第三話②
ある師匠が不在の一日。
「ねーねー見てロア! 綺麗な石拾ったんだ!」
「へぇ、見せてくれ」
そう言ってステルラが見せて来たのは虹色に輝く石のようなモノである。
うん、おれが知っている石と大分違うのだが、こんな鉱石あっただろうか。齢七歳のロアには該当する知識はなく、また、英雄の記憶の中にもそんなもの存在しなかった。
「危ないからペッしなさい」
「食べないよ!?」
「そうなのか。てっきり非常食として持ってきたのかと思った」
「ロアは時々私をとんでもないくらい馬鹿にするよね」
ステルラお嬢様は一年間で大分変化があった。
口調はあまり変わってないが、暴れん坊からやんちゃと言い変える事が出来る程度には大人しくなったのだ。それも魔法の修行が本格化したあたりからなので、おれの必死な抵抗は一切意味をなさなかった。自分より上位の人間に教わり始めて大人しくなったのである。
逆に考えればおれが負けすぎて駄目にしたとも言う。
「なんか手触りが石じゃないんだが……」
ふーむ、師匠が居れば一瞬で特定できるのだろうが。
あの人はなんだかんだ優秀なので定期的に首都に呼ばれたりする。なんでこんな田舎に居るのが許されてるんだ?
そんなどうでもいい事を考えながら、素振りを継続する。
手のマメが潰れて皮膚が強靭になり過ぎて、すでに元のモヤシっ子の面影はない。本で指を切る事が暫くは無いだろう。
あれ地味に痛くて不快だったからそれはそれで助かるな。
「そのうち質に入れよう。軍資金になる」
「売らないよ? なんで実利を得ようとするのかな」
「ロマンを信じるのはいいが、いつだっておれたちが向き合うのは現実だ」
石ころじゃ腹は膨れないが、腐ったパンは胃に溜まるのだ。
でも腐ったパンは美味しくないし身体を壊す。
ならば石ころを搔き集めて売った金で美味しい物を食べる方がいいだろう。ああ、なんて合理的なんだ。ちなみにおれは努力したくないからもっと簡単な手段を取りたい。
「傷を付けたら価値が下がる。おまえに持たせておくとどうなるかわからんから、おれが責任を持って預かっておこう」
「そう言って売るつもりでしょ! ロアならそういうことするもん!」
「おれの理解度が高くてなによりだ。三日もすれば忘れて肉を食うおまえを想像できる」
「かえせー!」
なお、本気で暴れられると勝ち目がない模様。
だがおれには現状勝率がある。だからまだ挑んでいるのだ。
「フン、こいつがどうなってもいいのかな?」
「ロアは価値が下がるからやらないでしょ」
「…………」
人質(石)作戦失敗。
その間僅か二秒、おれはステルラに頭脳戦ですら負けるのか? それだけは避けないと一切のアドバンテージを失ってしまう。
「こうなったら死なば諸共」
そう言いながら、おれは虹色に輝く石を手の中で握り締めた。
特に力を籠めたつもりはなかったが、僅かに罅が入る感触がした。
ピシリ──なんて、明確な音が響く。
「あ、割っちまった」
「え」
違うんだ。
おれは割ろうとしていたがそれは本心ではなくふざけている範疇で、別にステルラを悲しませようと策を講じた訳では無い。これは咄嗟のアドリブであり、いじわるしようとかそういう願いからやったおれの本質的な部分では無いのだ。
どう弁解しようか高速で思考を回すおれの手の中で、何かが蠢く感触がする。
『──ガ』
なぜか響く低い声。
人とは少し違う声の揺れ方をした低音が響き、おれは剣を放り投げて咄嗟にステルラを突き飛ばした。
右手に握った小石から何かが溢れてくる感触がある。
ああ、嫌な予感がする。具体的にはおれの最も忌み嫌う苦痛と後悔が連続で襲ってくる気がするのだ。
