第六十四話①

 医務室に運んだ二人を治療した後に、魔祖はゆっくりと椅子に腰掛けた。


 この部屋にはまだ誰も入れておらず、意識を失っている二人と魔祖一人だけ。

 どれだけ感情を撒き散らしても、どれだけ熟考を重ねてもなんの問題もない閉鎖空間だった。


「…………“英雄“、か……」


 これも自分の愚かさが招いた事だと自嘲しながら、因縁深い名を呟いた。


「アルス。お前は、こうなりたくなかったのだろう」


 永遠になどなりたくない。

 なぜ座する者ヴァーテクスにならないのかと聞いた時、彼は笑って応えた。

 本当の自分は矮小で小賢しい存在で、社会を支えるために日々労働に費やす歯車と何一つ変わらないのだと。超常の存在ではなく、何処にでもいる一般人。そんな歯車のような生き方にこそ、憧れていると応えた。


 永遠になど、なりたくない。

 人は定命の存在である。命ある限り死が訪れるのだから、僕は受け入れるよと。それは嫌だとみっともなく喚く自分に対して困ったように苦笑して、頭を撫でた。


「儂は…………何を、間違えたのだろうな」


 ため息を吐いて、後悔を滲ませながら呟く。


 魔祖────マギア・マグナスは、間違いだらけの人生を刻んできた。

 生を受けた時は既に忘却した。両親と呼べる存在は未だ未発達の文化形態だった世界で集団の長を名乗っており、今の水準から考えれば底辺レベルの教育を受けた。


 ただ決定的なまでに他者と違ったのは、魔法の才覚。

 異常なまでに優れていた彼女の感覚は瞬く間に技術を開拓し、魔法という存在に魅入られた。魔力に愛され魔力を愛し、魔法に祝福された呪われた存在だったのだ。


 得体の知れない力を持っているとわかってもなお、両親は彼女の扱いを変えなかった。一人娘として長にするのではなく、意思を尊重した。魔法という力を極めたいというマギアの純粋な願いを。


 気がつけば己は歳をいくら重ねても成長しなくなり、両親が他界する頃ですら子供のような容姿だった。

 その歪さは周囲に気味悪がられたがマギアにとってはどうでも良かった。自分が探り見つけた魔法が他の人間に使われていることを見てもなお、どうでも良かった。


 極限までに他人に対する興味がなかった。

 彼女の中にあったのはただ一つ────魔法という存在の研究だけだったから。


 複数の家族が集まって構成されていた集団は、マギアが戯れに見せた魔法という『武器』を手に行動範囲を広げ、自然や他の人類を制圧し屈服させることで領地を拡大。


 やがて『国』と呼ばれる程に大きくなり────支配が、始まった。


 マギアはそれでも興味を持たなかった。

 魔法は自分が探求したいからしている。その副産物を利用したいのなら好きにしろ、ただし邪魔はするな。どんなことに使われようとも、どうでもよかった。


 だが、周りの人間はそうは思わなかった。


 権力を持った人物達が魔法の真価を理解すればするほど、彼女の脅威を明確に理解する。

 この世界中の誰もが逆らったところで、彼女に抵抗できる者は居ない。自分達が築き上げたこの『国』すらも、マギア一人に勝てないのだと。


 だからといって排除できるはずもなく。

 彼ら彼女らに出来ることはマギア・マグナスという魔導開祖の機嫌を損ねないことだけであり、また、価値観が凡庸な者達の気配りがマギアにとって目障りだと思われるようになるのも時間の問題だった。


「儂は……お前を失っても、何も変われなかった」


 人間社会から離れて一人自然に包まれた場所で暮らす。

 食事も睡眠も必要なくて、必要なのは魔道研究の道具のみ。それも独学で用意できるのだから、彼女の世界は彼女一人で完結してしまった。


 侵入してきた者は何もしなければ放置する。

 何か余計なことをしてきた者は、なんの慈悲もなく殺す。

 そうやって魔祖は価値観を形成し、幾星霜の時を過ごす事となったのだ。


「…………お前が命を賭けてまで求めた女は、こんなにも愚かだった」


 かつての英雄は、そんな彼女を求めた。

 世界を平和にするために。誰も涙を流さない世界を作りたいから。魔法という超常の力を身体に刻み込んでなお俗物であろうとする怪物に、マギアは多少なりとも興味を抱いた。


 短い期間ではあったが共に戦争に参加し、時に仲間を増やし、時に言葉で訴えて。

 マギアの知らない人間の善性を見せつけられて、彼女は少しずつ変わっていったのだ。価値観を変え、人間社会という存在に興味はなくとも、己が興味を持った男が大切だと思うのなら────自分も大切に思えるように努力しよう、と。


