第6話 そして、私は―――

 二百年前のあの日、私は首を絞められながら、間近に迫る死と共に、私を殺そうとする人間の意思を感じていた。

 それは、ただただ、『助かりたい』という、すがるような願い。


 今、私の目の前には、枝がいくつも切り落とされた桜の木がある。真新しい綺麗な切り口もあれば、乱暴に折られた痛々しい跡もある。

 これもまた、願いの行き着いた結果なのだろうか。


「酷いもんだな」


 隣に立つ金太郎が、桜の木を見上げながら呟いた。

桜灰胡湯サクラバイコトウ』はどんな病でも癒やす万能薬。


 そんな噂が、村でも村の外でも、そこかしこでささやかれ、さらには、薬はこの村の桜を灰にしなければ効果がないとまでいわれた。

 秋頃には、噂は悪い人の耳にも入ったのか、無断で桜の枝が切られ、折られるようになった。木を傷つける者は、罪悪感からか人目を忍んでいるらしく、未だに現場は押さえられていない。


「すまんな。オレがおちよに頼んだせいだ」

「謝らなくていいわよ。それに、最初に灰の薬を思いついたのは私でしょ」

「今一度確認しておくが、枝が折られたからといって、おちよの体に影響はないんだな?」

「大丈夫だって言ったじゃない。第一、もう死んでいる人間に、体調も何もないわよ」

「……ま、桜と感覚まで繋がっている訳でもないようだし、大丈夫か」


 桜の木と感覚まで繋がっていないというのは嘘ではないが、正確でもない。

 それこそ、体調というべきか、桜の木が今どのような状態なのかは、私はなんとなしに察知することができる。

 秋頃になると桜はうつらうつらと眠たげになることが分かるし、真冬の寒さに呼応して重い瞼を開かせることが分かる。花芽が開くと、春の暖かさに喜ぶかのようにはしゃいでいるのが分かる。


 だから、誰かが枝を折った時も気がついていた。

 どの枝が、どのように折れたのかまでは、実際に目にするまでは分からなかったが、自然の力ではなく、血の通った動物による仕業だということは分かっていた。

 短期間に幾度となく同じように枝が切られ、折られるのを察知した結果、熊のような野生の獣ではなく、人の手によるものだろうと予想もついた。


 しかし、だからといって……、


「なあ、おちよの神通力で、枝泥棒をとっちめることはできないのか?」


 金太郎からそう聞かれ、私は戸惑った。


「……で、できると思うけど……」


 難しいことではない。

 桜から離れられない特性を利用すれば、私はどこにいても、直ぐに桜の木へ戻ることができる。枝が折れたのを察知したら戻り、木の祟りのように見せかけて、泥棒に少し痛みを与えればそれで済む話だ。


