第二話①
「……ふむ」
父上に取り寄せてもらった文献を読んで、一息吐く。
おれが先日高熱を出した際に見た夢はどの文献を漁っても記されてることはなく、これは誰も知る事のない真実なのだろう。
確証が取れない故に、確証が取れた。
たしかに英雄の最期がこんなモノであり、なおかつその身を犠牲にしてなお闇を祓う事は出来なかったという事実を公表すればたちまちパニックになってもおかしくはなかった。当時の上層部はそれを恐れて隠匿し、のちの時代に戦力を保ち続けているのだろう。
おれは英雄の記憶を保持しているが、かの英雄と同一人物ではない。あくまでロア・メグナカルトという人物がかつての英雄と謳われた人物の記憶を保有しているにすぎないのだ。
おれがここで、英雄としての自覚を持つ必要は一切ない。
「だがまあ、このままだと面白くない方向に進むのは目に見えてる」
おれは才能を一切持たないもやしっ子だが、おれの幼馴染はそうではない。
ステルラ・エールライトという少女は反対位置に座する天才少女である。魔法技能に優れ、そして恐らく直接的な戦闘の才能も持っているだろう。天は二物を与えず、されどステルラは例外として与えられ放題である。
果たして神が愛しているのか、単純に運がいいのか。
おれは英雄にはなれない。
魔法を扱うのがほぼ絶望的な時点でわかりきっている事だ。魔法剣士を極めたかつての英雄と、魔法を始めることすら出来ない今のおれ。雲泥の差であり、覆す事の出来ない圧倒的なハンデ。
だが、ステルラは違う。
彼女は才能があり、英雄の素質があり、戦いを行える人間だ。
それはつまり、おれの記憶にある滅ぼしきれなかった闇といずれ戦う可能性があるということで。
「……参ったな。おれは努力が死ぬほど嫌いなんだが」
努力は嫌いだし、走り回るのも好きじゃないし、剣を握るのも好きじゃない。
怠惰を好み、椅子に座り本を読み、ペンを握って文字を書く。
不平等すぎる世の中に思わず嘆かざるを得ない。戦いたくない人間に戦う理由を与えて、戦える人間にも戦う理由を与えて。
平和が百余年続いたというのに、おれはこんなにも嫌いな努力をしなければならない。
多分そういうの、一番かつての英雄が嫌がる事だと思うんだが。
部屋で熟考を繰り返していたおれの意識を元に戻したのは、空気の読めない突撃で部屋に入って来た幼馴染だった。
「ロアくん! あそぼー!」
「来たな、おれを修羅道に導く悪魔め」
おれの内心は露知らず、無邪気な暴れん坊お嬢様はおれを遊びに誘ってくる。子供の在り方としてはこれ以上ない正しさであり、今の時代になってようやく実現された形である。
少なくとも大昔は泣き叫ぶことすら出来ずに事切れるのは珍しい事ではなかった。
「悪いが今おれは忙しい。具体的にいうと、この先の人生をどうするかの分かれ道に立っている」
「……? つまり?」
「悩んでるって意味だ」
我ながら珍しいことに、悩んでいる。
おれはステルラの圧倒的な才能に追いつくことは出来なくていいと考えていた。
なぜなら、おれに才能が無いから。才能があれば少しは努力したかもしれないが、おれがコイツに追いつくためには、非常に不服だが死に物狂いで生きて行かねばならない。追いつかなくても、おれが『ステルラ・エールライト』という一個人をしっかりと認識していればいいと思っていたのだ。
それが今、あの記憶の所為で破壊された。
何時の日か来るかもしれない戦いの中できっとステルラは成長し、かつてのおれの
だが、それでもなお倒しきる事の出来なかったのが件の敵である。
ステルラが命砕けたとしても、意味がない犠牲になり得る可能性がある。
「……それはなんでか、イヤだな」
敗北者ゆえのプライドだろうか。
おれに勝ち続ける天賦の才を持った幼馴染が、どこの馬の骨ともわからない変なクソ野郎に殺される。
何故か腸が煮えくり返る気がした。
「努力はしたくない。おれは極力楽して強くなりたいんだ」
「いつも言ってたよね」
「ああ。でも、おれには才能がない。極力楽して強くなるには才能こそが必要で、おれにはその絶対条件が付随していないわけだ」
「じゃあ一緒に頑張ろうよ!」
気楽に言ってくれるぜ。
ステルラの頑張るとおれの頑張るじゃ文字通り天と地の差がある。
十時間頑張れば結果が出るのが前者で、おれは一日を倍に伸ばして修行を行ってようやくそれに追い縋れる可能性がある程度だ。
「…………かつての英雄は、こんな気持ちを抱いたことはあるのだろうか」
この圧倒的な絶望を前にして、ヤツは『それでも強くなりたい』と叫んだ。
自暴自棄ではない確固たる自信を持って、現実の不条理に抗う言葉を紡ぎ続けた。
「おれは負けず嫌いなんだ。負けが決まった戦いはしない主義でもある」
「でもいつも負け越してるよね」
「話を掘り返すんじゃあない。おれは何時だって自分が勝利する事を疑っていないからおまえと勝負しているだけで、最初から敗北すると悟っている場合は大人しくしている。エイリアスさん相手とか」
あの妖怪お姉さんは魔法をパパッと扱うから、現時点のおれでは勝ち目が一切存在していない。せいぜい口悪く精神にダメージを与える位しか有効打が存在しないのだ。
「おまえがエイリアスさんに負けるのはいい。清々するし、おれはその事実だけで三日間は高揚しているだろう」
「なんだかすごいあくどいこと言ってる気がするんだけど……」
「だが、おまえを真の意味で負かすのはおれだ」
そうだ。
おれは努力が嫌いで人一倍運動を憎み本の虫だが、『自分は英雄じゃないか』なんて思い上がったおれをボコボコに打ちのめしたステルラ・エールライトにだけは負けたくない。
コイツを世界で初めて負かすのは、おれでなければならないのだ。
「本当に、心の底から疎ましく感じる位に癪だが──おれは大嫌いな努力をする」
男の自尊心というものがおれにもまだ芽生えていたらしい。
かつての英雄の誇りなんてモノは一欠片も持ち合わせていないが、積み重ねた敗北の数だけ負けられない重みがある。
「未来になって嘆くのは勘弁だ」
英雄の記憶、最期の瞬間。
整った表情を歪ませながら、涙を流し続ける女性の顔が印象に残っている。
おれは今のままではそこにすら辿り着けない。
送られて来たステルラの遺体の前で懺悔する事だけはしたくないのだ。
「精々高みでふんぞり返ってろ。おれは必ずおまえに手を届かせる」
「……うん! わかった!」
満面の笑みで頷くステルラ。
「じゃあ遊ぼう!」
「じゃんけんで決めようじゃないか。おれはグーをだす」
「じゃあ私もグー!」
「おまえさては何も考えてないな? ゴリ押しで心理を一切悟らせない手口はガチで厳しいからやめろ」
おれはこの後敗北を喫することになる。
見てから後出し余裕でしたと言わんばかりに高速で変化する手の形には、物理的に勝利する事が叶わないことが判明した。
ぜってぇあっち向いてホイで負かす。
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