第八十二話
「…………ふう」
一息吐いて、気を落ち着かせる。
こういう時ばかりは長く伸ばしている髪が鬱陶しく感じる────心の中で焦りを隠せず、それを誤魔化す為に一度頭を振りながら、エイリアスは前を見据えた。
「気負い過ぎてもよくないぞ」
「わかってるさ。今更緊張なんて、らしくもない」
眼前に広がる穴──完全な暗闇に包まれており、どこまで続いているのかすらわからないような深い深い洞窟。わざわざ施設の奥深くに隠してあったことから、明らかにここが怪しい場所であることは確かだった。
「マギアには報告済み。アタシらの下見の後に大規模な調査隊も用意した、念のため他の十二使徒は各地で異常が起きないか確認してもらってる。…………十分保険は掛かってると思うけどな」
紅い髪を後ろ髪で纏め、普段とは違う戦闘用のドレスを着用したエミーリアが言う。
彼女があの服を着るのは随分と久しぶりだ。
それこそ戦争が終わってから初めて着るのではないだろうか──そんなどうでもいい事を考えた。
「……なんだ?」
見つめていたエイリアスに苦笑しながら笑いかける。
エイリアス・ガーベラにとって、エミーリアという女性はある意味特別な女性だった。
彼女を救った伝説の英雄。
アルスの名を冠する彼と共に戦争を終結させ、死を待つだけだった自分を救ってくれた人。親とまでは言わないが、戦争終結後も世話になったことは今でも思い出として残っている。
そんな女性が懐かしい装備を着ているのだ。
少し気になることがあってもおかしくなかった。
「いや、すまない。本気だと思ってね」
「本気にもなるだろ。何が出てきてもおかしくないんだ」
空気の流れは澱んでおり、ここから先に踏み出せば二度と戻れなくなりそうな予感がする。
戦場で戦い続けた経験からか、大概こういう時はヤバいことが起こるのだと二人とも理解していた。それゆえに侮ることなく、この先に待ち受ける何かを見つけるために準備は怠らなかった。
いつか、彼を殺した犯人を見つける。
戦争を終わらせた彼女らの小さな復讐心だった。
「マギアが感じ取ったんだ。確実に奥底にいる」
「……そうだね。私達も感じ取れれば良かったが」
「マギアはなぁ……なんでも出来ちまうから」
魔法に関しては、と付け足した。
魔祖マギア・マグナス。
彼女が今でも最強だと言われ続ける所以はそこにある。
他の十二使徒が飛び抜けて得意な何かがあるのに対し、彼女は全ての分野において十二使徒と同列だと言われている。魔導の祖という異名は伊達ではなく、十二使徒同士で戦闘を行えば最後に立つのはマギアだというのが共通認識であった。
「普段の生活はダメダメだけどな」
「そこは言ってやるもんじゃないさ。人のことを言えた立場じゃないだろう?」
「…………よし、行くか!」
思い当たる節があったのか、エミーリアは何事もなかったかのように一歩先に進んだ。
ひんやりと冷えた空気が奥から溢れ出ており、ただの気温の変化だけではない空気の違いを感じ取る。
平和な現代では味わうことのない、かつて嫌と言う程浴びてきた緊張感を帯びた空気。
何が潜んでいるのかは不明だが、少なくとも何かいるのかだけは確かだと、心の中で確信を抱いてエミーリアは歩き出す。
そんな姿に苦笑しつつ、エイリアスもまた同様に何かを感じ取ったのか表情が一変する。
嫌な空気だ。
自分が働いて悪と対峙することに抵抗は一切ない。
それが今を生きる若者たちへの手向けであることを理解しているし、子供の世代に負の遺産を背負わせたくないと思うから。
「……終わらせるぞ」
「ああ」
短い会話を切って、二人は歩き出した。
◇
エミーリアにとって、エイリアスは娘のような存在だった。
年齢で言えば娘を持っていてもおかしくないエミーリアは、グラン帝国を相手に雇われの傭兵として戦場に浸かりきっていた。
魔法を使用し兵士を焼き尽くし、焼け野原を次々と生み出す。
その紅蓮の髪色と扱う魔法の灼熱をなぞらえて、