 そう、簡単だからこそ、怖い。

 私は死んで直ぐの頃、神通力のことなど何も知らなかったにも関わらず、憎しみという感情だけで、村中に疫病をばらまいて人々を惨殺したのだ。


「この力は、今ではとっても簡単に使える……。それこそ、ほんの少し、感情的になるだけで、人を殺せるくらいには」


 あの桜は、金太郎と初めて会った場所でもある。

 そこを赤の他人が荒らしている現場を目撃し、心が揺れたまま力を使えば、はたしてどうなるだろうか。血を見ることになるのではないだろうか。


「だから、ごめんなさい、私にはできないわ」

「あぁ……、すまん。どうも、この無神経さは直らないらしい」


 金太郎はまた口が滑ったと言わんばかりに、気まずそうに目を逸らして頭を掻いた。


「いいのよ。私が疫病を起こして人を殺したのは、事実だもの」


 疫病が通過した後の惨状は、今でもよく覚えている。

 蛆がたかる死体とその腐敗臭、せかせかと食事と卵のために飛び回るハエ、泣く力もなくとぼとぼと歩く骨と皮だけの子供、そこに舞う、異様に美しい桜の花びら。


 あの地獄をもう一度見たいとは、到底思えない。

 復讐心さえ、しぼんで消える。


「ひとまず、見張るだけ見張っておいてくれないか? 枝泥棒が現れたら、オレを呼んでくれればいい」

「見張るだけでいいなら……」


 その日から、私は桜の木の番をすることになった。

 とはいえ、冬も近づくこの頃、葉を落としきった桜の木を眺めていても仕方がないので、私は藪に隠れて、神通力で本を読みながらの番である。


 しかし、一日、また一日と時間は過ぎていき、その間、泥棒の影はさっぱり見えなかった。

 昼も夜も、文字通り一日中木に張り付いているし、枝が折られればすぐ分かるため、見逃しはあり得ない。ならば、来ないのは何故か。

 金太郎いわく、


「どういう訳か、戦争の時も、攻めてくるぞと待ち構えている時には来なくて、ちょっと気を抜いた瞬間にドカッと来てヤラれる時があるんだ」

「つまり?」

「辛抱の時、ということだ」


 二百年も一人で過ごしてきた私であれば、この程度では辛抱とは言えないだろう、と聞いた時は思っていたのだが、ここ一年ほどで随分と孤独に弱くなったと思い知らされた。

 普段は――桜の木から離れられるようになってからは――、昼間は金太郎の仕事を見学するか、金太郎の家で帰りを待ちつつ文章を読む勉強をしたり、本を読んだり、ラジオを聞いたりして過ごしていた。


 一人で家にいるのは寂しさもあるが、必ず金太郎が帰ってくるという安心感があった。陽が暮れると、そろそろかな、とそわそわしだす。

 帰ってくると何食わぬ顔で出迎えるのだが、内心喜んでいることは自覚していた。

 誰かと共に過ごすことが自身の豊かさに繋がるなど、彼と会うまでは気が付かなかった。


「……早く、泥棒を捕まえて、あいつの家に帰りたい……」


 孤独を自覚しつつも、それを埋めてくれる人がいることに、どこか充足感を覚えていた。

 願いが通じたのは、夜になってからだった。


 夜が深くなった頃、壮年の男性がタバコをのみながらカンテラを引っ提げて現れた。カンテラの明かりに照らされた顔は、深い皺によって険しい表情を作っている。


 ふいに男はタバコを投げ捨て、新しいタバコに火を付けた。

 私は藪から大胆に飛び出て、金太郎の家の方角へ走った。


 男は私に何の反応も示さず、腰に吊したノコギリを手に取って、枝を切る準備にかかった。

 少し焦りつつも、私は金太郎の家まで走った。枝をぷかぷか浮かせながら家の玄関を開け、金太郎の部屋へ行き、既に眠りについていた金太郎を見つけた。

 いびきまでかいて熟睡していたので、思わず頭を蹴ったが、もちろんすり抜けた。


「起きて、さあ! 泥棒よ!」

「ん……? んん……」


 金太郎は二度唸った後、寝相をかえてまたいびきをかいた。


「起きんかい!」


 神通力で枕を引き抜くと、金太郎の頭が落ちて、ようやく瞼を開けた。


「んが……っ! ああ……、なんだ? おちよか……。夜這いにでもきたのか?」

「バカなこと言ってないで、ほら、枝泥棒が出たのよ」

「なんだ、それを早く言ってくれ」


 金太郎はいそいそとカンテラに火をいれ、縄と竹刀を持って家を飛び出した。

 私も金太郎の背中を追って家を出た。

 途端に、私は強烈な恐怖と不快感に襲われた。何が起きたという訳でもないのに、どういうことだろうか。


「おい! あんた!」


 カンテラを掲げた金太郎が、民家の影から出ていた男に声をかけた。見ると、先ほど桜の木で見た枝泥棒だった。カンテラもノコギリも持っておらず、タバコもくわえていなかった。

