第二話②


 そんな訳で、非常に不愉快で誠に遺憾ながらおれは強くなるための努力を始める事にした。


 おれとステルラの間には、かつての英雄とその親友でもありライバルである大天才と同じくらいの差がある。

 しかも努力し始めているのは大天才が先である。もうこの時点で半分くらい詰んでるんだが、おれには他人にない絶対的なアドバンテージが存在するのだ。


 そう、英雄の記憶そのものである。


 なぜ持っているのかは知らんが、これを利用しない手立てはない。

 おれも英雄も才がある訳ではなく、彼は死に物狂い、というより実際に何度も死にながら蘇生を幾度となく繰り返し血と汗と涙に塗れて道を突き進んだ狂人である。


 流石に同じ手段を取ることは出来ない。

 手軽に蘇生してくれる超スパルタ鬼畜教官は身近におらず、やりすぎれば両親に心配されるからだ。

 ていうかこれ、修行中に死んだら元も子もないからな。普通に考えてやりすぎなんだよ。


 なので、おれはこれまでの生活を全て投げ捨てる事にした。


「父上、おれに木刀と真剣買ってくれ」

「……さては偽物だな! 我が息子を返したまえ!」

「わかった。二度と父上とは口を利かない」


「母上、おれの飯だけバカクソ多くしてくれますか」

「あらあら、それじゃあお風呂も用意しておくわね! これから忙しくなるわ~!」

「流石です母上。では、夕食後には戻ります」


 父上が買ってきてくれた木刀を持ち、手首足首に重り代わりのリストバンドを身に付けて、公園の存在する西地区まで走る。


 初日は死にかけた。

 到着した時点でもう動くのを諦めかけたが、記憶の中の英雄が止まった瞬間骨を折られて回復魔法によって無理矢理動かされていたのを思い出して奮い立たせる。あそこまでヤバくないからまだ動けるだろう。


 生まれたての動物みたいなプルプル具合を道行く人達に見詰められながら、素振りを行う。

 剣術の師は誰一人として存在しないが、記憶の中の数多く存在する強敵たちが自然とその技を魅せてくれた。無論いきなり習得するなんてことは無理だろうし、おれにとっては雲の上の技術群である。

 それでも最終的な目標地点が存在するのだから、あとは我武者羅に走り続けるだけだと思えた。


 最期に力を振り絞って放った一撃──おれは、アレを放てるようになる。


 到底無理に思えるほど高い山だが、それでこそやりがいがあると言うものだ。ああ、そうだ。クソが、努力したくねぇ。楽に強くなりてぇ。

 おれの心を埋め尽くしたのはその言葉だった。苦しみの中でもいつだって『楽して強くなりたい』という感情が消えることは無い。だってそれが本質だもの。


 クソクソ言いながら息を切らして素振りを続ける六歳児はさぞかし不気味に見えた事だろう。


 帰り道の途中で倒れそうになったが、なぜかたまたま現れたエイリアスさんに少しだけ手を貸してもらった。


「ロアくん。ついに頑張る事にしたのか」

「誠に……遺憾、で」

「ああ、喋らなくてもいい。ほら、あと少しで家に着くよ」


 なぜ優しくしてくれるかは知らんが、おれにとってはその少しの気遣いがあれば十分だった。

 ステルラに負けないと自分でやると決めた事だが、応援してくれる人がいればそれは段違いにやる気がでるものだった。


 一週間経ち、無理矢理詰め込んでいた食事を戻す事がなくなった。掌に出来たマメが潰れてたくさん出血したが、傷口に塩を塗り込んで我慢した。


 一ヵ月経ち、掌の皮が厚くなった。元のもやしっ子としての面影は多分に残しつつ、少しずつ骨格が立派に育ち始めた。ステルラはそこら辺物理法則を無視して筋力とかありそうなんだけど、そこもまた天賦の才で済ませていい問題なのだろうか。

 一日に定めていた素振りの数を増やし、ひたすら素振りを続ける。


 おれの記憶にある英雄は基礎トレーニングを終えた後、すぐ実戦形式で応用を行っている。


 しかしこの村で実戦形式の訓練が出来る師は見たことが無い。強いて言えばエイリアスさん、くらいだろうか。

 我が父上はおれと同じくもやし男、三度の飯より文献整理が好きな考古学者である。勿論魔法も使う事が出来るが、実戦で殺し合えるような強さは持っていない。


 こればかりは仕方が無かった。

 時代も環境も待遇も違うのだ、全てを彼と同じように生きていける筈もない。

 持ち前の切り替え力でスパッと割り切り、イメージトレーニングでひたすら斬り合いを行うことにする。虚空に他人を生み出してそれを自身で動かしながら戦う、言葉で説明したら異常者そのものだがおれは他人の記憶が普通に頭の中にあるのでそこら辺は問題なかった。