掌から決して離れないように。爪が皮膚を貫通するのも厭わず全力で握り締める。
おれのそんな小さな抵抗を一切気にせず、握った石ころはどんどん広がっていく。
離してしまおうか、なんて弱気な思考が一瞬頭をよぎったその時だった。
おれの肘から先が、吹き飛んだ。
血肉が顔に飛び散る。
特有の匂いだ。何度も何度も鼻に入った鉄の匂い。
おれはこの匂いが大嫌いだった。
これは生き物が傷ついた証明だから、おれの事を否定する痛みそのものだからだ。
嫌いな努力にはいつだって苦痛が伴うのだから、その半身とすら呼べる血液を好きになれるはずも無い。口を切った時の不快感と言ったらもう、それは最悪なんだ。
やがて空に浮くおれの血液が石ころに集まり、形を成していく。
明らかに質量を無視したその蠢き方に、おれは一つの記憶を思い返していた。
それは英雄の最期の記憶だった。
それは人の悪意の結晶だった。
無尽蔵に沸き続ける悍ましい異形の怪物たち、血肉を追い求める悍ましい化け物。
どこからか生まれてしまった生命体の失敗作。
『──ク』
やがて、石ころは土くれに、土くれは異形に。
腕が四本・顔が二つ、尻尾が三本の怪物はその数多の瞳をおれに向けて、静かに立ち上がった。
『──オ゛ア゛ア゛ア゛ァ!!』
それは万感の叫びだった。
おれたちに向けられる敵意と殺意、それを掻き消す程の無邪気な喜び。
死を目前にして、おれは震えあがることしかできない。これ以上の痛みを得ない為に、おれの身体は抵抗を諦めてしまった。
思えば短い一生であった。
英雄の記憶なんてものを保持していても、おれはおれである。
他人の記憶を持っている事がどれほど苦痛になるか、想像もつかないだろうが、こんなにも不愉快な感覚は無い。おれは努力が嫌いで苦痛を憎み、血反吐を吐くくらいならば地べたに這いつくばる事を選択する精神を持っている。
それなのにかの英雄はおれと正反対の人間であった。
努力を欠かさず苦痛に耐え忍びやがて救国を成したまごうことなき英雄。
おれとは正反対で、おれの全てを否定されたような気持ちになった。
誰にも伝えられる筈のない、おれの人生を象徴する感情だ。
まだ動く腕で剣を拾い直して、かつての一撃をなぞる。
おれは英雄が
そうだ。
おれは努力も英雄も信じる心も、どれも嫌いだ。
本当は寝ていたい。
本当は頑張りたくない。
本当は本当は本当は本当は──おれはいつだって楽をしたい。
それを許してくれないこの記憶と世界が、おれは人一倍嫌いなんだよ。
手に持った
鈍く光る刀身に紋章が浮き、特異性を表していく。
でもそんな事だってどうでもよかった。いまのおれの内心を占めるのは、ここまで積み上がって来た不平不満を煮詰めて完成した悪感情のみ。この苛立ちと死の恐怖でおかしくなったおれは、勇猛果敢に剣を手に取ってしまった。
「──ロア!」
幼馴染の悲鳴にも似た叫びが耳に入る。
おれの人生はおまえのために頑張ったと胸を張りたいが、それは責任の押し付けになる。おれの人生はおれだけのものだ。誰かに背負わせたりするものじゃない。
異形が、おれが反応する速度の数倍早く腕を振る。
当たれば死は免れないだろう一撃がやけに遅く見えた。これが死の走馬灯というヤツなのだろうか、一撃で死ねるのならば苦しくはないかもしれない。それはそれでいい終わりだ、なんてどうでもいい他人事のような感情が生まれた。
才能が欲しかった。
こんな訳のわからない状態で殺されるくらいなら、おれは才能を持って生まれたかった。
英雄の記憶何て必要ない。おれはおれ、ステルラ・エールライトに対抗できる程の才を持って生まれれば全てを解決する事が出来たのに。
才能が欲しい。