 金太郎は男に近づき、カンテラを近づけた。


「ここらじゃ見ない顔だが……、」

「す、すまん!」


 男は焦ったように、金太郎の言葉を遮って言った。


「こんなことするつもりはなかったんだ。む、娘が病気で……。とにかく、水を、水を持ってきてくれ! 井戸はどこだ?」

「何を言っているんだ。分かるように話せ」


 金太郎は男の腕を掴んだ。


「え?」


 気がつくと私は、桜の木の根元に立っていた。


 熱い。

 何が起こったのかを考える前に、視界いっぱいの火が私に状況を分からせた。


 紅葉が散り、地面に敷き詰められていたたっぷりの枯れ葉が燃えていた。

 肩越しに振り返ると、火は桜の木にも燃え移っていた。足下にはカンテラとノコギリが落ちている。


 ぼんやりと、いつだったか金太郎が新聞を読みながら、「秋は山火事が多いな」とぼやいていたことを思い出した。

 座布団に座って茶をすすりながら新聞を読んでいる金太郎の後ろから、その新聞を覗き込みつつ、すぐ近くの彼の横顔をじっと見つめていたことも、記憶のふちからこぼれた。


 こんな時に、何でもない日常をふと思い出すのは、どうしてなのだろうか。


 金太郎が丘を走って登ってくるのが見えた。

 私は燃える桜の木から数歩だけ離れた。これ以上離れることは、きっと枝があってもできないだろう。

 金太郎が息を荒げながら私の目の前に辿り着き、なんとも悔しげな顔をした。あまり見られない珍しい表情に、何故か私は嬉しくなってしまった。


「……村にも、タバコのポイ捨てを禁止する看板が必要みたいね」

「だ、大丈夫なのか? 桜が燃えても、おちよは……、平気なのか?」


 金太郎の問いかけに答えるように、私の額の小さな桜の木も……、いや、私の体全体が燃えだした。


「なっ……! おちよ!」


 金太郎が咄嗟に手を伸ばしたが、熊のようなその手は私の体をすり抜けた。


「大丈夫よ。痛みはないから。ちょっと、熱いけど」

「……行くのか?」

「成仏なのかしら。全然そんな感じしないけど、もう消えるな、っていうのは分かるわ」

「……」


 金太郎は伸ばした手を握りしめ、静かに腕を下ろした。


「ねえ。実は、あなたにひとつ言っておかないといけないことがあるの」

「こんな時に、何を……」

「私、初めて会った時から、ずっとあなたのこと……」


 そう言って、私は金太郎の目を見つめた。

 真っ黒な彼の瞳は、力と深遠を携え、火の明かりを受けて輝いていた。綺麗だと思った。未練が残るほどに。

 彼はうろたえたように目を泳がせた。


「……心の中で、金太郎って呼んでたの」

「…………は?」


 金太郎は、これまた、あまり見られない間抜けた表情を作った。


「話す時は、いつも『あなた』って呼んでたけど、ほんとは心の中で『金太郎』って呼んでいたの。知らなかったでしょ?」

「……ハァ、意味が分からんが……、どうりで、いつまで経っても名前で呼んでくれないわけだ」


 金太郎は呆れたように頭を掻いた。


「あとね」


 私はあと一歩近づくと、素早く背伸びをして、彼の唇に私の唇を重ねた。

 何の感触も体温も味もなかった。

 それなのに、胸は弾けそうなほど高鳴り、内奥から熱いものが込み上げてきた。

 とけそうになる。


「好きよ。私を見つけてくれて、ありがとう」


 この桜の木の下で、あなたが見つけてくれたから、私を知ってくれたから、私の心にうららかな春の日差しが射した。

 私の花芽が開いたのだ。


 生きている時より、死んだ後の方が幸せだなんて、なんという贅沢。


 金太郎の手の平が私の頬に添えられた。


「……待て。行くな、おちよ」


 そんなこと言わないで欲しい。

 もう死んでいるのに、生きていたいと、思ってしまうから。

 額の桜の木が崩れて、灰になって消えた。


 そして、私は――――――。

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