 そうして自身で出来る限りの努力を続ける事、更に半年。


 おれにとっても予想外の出来事が起きたのだ。







 最早見慣れた西地区までの道を走り、常識の範囲内の速度で到着する。

 前は夕方に行っていたこの訓練を朝一番に行うことにした。なぜなら、もっとも注目されずもっとも集中できる時間帯だからである。


 日が昇り始める直前に目を覚まし水を被って意識を起こし走る。


 なんと健康的な毎日なのだろうか。


 木刀と真剣、どちらも相応の重さだがその重みにも慣れ始めていた。

 腰に差すにはおれの背丈が足りないので、背中に二本とも紐で纏めて運んでいる。抜刀術とか極めてるヤツが居たが、その内技術だけ吸収させてもらおう。


 吐き出す息が白くなり、寒さで手が悴む。

 それをぐっと堪えて、指先が麻痺するような感覚を得ながらもしっかりと柄を握りしめる。

 あぁー、楽したい。どうしておれは毎日こんな風に苦しんでいるのだろうか。おれは世界で一番苦痛が嫌いと言っても過言ではないくらい甘えた人間であるし、それは自他ともに認められる習性である。


 素振りとか腕が疲れるし、溜まった乳酸の感覚が恨めしい。


 おれに天賦の才をくれ。

 ないものねだりは毎日の日課だ。

 これをしなければ一日が始まらないとすら思い始めて来た。


「クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ……!」

「相変わらず色々矛盾しているね、ロアくん」


 誰かと思えば妖怪エイリアスお姉さんである。

 この寒空の下で温かそうなローブに身を包んだお姉さんは、おれが反応をしても素振りをやめない様子を見て満足そうに笑っている。


「どうも妖、ではなくお姉さん」

「その若さで自殺を願うのは私としても心苦しい部分がある」

「大変申し訳ございません。すべて私の不徳の致すことなので見逃してください」

「図々しいな……」


 軽口の中で命を握られる感覚を味わいつつも、振る腕を止めることは無い。


「ほんの半年前まではお嬢様に泣かされていた君がこんなにも努力を続ける子になるなんて、お姉さん感慨深いよ……」

「やはりどんな魔女でも寄る年波には勝てないと」

「開発したばかりの魔法があるんだ。サンドバッグを探していたがまさかこんなところにあるとは」

「児童虐待だ! 訴えてやる!」

「私だって気にしてるんだぞ!!」


 溜息を吐きながら指を一振りし、その場に椅子を生成する。

 あーあ、ずっけぇなーその力。おれは魔力がゴミカスすぎて何にも出来ないけど、魔力さえあって魔法を弄る才能を持てばあんなふうに何でも出来ちゃうものだ。


「君のような若い子が必死になっている所を見ると、私も昔を思い出すよ」


 そう呟いて、何が面白いのか、おれの素振りをじっと見つめるエイリアスさん。

 見られると気恥ずかしいからやめて欲しいんだが、こうなった時のこの人は止めても聞かない。年齢重ねた分だけ我儘になっているのだろうか。

 それに素振りなんざ所詮基礎の基礎、武器を振るのに向けて身体を慣らすのが目的である。本格的な戦闘訓練に関してはイメージトレーニングくらいしか行えてないのが現実だ。


 おれも来年には学び舎に行かなければならない年齢になる。正確にはあと半年と言ったところだが、七歳の数え年の春が初年度だ。


 それまでに同世代の天才たちに少しでも詰め寄らねばならないのだ。

 本当はもっと焦ってもいいが、それはそれとしておれは楽をしたい。そこの本質的な部分だけは曲げる気は無い。


 素振りを終えて、疲労が色濃く残る両腕から力を抜いて、夢に見る英雄の斬撃の軌跡を辿る。


 彼は努力の人である。毎日毎時間毎分毎秒、ひと時も武から心を離したことは無い。ゆえに振るう斬撃は常に完全であり、そこに乱れは存在しない。凡人がゆえに、彼は究極に至ったのだ。


 おれは努力が嫌いである。毎日毎時間毎分毎秒、ひと時も堕落から心を離したことは無い。ゆえに振るう斬撃は未熟であり、それは乱れて観測できる。おれが究極に至れることは無いだろうが、目標は究極である。


