアが身を乗り出した、その瞬間だった。
先程までぼんやりと感知できていた筈の魔力探知が、完全に機能を停止する。
なんの前兆もなしに突然遮断されたことで瞬間的に動揺が生まれるが、そこは流石に十二使徒。二人揃って少しずつ後退りながら、撤退することを選択した。
「エイリアス、最速で頼む」
「了解した。こういう時に直通でいければ便利だったんだが」
身を紫電へと移し、その場から雷速で立ち去ろうとした。
そう、立ち去ろうと──
「……?」
──違和感。
いつものように髪を基点に紫電へと身を変換しようとして、変換した感覚が消失するような、違和感。
自身の手足同然のように扱えていた筈の魔力が霧散するような、あり得ない感覚。
「…………おかしい」
十二使徒という自らの身体を魔力で構成するプロフェッショナルだからこそ、その感覚に疑念を抱くことができた。
ただ魔力や魔法で妨害されたのではない。
昔どこかで味わった感覚。
改造を施された時、魔祖と対峙した時と同じように────自分の身体が離れていくような、喪失感。
「まさか────魔力を吸い取って……?」
そこまで呟いてエイリアスは気が付いた。
先程魔力探知が遮断されたのは、何かを影響を受けてのことだろう。
では一体何の影響を受けたのか?
この現状で何か一つ答えがあるとすれば、目の前に用意されたその魔力障壁そのものではないのか、と。
(まだ障壁内部には入ってない。障壁そのものが魔力を吸収するのなら、エミーリアの方が被害は大きい筈だが……)
エミーリアは怪訝な表情でこちらを見ている。
つまりまだ気が付いていない。
再度指先に紫電を奔らせる。
今度はしっかりと意識して、解けないように丁寧に。
結果として魔法は体を成したが、普段よりも消費魔力量が多く感じた。
魔法が使えない、という訳ではない。
問題なく使用すること自体は出来るだろう。ただ、使用すればするほど魔力を余計に消費していることは否めない。
そして障壁の奥に存在する大きな繭────状況を考えれば答えを導くことは容易だった。
「…………気が付かない間に、障壁の中に入れられていたのか」
そんな筈はないと否定したかった。
だが現実がそれを許さない。
使用すればするほど余分に奪われる魔力に、目の前で胎動する巨大な繭。
自分達は誘い込まれたのだと明確に意識して、エイリアスは次にどうするべきか思考を巡らせる。
気が付かなかったことは仕方ない。
ならば次はどうやって
(障壁が魔力をも遮るのならそれはそれでいい。マギアが異常に気が付くだろうから、一番マズイのは……
アルスという偉大なる英雄が没した時、その大陸にいる全ての人間が彼らの危機に気が付くことは無かった。魔力の残滓すら残っておらず、荒れ果てた大地と二人の遺体だけが無惨に転がっていた悪夢。
(原因はこいつで間違いない。そうすると、既に術中に嵌まっている我々の末路は)
そこまで考えて、思考を振り払う。
まだ未来は決まっていない。
歩いて戻れば時間は掛かるが確実に報告できるし、この巨大な繭が動き出さない限りは間に合う。
そう結論付けたエイリアスに対して、エミーリアもまた長考していた。
(たしかに、魔法の使用量に対して消費魔力が多すぎる。アタシらだから普通に振舞えてるだけで、人の身には少し重たいな)
一度退く事を選ぼうとしているエイリアスに対して、エミーリアは少し違った方向へと考えている。
仮にこの国全ての戦力をこの地下に連れて来たとしても、九割役に立たないと断言できた。
理由は一重にこの魔力に対する圧倒的なデバフ。
これが地上にまで影響を及ぼしていない事を祈りつつ、ここで口火を切るのはよくないと判断。
当初の予定通りエイリアスが雷速で地上まで戻り状況を報告し増援──その他の十二使徒を集めるのが正解だ。
