第2話
突然、俺の耳に、不自然な音が響いた。規則的な、澄んだ音だ。海の音を背景に、なかなか綺麗な曲だった。ソナーの音か。俺は、この音が結構好きだ。
だが、状況は決して良くない。どうやら、何者かにソナー探知されているようだ。これは、味方艦のソナー音ではない。
そもそも、この海域を味方艦が通る予定はない。何者なんだ?俺は、ソプラノの音色に耳を澄ませようとして、考え直した。
音の詳細を確認するより、哨戒長への連絡を優先するべきだ。詳細な判断は、哨戒長が下す。居場所がバレれば、どれだけ強い潜水艦だって、袋の鼠だ。
俺は、すぐさま無線機のマイクを手に取ると、哨戒長に連絡した。
「ソナー探知、十八度の方向、短信音」
潜水艦の乗組員たちは、俺の一言で、一斉に動いた。哨戒長は、潜望鏡を上げると、海上の様子を確認する。
全員が、一気に緊張感を持つ。
この空気には、なかなか慣れない。俺は、緊迫する艦内の空気に押し潰されないよう、さらに音を探った。
「海上に敵影はない。潜水艦と推測される。敵か?」
哨戒長が、俺に聞いた。俺は、ヘッドホンを押さえて、音楽を鑑賞するかのように、音の流れに身を任せる。
ソナー探知音のほかに、潜水艦が航行する際に生じる僅かな音が、水の動く音が、あるはずだ。俺の耳は、小さく水が動く音を、敏感に感じ取った。
だが、恐ろしく静かな潜水艦だ。そもそも、音の世界で戦う潜水艦自体が静かなのだが、ここまで静かな潜水艦など、聞いたことが無い。
だが、現代の技術をもってすれば、どれだけ小さな音でも、探知することができる。流石に無音だったらどうしようもないが、そこに何かがある限り、無音であるはずがない。
俺は、機械で集めた周囲の音を表示したディスプレイと、自分の耳だけを頼りに、さらに情報を集める。
潜水艦の動く深い音に、ソナー探知音のソプラノが入り混じる。とても綺麗な音色だ。やはり、こんな音色の潜水艦など、知らない。
少なくとも、我が国の潜水艦ではなさそうだ。
つまり、間違いなく敵。だが、その判断を下すのは、哨戒長の仕事だ。間違えて味方を攻撃したなんて、潜水艦史上最大の失態で歴史に名を残したい乗組員など、誰一人としていない。
俺の心の中で、緊張と期待が入り混じった。潜水艦同士の戦いは、恐怖の連続だが、それでも、その恐怖に惹かれることもある。
「分かりません。聞いたことのない音です」
哨戒長は、俺以外の水測員にも意見を募った。三人の水測員全員が、敵である可能性が高いという結論を下した。
哨戒長は、艦の安全と、攻撃してはいけない船である可能性とを、秤にかけるように、思案する。だが、先手必勝の現代戦では、長く考える時間はない。
「ソナー探知を探知しました。敵と判断します」
哨戒長は、発令所にいる当直の士官に、情報を伝達した。一瞬の隙が死につながる戦場だ。当直の士官は、戦闘の指揮を執るには経験が浅すぎる。
すぐさま、発令所に艦長が駆け込んできた。すぐに、現場の指揮権を、当直の士官とバトンタッチする。
士官は、ほっとした表情になると、艦長に敬礼して、自分の持ち場へと走った。何度も潜水艦同士の戦いを経験してきたのだろう。艦長は、落ち着いていた。
「了解。配置につけ。魚雷戦用意」
艦長の迷いのない判断を受けて、百戦錬磨の乗組員は、一斉に動き出す。操舵員が、潜水艦を操作して、敵の攻撃を食らわないように舵を切った。
級に舵を切ったため、この先の地理は航海予定に組み込まれていない。電測員が、作成された海底地図を見て、進行方向に障害物がないか、確認していく。
乗組員の間で、膨大な量の情報が飛び交った。その間に、武器管制官は発射管室の魚雷員と連絡を取り、魚雷発射の準備を進める。
武器管制官は、僅か数分程度で、「5から6番管、発射準備よし」と、艦長に、魚雷発射準備が完了したことを告げた。艦長は、了解と、短く返した。
「攻撃目標、α1番艦」
艦長が、攻撃目標に番号を振った。まあ、今回、付近に攻撃するべき艦は、一隻しかいないが、いちいち所属不明潜水艦と言うのも面倒だし、時間の無駄だ。
その間も、俺ら水測員は、潜水艦の居場所の特定に躍起になっていた。潜水艦は、静かだ。
まるで、遠くから聞こえてくる
俺の隣で音を探っていた水測員が
「ソナーマークしました!」
と、艦長に報告した。どうやら、敵潜水艦を捕捉したようだ。その情報は、すぐさま武器管制官の元へ向かい、魚雷に、
銃で言えば、照準を合わせた状態。つまり、艦長が指示を下せば、いつでも撃てる。
「艦長、攻撃指示を」
武器管制官が、艦長に聞いた。艦長が許可を下すまでは、何人たりとも、攻撃を開始することはできない。
「撃て!」
艦長は、迷うことなく、攻撃許可を下した。その言葉を聞いて、武器管制官は、すぐさま操作パネルのスイッチを押した。魚雷が発射されるくぐもった音が聞こえた。
味方魚雷の音が、遠ざかっていく。三分後には敵潜水艦を破壊するだろう。
いや?俺は、その音に奇妙な違和感を覚えた。音が、重なっているような気がしたのだ。魚雷が、近づいているのか!
正直、気付いたのは奇跡に近い。現代の潜水艦戦の魚雷音は、あまりに小さく、捕捉することは、まず不可能だからだ。
だが、せっかく気づけても、もし報告が遅れれば、手遅れになってしまう。俺は、再確認を行う時間はないと判断して、艦長に直接伝えた。
「艦長!敵魚雷接近!」
俺は、発令所の艦長に、自分の声で連絡した。発令所に、恐怖からくる緊張感が走った。
魚雷は、刻々と迫ってくる。
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