 かの英雄が辿り着いた究極の一撃を、おれは知っている。


「────……うーん、未熟」


 たしかに記憶通りの軌跡を描いている筈だが、軸もブレているし魔力は籠らず、強靭な彼の不屈の闘志も宿ることは無い。

 目標と定めたのは失敗だっただろうか。


「………………ちょっと待て」

「え、なんですか」

「ロアくん、今のもう一回振ってくれないか?」


 黙って観察していたエイリアスさんが唐突に声をかけて来た。

 なんだよしょうがないな、おれはこれを振るうたびに楽が出来ない現実を直視させられるから嫌なんだが、なんか目が据わってて怖いので従うことにする。別にビビった訳では無い、しなければ進まないような気がしたから従っただけだ。


 決してビビった訳では無い。


「はい、やりましたよ。べつに見てて面白いもんでもなくないですか」

「…………いや、だが……、まさか……」


 コワ……

 おれは思わずつぶやいてしまった。

 大の大人がブツブツ言ってるの、恐怖でしかないだろ。


「……ロアくん。それ、どうしてその軌道?」

「なんとなくです」


 うそです。

 本当は手本にしてる人がいます。沢山います。

 でも全員と面識ありません。おれは勝手に師匠扱いしています。


「なんとなく、か…………圧倒的すぎる才能の前に隠されていた原石が、まさかこんなところにも居たとは」

「え、コワ……何言ってるんだこの妖怪」


 節穴eyeすぎる。

 おれの才能は張りぼてだぞ。

 言うなればレアメタルがたまたま大量にくっついていた石ころに過ぎない。


「今はその言動も見逃そうじゃないか。どうだいロアくん、よかったら私が剣の相手になろうか?」

「高齢者虐待とか言って訴えてきませんか?」

「……キ……!」


 この後、有無を言わさないエイリアスお姉さんの手によっておれは地面に這いつくばる事になった。


 その間わずか五秒である。


「ふぅ……こう見えて私は剣術も納めている。師範代にはなれないが、それでも今の君の相手くらい訳ないさ」

「ふがふがふが(土が口の中に入って気持ち悪い)」

「な、なんだいその目は。元はと言えば君が私を老人扱いするのが悪いんだ。怪我だって治してあげただろ?」

「おれは六歳だ。世間的にみれば子供であり、あなたたち大人が庇護するべき対象である。これは事実と常識に基づいた確固たる証明であり、すなわちおれは今の出来事を両親に報告する事が出来る」

「大変申し訳ありませんでした」


 エイリアスさんの負けだから、これは勝負に勝って試合に負けた判定でいいな。

 ふう、大人にすら余裕で勝ってしまうおれの勝負強さがおそろしいぜ。なお、幼馴染であるステルラに関してはマジで勝ちが無い。死ぬまでに勝ちたいよな。


「ん゛ん゛ッ!! いいかい。今のロアくんは実力不足、道端に転がっている石ころ程度でしかない」

「流したな……はい、それは理解してます」

「だが、私は君才能があると思う。いや、今確信したと言ってもいい」


 塗装された才能なのだが、どうやらそこは気にしないらしい。気付いてないとも言う。


「どうだい? 君が独学で頑張るより、私の元で頑張った方が


 なんとも甘美な誘い文句である。

 おれのことをよく理解していて、なおかつ否定しない完璧な言葉じゃないだろうか。


 そうだ。


 おれは努力が嫌いだ。

 本当は努力何てしたくない。おれは、自分が頑張らなくていい範囲内で生きて行きたいんだ。

 ステルラのためになんて言っているが、結局誰かを理由にして楽な方に気持ちを逃がしているに過ぎない。


 そんなおれなんだ。


 おれはより楽な道を選びたい。努力は嫌いで、寝て起きて本を読んで飯を食う生活をしたい。

 おれはより楽に生きていたい。運動も苦手で、走り回り武器を振り回す生活なんざごめんだ。


「──なら。おれに楽をさせてくれ、エイリアスさん」

「……ああ、承知した」


 そう告げると、エイリアスさんは指を鳴らした。


「楽をできると言っても、それは最終的に、という話だ」


 エイリアスさんの横に、魔力が形成されていく。

 紫の粒子が徐々に形作られていき、やがて彩りすらも鮮明に刻まれていく。


 鎧だ。


 フルプレートの騎士鎧。

 全身に鳥肌が立った。おれはこのフルプレートの騎士を知っている。


 ロア・メグナカルトは知らない。

『英雄』の記憶が叫んでいる。


「君には成人を迎えるまでに、この騎士を倒せるようになってもらう」


 右手に握るのは、暗黒の力を刀身に封印したと謳われた伝説の魔剣。


 百と数十年前の、『英雄大戦』。

 かの英雄と雌雄を分けたと呼ばれる、稀代の天才。


「――戦争を終わらせた立役者、その模造体だ」


 この瞬間、おれは楽が出来ない事を悟った。

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