「エイリアス、戻────」
そこまで口にして、正面に張られていた魔力障壁に罅が入った。
無論二人は何も手を加えていない。
それどころかここから立ち去ろうとしていた所であり、それは不意打ちにも等しいタイミングだった。
障壁の向こう側に佇む白い怪物。
次々と虹色に輝く石が割れ、その内に潜んでいた存在が溢れ出てくる。
異常事態ではあるものの、まだ異変が起きていなかった繭の周囲には次々と怪物が姿を顕しており、それは何かの始まりを告げているようにも思えた。
障壁が罅割れる。
生まれ落ちた怪物たちの歪な瞳が、一斉に二人を貫いた。
「────くそっ!」
障壁を蹴りで破壊し、突き出した足に熱が宿る。
視認されてしまった時点で戦闘を避ける事は出来ない、ゆえに、先手を取る。ここまで誘い込まれてしまった事実を噛み締めて、ならば次からは有利に立ち回ろうと。
紅蓮に輝く脚を叩きつけ、周辺一帯を吹き飛ばす。
幾つか蒸発した石はあったものの、その魔力は周囲に溶けることなく繭へと向かっていく。
(戦えば戦う程魔力は消費して、しかも全部あの『繭』に吸われると来た)
飛びかかって来た怪物を一撃で粉砕しながら、それでも尚無限に生まれ続ける存在に舌打ちをする。
「……どこまで石なんだ」
地面を吹き飛ばしたのにも関わらず一切底が見えない程に敷き詰められた石に辟易するエミーリアに対し、唐突に放たれた蹴りによる余波を防ぎながらエイリアスが言った。
「いきなりとは酷いんじゃないか?」
「緊急事態だし許せ。想像してた最悪を引き当てちまったなぁ」
生じた煙を払いながら、二人は一歩前に出た。
今も尚虹色の石から姿を解放され、その数を増やし続ける異形の怪物を前に退くという選択肢は選べなかった。
仮にこの場から二人揃って逃げ出したとする。
そうなったら目覚めた怪物達は一斉に出口を目指すのだろう。魔力によって生み出されたこの怪物は魔力を求める習性を持ち、しかも戦闘能力もそれなりにある厄介な存在だ。入り口で塞き止められるのならば問題ないが、より最悪なのは別の出口を作られること。
法則性もなにもなく好き勝手暴れまわる様に大陸中に出没してしまえば、手が回らなくなる。
(…………それに)
一撃しか放ってないにも関わらず、想定していたよりも魔力の消費量が多い。
自分達がどのタイミングで障壁の内部へと誘われたのかはわからないが、もしもこれがもっと広範囲にばら撒けるとすれば。
『繭』の溜め込んだ膨大な魔力を利用して大規模な自爆でも行われてしまえば、この首都は愚かこの大陸そのものの危機を迎えるだろう。
――――バチチッ!! と、大きな音を立てて紫電が迸る。
眼前で威嚇を繰り返していた怪物を無慈悲に焼き焦し、物言わぬ炭に黙らせてからエイリアスは口を開いた。
「退けなかったのは手痛いが……それならそれでやりようはある」
強い意志の籠った瞳で胎動を繰り返す繭を睨みつける。
確かに似たような状況下で、およそ百年前に亡くなった二人がいた。その前例から鑑みればここで戦闘を行うのは決して褒められたものではない。
しかし。
「ああ。そもそもアルスもアステルも全盛期とは程遠い時期に殺されてるしな」
「その通り。長期戦に於いては我々
それは一重に魔力というある種のブラックボックスに足を踏み入れた者の差。
『魔力』という概念をより一層深く理解しているが故の絶対的な理解度が、超えた者と超えてない者では天と地ほどの差がある。
左拳を眼前で握り締め、焔を宿らせながらエミーリアが言う。
「意思無き怪物と意思有る怪物、どっちが勝つか……」
紅蓮迸る
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