当の本人はむず痒く思っていたが、戦場で自分でもわからないうちにストレスを溜め込んでいたのか、自分が思うよりも不快感は無かった。それどころか多少の誇らしささえあった。
覚悟して戦場に来ているとはいえ、人の命を奪い続けている事は負担になっていたのかもしれない。
仲の良い人物など身近にいる筈もなく、淡々と戦場の一角を燃やし尽くしていた。
そんなある日の事だった。
いつもと変わらず戦場に出たエミーリアは、想定より押されていることに気がつく。
普段であればもっと前線構築がまともに出来ているのに、今日はそれが出来ていない。それどころかかなり押し込まれており、既に前線崩壊と言って差し支えない状況に変化していた。
ピリピリと肌を焼き付けるような感覚。
自身が焼き払った際に生じる熱とは違う、独特の空気感。
飲み込まれるような威圧感と共に遠くで生じる紫の稲妻を視認して、顔を顰めながら歩みを進める。
──出てきたか…………
エミーリアの出身国はグラン帝国。
訳あって決別し敵対しているが、その内情はよく理解している。
故に、現在戦場を蹂躙している存在がどのような相手なのか悟っていた。それは普通では太刀打ちできないような実力を持ち、普通ではない精神を持ち、強制的に強さを植え付けられた人形。
魔法による人体実験をくり返し行われたグラン帝国の闇そのもの。
魔力を漲らせ、身体強化を利用して一気に駆け抜ける。
音すら置き去りにする速度であっという間に中心地へと辿り着き、そのまま状況を把握するために空へと駆け上る。
既に味方は壊滅、残っているのはグラン側の兵士のみ。
それも見慣れない服装に身を包んだ特徴的な魔法使いがぽつらぽつらと見えるため、彼女は自分の考えが間違えていなかったと確信を抱く。
これ以上侵攻されては形勢が不利になる。
その事実を正しく認識し、仲間が一人も残っていない大地へと着地する。
大きく音を立てたものの、こちらへ向けられる注意はまばら。
これならば一気に壊滅させられる。
火力だけで言うならば現役最強格であることを自負しているエミーリアが静かに魔力を練り上げ──そこで、声が聞こえた。
『…………目標を確認』
いつの間にか目の前に立っていた兵士。
白髪を腰辺りまで乱雑に伸ばし、その瞳は赤く輝いている。
無機質な表情と感情の篭っていない声色に警戒を強めながら、牽制するためにも会話を始めようとする。
『あ〜……君、名前は?』
『────排除します』
薄々そうなることを悟っていたエミーリアが咄嗟に魔法を撃つ────が。
それよりも早く動き出した白髪の兵士が紫電を発する。
ほぼノータイムで放たれた雷魔法を防ぐ手立ては持ち合わせておらず直撃を喰らうも、すぐに動き出せるように回復魔法も並行して発動していたために動けなくなることはなく。
その場から大きく後ろに下がり、辺り一面を焼き尽くす炎を放った。
このまま戦い続けるのはよくないと判断し、先ほどまで自身がいた場所へと引いていく。
無論その間に牽制するのも忘れない。
こちらの目的はこれ以上進ませないことであり、たった一人で前線を盛り返せるとは思っていなかった。
未だピリピリと全身に残る痺れに舌打ちしつつ、彼女の正体に当たりをつけて、ついにそこまで手を出したのかと、自分の生まれた国に対して憎悪を膨らませた。
『……禁則兵団、か。あのクソ親父め』
一言呟いて、敗れ落ちた仲間たちの元へと身体強化を用いて走り始める。
それこそがファーストコンタクトであった。
この数年後にアルスに出会い旅を始め、その道中で再会し──無機質で無感情な人形に等しい存在だった彼女を目一杯愛した結果が、今に繋がる。
ゆえに、エミーリアはエイリアスの事を娘のような存在だと思っている。
本人はそれを決して受け取らないだろうが。
懐かしい記憶を思い出して、エミーリアは苦笑する。
何もこんな時に思い浮かべなくても良いだろう。