おれはいつだって願っている。
朝起きれば無敵になっていることを祈り、起床と同時に溜息を吐く。そんな毎日が嫌いでうんざりしていても決して変わらない現実と記憶に、無性に苛立ちを募らせた。
才能。
天才は天才と呼ばれる事を嫌うが、そんなプライドどうでもいいと思う。
なぜならおれは頑張ったのに天才と呼ばれることは無いからだ。どれだけ頑張っても天才と凡人には決定的な差が存在してしまう、そんな残酷な現実。
生き延びたいと思う感情より、日々を楽に過ごせないくらいなら死にたいと思うのは罪だろうか。
もう少しで異形の腕がおれの頭部を吹き飛ばし、ロア・メグナカルトは死を迎える。
ステルラ・エールライトは生き延びられるだろうか。
散々独白を連ねて抱いた疑問はそこだった。なぜここで死ぬとか、こんなにも世界は理不尽だとか、そんな憎悪よりも深い場所から生まれて来た願い。
ステルラ・エールライトは生き延びる事が出来るか。
死んで欲しくない。
そうだ。
おれはお前だけは死んで欲しくない。
だから、どれほど苦しくても、どれほど妬ましくても、どれだけ現実を嘆いても、大嫌いな努力を続けた。
昔のおれでは反応する事すら出来ずに死んでいるだろう。
進歩はあった。
微々たる進歩だが、おれの寿命を数瞬延ばす程度の成果は出ていたのだ。
……なんの意味もない程度の、僅かな努力の結晶が。
無意識に腕に力が籠る。
その一振りはヤツの生命を止める為ではなく、おれの命を繋ぎ留める為に動いた。
身体に染み付いた、あの鎧の騎士の攻撃から身を守る為に養った反応だった。敵の攻撃に合わせておれも攻撃をして、力を受け流すようにいなす。
正直、奇跡に近い反応だ。
おれの頭部を吹き飛ばすはずだった一撃は、おれが間に挟んだ劔が半ばから折れる事でその力を大幅に減少させた。
風を切って身体が空に浮いた感覚と空と大地が交互に見えるおれの視界から察するに、全身まるごと吹き飛ぶように調整に成功したのだ。だが、だからどうしたという話。
どこまでも吹き飛んでいきそうに思える急激な加速のなかで、痛みが全身を覆いつくす。
声の一つすら出せない痛みにただ歯を食い縛る事しか選べなかった。
「──意味はある」
いつしかおれの視界は急転を止め、ぼやけた意識の中で柔らかな感触が背中を押した。
「君が積み重ねた現実の努力は、決して無駄にはならなかった」
その声には聞き覚えがあった。
ロア・メグナカルトにとっては師匠、かつての英雄にとっては──
「こうして私が駆け付ける数瞬を稼いでくれた。それがどれ程の事か、理解できない君ではないだろう?」
いつも身に付けるローブを華麗に脱ぎ、おれの全身を包む。
じんわりと身体全体に滲むような温かさと共に、これは回復魔法と似た感触だと理解する。
端正に整った顔を柔らかく微笑みに変えて、一度おれの頭を撫でて異形の怪物へと向き合いながら師匠は告げる。
「……またもや、私から奪おうとしたな」
おれからは師匠の顔は見えない。
だが、どんな感情を抱いているかは、声から理解できた。
魔力探知に疎いおれですら知覚できる程の、圧倒的な魔力。
師匠が普段から抑え込んでいる力の奔流が流れ出し、異形による絶望の支配をいとも容易く打ち払ってしまった。
美しい魔力。
おれの本心から抱いた感想だ。
空間が歪むような揺らぎと共に、徐々に魔力が形を成していく。
「愛弟子を可愛がってくれた分は礼をする。なに、遠慮はするな──礼儀は尽くさねばいけないからね」
稲妻迸る雷龍が、師匠の傍で咆哮を挙げた。
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