第3話

「最大戦速、回避!」


 艦長は、すぐさま正確な指示を下した。他にも対応があるだろうが、魚雷が迫っている以上、作戦は拙速にならざるを得ない。だが、それで十分だ。


 艦長の命令を聞いた操舵員が、すぐさま、潜水艦を深く潜らせながら、大きく取舵を切る。このあたりは水深が深いため、海底にぶつかる心配はない。


 ただ、深く潜りすぎると、潜水艦が水圧に耐えきれず、圧壊してしまうので、気を付けないといけない。


 まあ、潜水艦より先に魚雷が圧壊するだろうが、そんな方法で魚雷を撃破すれば、この艦も無事では済まされない。


 潜水艦は、海底深くで戦う。潜水艦が沈めば、逃げる場所はない。乗組員クルーは全員戦死だ。


デコイを発射」


 艦長の指示で、武器管制官が、制御パネルのスイッチを押した。魚雷発射管から、囮が発射される。


 これは、潜水艦に近い音を出して、魚雷のセンサーを騙す装置だ。


 光のない海中では、視覚情報を使うことができない。もちろん、魚雷だって例外ではない。そのため、魚雷は、入力された位置情報と、センサーから入ってくる音を使って、攻撃を行う。


 その弱点として、魚雷程度の小さな囮でも、音は出ていれば、潜水艦と間違えてしまう事があるのだ。


 これで、潜水艦と魚雷、どっちが先に圧壊するかの、我慢比べをしなくても、敵魚雷をまくことができる。


 だが、必ず上手く行くわけではない。囮に引っかかってくれなければ、魚雷が圧壊するまで深く潜るしかない。


 そうなれば、この潜水艦だって無事では済まされない。かなり損傷するだろう。その状態で敵潜水艦と戦えるとは思えない。


 つまり、敵魚雷が囮に引っかかってくれなければ、俺らに未来はないのだ。


 俺は、緊張で乾いた喉を少しでも潤すために、つばを飲んだ。


 多分、乗組員の大半が、同じような心境だったのだろう。一瞬の沈黙が、潜水艦内に響いた。そんな中、俺の耳は、魚雷の音が、離れていくのを聞き取った。


「敵魚雷、囮にかかりました」


 俺は、安堵のため息をつくと、無線で艦長に報告した。無線機越しに、ほっとした空気が伝わってくる。


 後は、敵艦の爆発音を聞けば、今回の戦闘は終了。俺らは、このあたりの海域の哨戒という、平和な任務に戻れる。


 俺が気を緩めていても、俺の耳は、鋭さを失っていなかった。俺は、味方の魚雷が進む音が、少し変なのに気付いた。


 ふらふらと、迷子になったように彷徨っている。そして、こんな動きをする理由は、一つしか無い。俺は、苦い顔になると


「こちらの魚雷も、囮にかかりました」


 と、哨戒長に報告した。哨戒長は、やはりか、という顔になると、その情報を艦長に伝達した。なかなか、厳しい戦いになりそうだ。


「敵潜水艦の音紋を取れ」


 艦長は、ふと思い出したように、指示を下した。これは、完全に失念していた。新型潜水艦に出会ったら、すぐさま音紋を採集せねばならないというのに。


 一度、音紋を取ってしまえば、再び、その潜水艦が現れた時に、艦の特定が容易になる上に、今回の戦闘記録を参考にして戦うことができる。


 それに、もし、俺らがあの艦の弱点を割り出すことができれば、味方が同じ型の潜水艦に遭遇した際に、同じ方法で攻撃することもできる。


 現代の戦争は、いつだって相手の情報を少しでも多く集めたものが勝つ。情報を取れるときに取らないのは、愚の骨頂だ。


 俺は、敵潜水艦の音紋を録音して、艦のデータベースに保存した。本当なら、すぐさま本部に情報を送りたいが、潜水艦で無線通信を使うのは、リスクが大きいし、何より難しい。


 電波の発信源から、艦の位置を特定される危険性もある。その位置情報をもとに攻撃されて沈められたら、洒落にならない。何より、海水は電波を通しずらいから、通信のために浮上する必要がある。


 それでも、やり取りできるのは短い文章程度。音紋ほど大きな情報を送ることはできない。


 まあ、潜水艦が浮上した際や、どうしても今すぐ連絡したい際などに備え、一応、無線機は搭載されているが、そもそも今は、それを使う余裕がない。


「1~2番管、発射準備よし」


 武器管制官が、艦長に報告した。発射管室で魚雷の装填を行う水雷員は、大変だろう。敵潜水艦は、まだ捕捉したままだ。


 俺は、武器管制官に、我々の魚雷を回避した後の敵艦の位置情報を、送信した。


「攻撃指示を」


 武器管制官が、艦長に聞いた。艦長は、考え込むような表情でしばらく固まっていたが、ふと、顔を上げると


「魚雷を手動操縦に切り替え、手動で攻撃せよ」


 武器管制官は素早く目の前の機械を操作して、機械中央に設置されている操縦桿を掴んだ。


 再び、魚雷が発射される、くぐもった音が海中に響く。周囲の様子は、魚雷に装備されたソナーで確認され、そこから周囲の画像を作り、武器管制官の見る液晶パネルに表示する。


 その映像と位置情報を頼りに、武器管制官は、手動で魚雷を敵潜水艦に当てるのだ。


 海水は電波を通さないため、魚雷の後ろにケーブルを取り付けて、そこから魚雷と情報をやり取りする。


 これには、大きなメリットがある。


 まず、人の手が入っているため、囮にかからない。敵が囮を使ってきた場合には有効な策だが、ケーブルより遠くにいる敵を攻撃することができないという欠点がある。


 だが今回、敵潜水艦は近くにいる。潜水艦同士の戦いは、現代戦では珍しいほど、敵に接近して戦うのだ。


 さて。後は、敵潜水艦の出方次第だ。数秒間の空白。海の音が一瞬、静かになった。


 刹那、爆発音が、海中に響いた。魚雷は、敵潜水艦に直撃したようだ。これで、戦闘は終わりか。


 撃沈された潜水艦の乗組員が生き残ることは難しい。


 たとえ爆発に巻き込まれなくても、潜水服を身に着けていない人間が、水深200mから海面まで、生きて浮上することはまず不可能だし、たとえ、それができたとしても、この辺りに上陸できる島はないから、海上に浮かびながら、飢え死にするしかない。


「爆裂音探知」


 俺は、失われた敵水兵の命を悼みつつ、艦長に連絡した。武器管制官も、直撃との報告を行った。


「攻撃は成功したものと判断。現海域から離脱する」


 艦長は、そう宣言した。潜水艦は最大速度を維持したまま、この海域を離脱した。


 万が一、周囲に別の潜水艦があった場合、今の爆発音が何だったのか調べるため、この海域に入るだろう。


 そうなれば、事態が余計ややこしくなるし、交戦する必要が出てくる可能性もある。


 防御力が弱い潜水艦の、宿命ともいえる。

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戦艦の歌声 曇空 鈍縒 @sora2021

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