第七十八話
相変わらず血生臭い部屋だ。
この施設が使用されなくなってから百年近く経過するというのに、こびりついてとることが出来ない異臭と黒く変色した血液の痕。
さっさと破壊してしまえばいいのにと訴える自分と、後にこんなことが起きない為に戒めとして残さなければならないと判断する自分。そのどちらもが正しいのだと思う。
「エイリアス、部屋の間取りは覚えてる?」
「ああ…………少し、待ってくれ」
感傷に浸っている暇はない。
これから数日────いや、数週間調査を続けなければならない。
急がなければ弟子の決勝戦に間に合わず、文字通り彼にとっては決戦と呼べる大舞台を見届けることができなくなってしまう。
「すぐに思い出すから」
トラウマとして刻まれてしまった忌まわしき記憶は忘れることも出来ずに、今でも心の奥底に眠っている。
ふとした拍子に思い出し不愉快になることもあれば、動悸が止まらなくなるほど苦しくなることもある。眠らなくても生きていける身体になっても、起きているだけで苦痛に感じて無理矢理寝るようなこともあった。
情けない話だ。
「…………エイリアス。辛いなら……」
「いや、大丈夫。自分を過大評価するのは良くないと戒めていただけだ」
切り替えよう。
私の愛しい弟子ならば、このくらいのことは平然と乗り越えてみせる。
師匠である私がこれ以上不甲斐ない姿を見せるわけにはいかない。私が生きてきた時代の負債は、私が清算する。決して彼ら彼女らに背負わせるわけにはいかないのだから。
「やらせてくれ」
それが責務。
現実から目を逸らし続けた私のような人間にはお似合いだ。
自身の傷跡と正面から向き合える強さがない、卑怯者には。
◇
アイリスさんと斬り合いという名のデートを終え無事に別荘へと帰還した俺に襲い来るのは、寝床を提供しているのだから少し晩酌に付き合えという未成年とは思えない発言をしたアルベルトだった。
「酒の肴にすると美味しいものっていうのはさ、人によって差があるらしいよ」
カラカラとグラスに入った氷で音を奏でながら、生乾きの赤髪を放置してアルベルトは言う。気障ったらしく格好つけて、妙にザワつく気色の悪い口調だった。
「基本的には味が濃いものが好まれていて、その中でも甘いモノしょっぱいモノ酸っぱいモノ苦いモノ────とにかくなんでもいい。最悪塩と酒だけで楽しめる中毒者もいるしね」
「で、お前はどうなんだ」
「塩だけでも十分楽しめるよ」
そう言いながらアルはグラスを呷る。
コイツ絶対ガキの頃から飲んでたな。
ケラケラ笑いながら飲み進めるアルベルトに呆れながら、俺も出されたグラスを手にする。
「飲むのは初めて?」
「山暮らしだったからな」
「それこそ好き放題出来そうだけど……ま、あのお師匠さんだもんな」
ああ見えてかなりまともで真面目な部分がある。
そもそも俺自身別に酒に興味がある訳じゃなく、特に飲みたいとも思わなかった。
水分摂れればなんでもよくね?
