第八十話①
「──…………よぉ、英雄サマ。まだ生きてるか?」
「君こそ、随分調子悪そうだね」
「バッカお前、興奮が抜けてきてこうなってるだけだ」
口から零れる血を拭って、アステルは笑って答える。
しかしその瞳に安堵は無い。険しく絞られた眉間が現状の苦しさを表しており、短く震える両手が消耗を示していた。
フゥ、と一度息を吐いて。
小さく呼吸を整えたのちに、絞り出すように声を紡いだ。
「…………悪い。結構限界だ」
英雄────アルスはその言葉を聞いて周囲を見渡す。
崩れた山、削れた大地、荒れ果てた文明。
元より人の手が入っていない僻地で暮らしていたとはいえ、自身が愛情を持っていた土地がこの有様だと落胆の一つもするだろう。
──…………。
哀しい感情を胸の内にしまいこんで、アルスは口を開いた。
「大体三日位経った。首都で忙しなく動いてるだろうマギア達が来ない事を察するに、この魔力障壁はそういう効果もあるみたいだ」
「破ろうにも破れないくらいには硬ぇのがクソだ。あのクソジジィ、死んでからも迷惑かけやがって……」
「おいおい、キミの上司じゃないか」
「諸悪の根源だぜ」
軽口を叩き合うが、状況は悪化の一途を辿っている。
現実は想うだけでは変わらない。
彼ら二人ともそう確信し、幼い子供ながら努力を積み重ねて強さを手に入れたからこそ今もその思想は変わることはない。
舌打ちを一つ鳴らし、アステルは呟く。
「こいつらだけなら何年でも耐えられるだろうが……」
「懐かしい顔ぶれがこうも揃ってると、ね」
白い異形の怪物は魔力で形成されているのか、形を失うほどのダメージを負うと虚空へと霧散する。既に三日も戦い続けていると言うのに止まることのない軍勢に加えて、新たに現出した人型の敵。
剣を持つ者、槍を持つ者、杖を掲げる者、魔法を現出させる者。
どれもこれもが二人にとっては見覚えのある光景であり、今からおよそ十年近く前に終結させた戦争にて命を散らした猛者達が、魔力のみでこの世界に再度復活していた。
口元まで流れて来た血液を舌で舐めとって、アステルは剣を握り直す。
「ったく、死人が顔見せてんじゃねーよ」
「別れを済ませるいいチャンスじゃないか」
「あのなぁ……」
呆れるアステルではあるが、アルスの言葉を聞いて柔らかく口元を緩ませた。
「緊張感のない野郎だ。死ぬしかない状況だってのに」
「これまでだってそうだったさ。ただ死ななかっただけでね」
アルスの脳裏に浮かぶ、激烈で苛烈で過酷で凄惨な日々。
血と汗と涙を忘れたことなど一日たりとも存在せず、苦しみもがいて命を枯らした子供達の姿や、命乞いをする人間の最期の表情など──彼にとって、いつだって現実は辛く悲しい存在だった。
そんな現実が嫌いで、彼は足掻いた。
到底勝てないであろう格上に食らい付き、世界を平和にするためだなんて大口を叩いて異名をつけられ。功名よりも平和が欲しいと尽力した彼の願いは届いた筈なのに。
何時だって、現実は上手くいかないことばかりだ。
「僕の予想を言ってもいい?」
「希望に溢れた言葉ならな」
「これを止める手段を考える猶予は無い。もう限界が来る」
「…………だろうな」
フゥ、と一度息を吐いてアルスは剣を胸の前に掲げた。
「増援はない。
応援もない。
ここにあるのは過去の遺物、遺しちゃいけない災厄。
未来に希望を残すと誓った僕らがやれることは、あと一つだ」
「……は~~~…………」
互いに大人になった。
年若く、手の届かない大きすぎる夢に手を伸ばすことは出来なくなってしまった。
夢物語や英雄譚が輝ける時代は終わりを告げて、ここから先は人類が発展し平和な文化が築かれていく。そんな世界が待っているのに、ここで遺恨を残すわけにはいかない。
「行こう、アステル。命を捨てられるのは、今しかない」
アルスの瞳に力が宿る。
胸の前に掲げた剣を構え直して。霞構えへと移行した。
「……今ばっかりは、超越者共に感謝してやる。どうにかしてくれるって思えるからな」
アステルの瞳に輝きが宿る。
握り締めた指先から迸る魔力、剣を包み込むように輝く雷炎が煌めいた。
「あの世で仲良くしようぜ。英雄サマ」
「君こそ、僕の事を見捨てないでくれよ。友達だろ?」
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