 尊大で傲慢だった少女は、遅すぎる人格形成を迎えた。


「……………………儂は」


 後悔ばかりの人生。

 マギアは生まれるのが早すぎて、そしてまた、出会うのも遅すぎた。

 もっと早く出会えていればきっと違った形を迎えられたかも知れない。英雄に出会うより先に価値観を変えるような何かに出会えていれば、こんなにも引き摺ることにならなかったのかも知れない。


「どうすれば、良かったのだ」


 誰も導いてくれなかった。

 魔祖として名を挙げてしまった彼女を導く存在は、どこにもいなかった。誰よりも歳を重ねているだけの少女は、先の見えない暗闇を一人で歩き続けることしかできなかった。


「……母さん」

「……目を覚ましたか、馬鹿者め」


 いつの間にか時間が経っていたのか、テリオスが起き上がる。


「お前の負けだ。小僧が勝って、お前が負けた」

「そうみたいだね。折角順位戦全勝だったのに、勿体ないなぁ」


 少しだけ残念そうに笑うテリオスに、マギアは苛立ちを覚えた。


「やめろ」

「え?」


 困った顔をするテリオスに、苛立ちを覚えた。


彼奴・・の真似をするのを、やめろ」


 これまで言うことが出来なかった一言。

 マギアが心の奥底に溜め込んでいた言葉を受けて、テリオスは真面目な顔つきへと変わる。


「嫌だ」

「……やめろ、と言った」

「嫌だね。やめるつもりはないよ」


 舌打ちをしながらマギアは立ち上がる。

 背丈で言えば子供と言えるのだが、その身から放つ圧力は尋常ではない。

 その圧を正面から受け止めて、僅かに冷や汗をかきつつもテリオスは目を逸らさなかった。


「僕はこれでも色々背負ってる。使命や酔狂で名乗ってるわけじゃなくて、僕がやるべきだと思ってるからやってるんだ。誰が止めてきてもやめないよ」

「儂が英雄と認めた小僧に敗れたのにか?」


 言葉を口にしながら、どの口がと自嘲した。

 自分が愚かで甘いからこそ息子はその道に足を踏み入れたのに、何を苛立ってるのだと。何もかもが自分達が原因の癖に周囲に当たり散らすように言う自分を唾棄しながら、不愉快さを隠そうともせずに続けた。


 しかし。

 それでもテリオスは折れない。

 英雄と認められなくてもその意思の硬さは筋金入りだ。英雄と呼ばれる少年が認めるくらいには、頑固。


「ああ。絶対やめない」


 一度負けたからなんだ。

 英雄と呼ばれる少年との直接対決で負けたからなんだ。その敗北は現時点での差を表しただけであり、人生を賭けて英雄を目指すことを諦めさせる道具ではない。


 まるで何処かで見た強い瞳を見たマギアは一瞬怯み、目を逸らす。


「…………ならば、もうよい。好きにするがいい」


 そして諦める。

 以前もそうだった。

 迂遠な言い回しで伝えようとして、うまく伝わらずに失敗する。


 本当に自分は愚かだ。 


 魔祖の胸中を支配するのはその感情だった。

 拾ったのは気まぐれだったのに、気が付けば愛おしい存在になっていた大切な息子。戦争を終わらせ平和を無気力に築き上げたマギアに、その意味を教えてくれた大切な息子。


 英雄なんて追うな。

 追わないでくれ。

 お前はお前だ、それ以上何が要る。


 その言葉が喉元まで出かかって、それを吐き出せない自身の弱さが醜く写った。

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