わざわざ水分消費してまで身体に余分な要素をいれる事に特別な感情は湧かない。
「禁止されてた訳じゃない。周りに無かっただけだ」
「僕はもう貴族じゃないけど無駄にネームバリューが残ってるからね。普段は気にしてないかもしれないけどこう見えてイイトコの坊ちゃんなんだぜ?」
「知ってる。畏れ多いグラン一族だからな」
要するに、パーティーとかにお呼ばれして大人の社会に踏み込むのが庶民より早いから慣らされている、と。
まあわからなくはない。
成人して一発目でやらかすのは最悪だし、酒に弱いからと言って誘いを断り続けるのも少々心証によろしくないんだろ。だから子供の頃からある程度飲酒させられるし、育ち切ってない身体に無理矢理突っ込むことでより早く成熟させようって魂胆。
「合理的だろ?」
「そうだな」
未成年の飲酒は禁止されている、という事実さえ省けば。
「ままあることじゃないか、君にだって覚えはある筈さ」
「俺の過去がそれを示唆しているから何も言えることは無い」
成人は十六になって初めて迎える春────つまり、来年進級して俺達は晴れて成人扱いとなる。
ルナさんやアイリスさんは既に成人しているのだ。
だから合法的に酒は飲めるし一人暮らしをするときの手続きも面倒くさくない。飲んでる姿見たことないけど、あの人たちも酒より好きなことがあるからそっちを優先してるタイプ。
そしてまた、未成年に対して魔法をぶち当てたり暴力を振るったりするのは法律上は禁止されている。当たり前だな。
「齢一桁の子供に魔法を当てるのは畜生のやる事だからね」
「俺から頼んだ事とは言え常識的に考えたらヤバすぎなんだよ」
「君もよくそこまで頑張るよねぇ。何が起きるのかな?」
「さあな。天変地異でも起きるんじゃないか」
何も起こらないとは言わない。
何か起きるかもしれないから、俺はその時に後悔しないように今後悔し続けている訳だ。
滅茶苦茶かもしれないが平和な時こそ後悔するべきだと俺は思う。平和で健全で安心で、そんな世界ならば幾らでも後悔してもいい。取り返しがつくだろう。
だが、破滅した世界で後悔するのは嫌だ。
俺が頑張る範囲内でどうにもできない領域になってしまったら、後悔すらも無駄になる。
「魔祖様に名付けられた時、本当はどう思った?」
「最悪だった」
口の中に僅かに含ませた独特の風味に顔を顰めつつ答えた。
「模倣先と同じ名前なんて光栄な事じゃあないか。何を不満に感じたのかなぁ」
「……お前、本当に性格が悪いよ」
「お褒めに預かり恐縮です」
……まあ、アルベルトだからな。
これくらい鋭い奴ではあるし、どこかで悟られてもおかしくないとは思ってた。
一対一で話をぶち込んでくるあたり周囲に対して全部バラす魂胆がある訳じゃないんだろう。性格が悪く悪意のある奴ではあるが、それ以上に俺達は友人である。
「最悪なのは変わらない。あの程度の完成度で
「当時を知る人達は気にしてないみたいだけど?」
「俺も大概厄介な奴というだけだ」
俺が伝える気が殆どない回答をしているのにも関わらず、アルは楽しそうに笑顔を維持したまま。その内核心をつく言葉をポロッと零しそうで嫌になるが、こいつの事だから秘密を保持したまま俺を脅す程度の事しかしてこないだろう。
バラす旨味がほぼない。
「つまり君はまだ強くなれるって事か」
「…………どうだろうな」
もうある程度わかっている。
師匠は決して言わないだろうし、あとこれに気が付けるとすれば……アイリスさんくらいか。あの人だけが俺の剣の重みを理解しているから、きっと気が付く。
斬り合いの最中にもちょっと悟られた感じはあった。
「俺はもう強くなれないかもしれん」
「……君らしくない弱気じゃないか」
「まあ聞け。誘ったんだから少しはいいだろ」
かつての英雄は少しも弱音を漏らさず、唯一の親友と呼べる男にだけ本当の自分を見せていた。
俺は本当の自分なんて大層なものは持ち合わせておらず、最初から最後まで情けない部分を見せまくっているので特に躊躇いは無い。最初から凡人だって言ってるし。
「俺は基本的に自分の力2、他人の力8くらいの割合で戦ってるし生きている」
「非常に情けない告白だね」
「一般人を少し超える程度の身体能力に
薄々気が付いてはいた。
成長には色んなタイプがある。
早熟早め遅め晩成──早いか遅いかだけではなく、それ以上にどれだけ才能があるかという点もある。
ステルラは才能があまりにも高すぎてどこまで成長するのかもわからないのに早熟タイプとかいう異次元、ヴォルフガングも似たような感じ。ルーチェはどうなんだろうな、才能はあるけどそれがアイツの望んだ形で表れてないだけだと思う。