某少年があまりにも懐かしく感じることばかりするものだから、そこに精神を引っ張られてしまったのかもしれない。
そんな風に考えながら、隣を歩くエイリアスに視線を向ける。
昔は乱雑に伸ばしていた髪は綺麗に整えられ、異性でなくてもその美しさには目を惹かれるだろう。
身体付きも少女のようだったスタイルではなく、女性としての魅力を十二分に引き出したプロポーション。極め付けにはスリット部分から垣間見える生足なんかが、特に若い少年には目の毒ではないのだろうか。
「……どうした?」
「いや、ロアくんは偉いなって思ったんだ」
「随分急だな」
苦笑しつつ、エイリアスも少し息を吐く。
暗闇を照らしている灯りがあるとはいえ、既に長時間歩き続けている。
疲労は魔法で癒しているが、精神的な疲れまでは取れない。唐突に襲われる可能性だってあるのだから、一瞬足りとも気は抜けなかった。
「エイリアスの服装でずっと一緒にいられたら歪んじゃうんじゃないか?」
「そんなことはない。彼は私のことを女としては見てないだろう」
だろう、か。
少々含みのある言い方だが、そこを問い詰めることはしなかった。
「ロアは癖のある奴だが、一般常識に関してはなぜかそこそこ身に付けている。……生意気にも、そこを突かれたこともあるが」
そうやって楽しそうに話すエイリアスの姿は、最近になって見られるようになった。
百年近く田舎に引き篭もって暮らしていた彼女と顔を合わせても、その度に何かを諦めたような暗い表情をしていた。
それを心配しているけれど、どうにかしてやれることはない。長い付き合いの友人なのに、何もしてやれることはない。かろうじて何かをしたとすれば、彼女に干渉しないように自分達で国を回すことくらいだった。
取り戻してあげられなかったことは後悔しているが、それと同じくらい笑顔にしてくれた少年には感謝していた。
「手を焼いてるみたいだな?」
「そんな優しいもんじゃない。手に負えないのさ」
冗談を言い合いながら、二人は歩みを進めていく。
一応50メートル程先までを炎で照らしているが、ここまで深くなると空気が薄くなり始める。
それが大丈夫なのはどちらも人間をやめているからなのだが、この様子だと調査隊を送ることも難しいかもしれない。
「……どれくらい経った?」
一度足を止め、確認のために呟く。
「大体五時間程は歩き続けているな」
「底が見えんなぁ……」
呆れながら肩を竦める。
これだけ長い坑道を一体いつの間に掘り進めていたのだろうか。
少なくとも戦時中ではないことは確かだ。ありえるとするならば、戦争が始まるよりもっと前の話だろう。
それだけの計画を裏で進めていた自らの父親に呆れながら、エミーリアは深くため息を吐いた。
「一体なんのために作ったんだ」
「さあね。目的は不明だが、良くない使い方をしてるのは間違いない」
深く潜れば潜るほど増大に膨れ上がっていく圧。
緊張感ともまた少し違う圧力は徐々に増しており、ただの人間ではまともに降りることが出来ないだろう。死の恐怖や未知への恐怖、そういった怯えをとことん増幅させるこの
「…………進むぞ」
互いに言葉を減らしながら、それでも進むことを選択した。
魔法を使用して近づけば大幅に時間を短縮出来るだろう。
しかし、それは悪手。
相手が何をしてくるのかもわからないのが最も厄介な点である。
もしかするとこちらの魔法を感知して先制攻撃をしてくるかもしれない。この坑道に足を踏み入れている時点で把握されている可能性はあったが、それよりも警戒するべきは魔法を使用したばかりに防御を十分に行えない事だった。
時間はある。
常にマギアに魔力探知をするように指示しているし、二人に出来るのはとにかく奥へを進み状況を把握することだった。
そして、一歩ずつ確かに踏み締めて進み続け────およそ、三日後。
二人は、大空洞へと辿り着いた。
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