俺の場合、成長力も低くて才能の底も見えている上で晩成型として完成を迎えてしまった。
待ち望んだ舞台に間に合ったことを喜ぶべきか、俺の才能が無さすぎて完成した筈なのに成長中の相手に勝てないことを嘆くべきか。
「今日アイリスさんと手合わせして実感した。以前のトーナメントで戦った時より鋭い振り、細かい足運びの変化、俺が数年かけて調整してきた現在を確実に潰すように変化していた」
「合わせられないのかい?」
「合わせるにも限度がある」
アイリスさんが純粋な技術で押してくるならまだやりようはある。
それは俺の実力範囲内でやりくりできる内容だからであり、魔法という埒外の力が作用している訳では無いから。
ステルラが超火力で圧し潰して来たら突破する方法が限定され俺はその選択肢を取らざるを得なくなり、徐々に退路を削られて最終的に敗北する。
「ま、一個だけ切り札はあるんだが」
「君が太鼓判を押すような一撃なら安心だね」
「そうだな。一つ問題があるとすれば、俺の寿命を削る一撃だって事だ」
師匠からは禁じられた一撃。
かつての英雄が死を目前にして放った、山河を打ち砕き光で全てを消し飛ばした最後の攻撃だった。
師匠には悪いが、俺はきっとこれを使う。
使わなければ勝てないのなら使う。そうやって生きて来た俺を今更曲げる事は出来ない。
「…………それさぁ、僕が相手で良かったね。そうじゃなかったら止められてたぜ?」
「だから言ったんだ。お前なら止めないとわかってるからな」
「そりゃ勿論! 君が命を消費している事に気が付いた親しい人物たちの感情を想像したらそれだけで興奮できるからね!」
やっぱこいつ屑だわ。
「良き友人が命を無駄に散らすっていうなら流石の僕でも良心が働くけれど、命を削ってでも成し遂げたいことがあるなら応援する。だって他人の人生なんだからどう使おうが勝手だろ?」
「お前が言うとなんかアレだな……」
「はっはっは、それを撃たれた瞬間のお姫様の姿が見たいなぁ!」
酔っぱらってる訳では無いがハイテンションになったアルに溜息を吐きつつ、グラスの中身を全部飲み干す。
少し頭はふらふらするが問題ない。
これくらいなら不調の内に入らないだろう。
「おや、もういいのかい?」
「俺は飲酒を楽しむ質じゃないってのがわかったから十分だ」
「それは残念。十年後にはもっと楽しめるかもしれないよ」
十年後、ね。
その頃の俺は何をしているんだろうか。
らしくもない仕事をしているのか、ヒモとして生活しているのか、まだ師匠から離れられてないのか、それとも────……
「もっと肩の力を抜いてもいいんじゃないかな」
「……十分抜いてるさ。怠けられる程度には」
「いいや。もっともーっと気楽に生きても許されると思うぜ」
生憎それはできない相談だ。
アルも珍しく俺を心配するような口調で語りかけている。今の俺はそんなに生き急いでいる様に見えるのだろうか。でも別に俺は生き急いでいる訳じゃない。絶対に後悔したくない終わり方を迎えたいから必死になってやりたくないことも何だってやってるだけだ。
「それを生き急いでいる、と世は評価するんだ。まだ学生だろ」
「子供だからと言い訳出来る範囲内で事が済むなら、俺は最初からそうしてるよ」
「……ふ~ん、なるほどね。誰にも言わないでおくよ」
「そうしてくれると助かる」
部屋から出て暗い廊下を歩く。
最期の一撃。
命を使い果たして山河を消し飛ばした彼の一撃でさえ、あの遺物を破壊する事は敵わなかった。直撃しなかったのか、それとも耐えられたのかはわからない。確認できてないからな。
もしかしたら大人達がとっくに問題を解決した可能性だってある。
それならそれで構わないんだ。要するに俺が嫌なのは、ステルラが戦場に放り出されて死を迎える事だった。
……だけどな。
今となってはステルラだけではない。
俺の身の回りには大切な友人が増えすぎた。
友人だけではない。
師匠やエミーリアさんに魔祖、俺の父上と母上、ステルラの両親──俺の小さな世界はこの半年足らずの間に拡張を続け、この両手で覆える数の限界まで広がってしまった。
「…………あんたなら、何も問題なく守り切れるんだろうな」
アルスの名を冠するアンタなら、きっと。
羨ましい事だぜ。魔法が使えれば、魔力があれば、俺はもっと選択肢があって──なあ。
どうして俺にこの記憶を持たせたんだ。どうして俺を選んだんだ。それ自体には感謝してはいるけどさ。
もし会えるのなら会いたいもんだ。
言いたいことは腐る程あるからな。
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