第5話 桜の神様
供養してもらったはいいものの、私はさっぱり成仏できなかった。
祭りの後、金太郎は難しい顔をして、
「まあ、『
と疑心に満ちた口調で言っていた。
一方の私は、まったく不思議とは思わなかった。
先日の『鎮花祭』で私は心が花開くのを感じた。これは明らかに現世への執着であり、成仏を遠ざける要因だ。
なにより、この想いは金太郎に打ち明けることができない。万が一、お互いの想いが重なり合ったところで、生者と死者では救いようのない結末を迎えることになるだろうから。
いっそのこと、金太郎がさっさと結婚してしまえば…………。
「……嫌だな。また疫病が起こりそう……」
心の火に特大の薪がくべられ、大きく、凶暴に燃え上がるのを感じた。
山の女神は嫉妬深いというが、幽霊も同じなのだろうか……?
物思いに耽りながら、私は夜の村を歩いていた。
目の前には桜の枝がぷかぷかと浮かんでいる。神通力というべきかは不明だが、昨年気がついたこの不思議な力を利用して、私はひとりで出歩けるようになっていた。
枝を浮かすだけなら簡単だが、浮かしながら他のことをしようとすると難しくなる。とはいえ、練習する時間はいくらでもあるため、今ではこうして器用に扱えるようになっていた。
この神通力のことは、まだ金太郎には話していない。
ある程度扱えるようになってから見せて、驚かせようという魂胆だ。そろそろ見せてあげてもいいかもしれない。
今夜も今夜とて、ひそかに、ひめやかに練習である。
まずは適当な畑で、植えられた茄子の苗を、実が生るまで生長させてみた。これは簡単だった。実が生った茄子を想像するだけで、畑の苗は期待に応えてくれた。
次に畑の脇に生えていた、踏みつけられてぺちゃんこになっている、黄色いたんぽぽを元気にしてみた。これもうまくいったが、力を込めすぎて綿毛にまで成長させてしまった。
色々と試しながら散歩していると、村境までやってきた。
境には苔むした男女一対の双体道祖神がちょこんとたっていた。その苔を綺麗にしようと力を込めたが、苔は一部分だけ剥がれ落ちただけで、すべての苔を剥がすことはできなかった。
不思議に思い、私は村の中ほどにあるお地蔵様まで引き返した。このお地蔵様も苔むしていたため、同じように力を込めたが、これはすべての苔を剥がすことができた。
何の違いかと思い、村境とお地蔵様の間を往復しつつ、家の壁や作物や井戸など様々なもので試して見たところ、どうやら桜の木から遠ざかれば遠ざかるほど、神通力は弱くなるようだった。
神様のごとき力を得ようとも、所詮私は桜の木からは逃れられないらしい。
少し落ち込みつつ歩いていると、金太郎の家から明かりが漏れているのが見えた。
こんな時間まで起きているとは珍しいと思い、私は金太郎の家に向かった。
幽霊なので壁くらい通り抜けられるが、桜の枝を持っていたため、わざわざ玄関を開けて家に入った。
真っ暗な廊下を歩き、明かりがついた部屋の引き戸を開けると、そこにはちゃぶ台を挟んで金太郎と見知らぬ男が向かい合って座っていた。
金太郎はちびちびと酒を飲んでおり、対面に座る男はちゃぶ台に突っ伏していびきをかいて寝ていた。
金太郎は引き戸を開けて現れた私に驚いた顔を向け、更にぷかぷかと浮いている桜の枝を見て、目を見開いた。手にした器が傾いて酒が溢れた。
とても良い反応だ。満足である。
「…………呑みすぎたか」
「ふうん。呑みすぎて私の幻覚を見るんだ」
「含みのある言い方だな」
どうやら口が滑ったようだ。
「それで、そりゃ一体なんだ?」
金太郎は布巾で溢れた酒を拭きながら、空いている片手で浮いた枝を指さした。
「気がついたら、できるようになっていたとしか言えないわね」
「……こうなってくると、いよいよ、おちよは幽霊ではなく、神様か、それに近い存在だな」
「なんの神様?」
「そうだな……、前にも少し言ったが、桜に対する信仰がこの村にあったとすれば、それかもしれない。以前、おちよの儀礼が、人から灰、灰から作物と、化生することで豊穣をもたらすものだと説明をつけたが、灰から作物ではなく、灰から桜の神様への化生こそが、儀礼の目的だったのかもしれない」
「じゃあ、最終的には……、この神通力で豊穣をもたらそうとしてたってこと?」
「多分な。あの儀礼は化生によって桜の神様を顕現させるものだった。しかし、現世に未練を残したおちよの魂がそれに混ざり合った結果、神の力を持った幽霊のおちよが生まれた……、これなら、ある程度説明がつくだろう」
寺子屋の師匠のように、誰かが「正解!」と言って答え合わせをしてくれる訳ではないため、あくまでも金太郎の考察になってしまうが、一応の納得は得た。
「というか、そういうことができるのなら、もっと早く言ってくれ」
「びっくりするかなと思って」
「十分びっくりした」
「なら、いいわ」
私がそう言うと、金太郎は先ほどとは質の違う驚きを見せた。
「笑ったな」
「え?」
まるで意識していなかったが、どうやら私は笑ったようだ。しかし、それがなんだというのだろうか。
「ふむ。やっぱり、笑うとかわいいな」
死んで失ったはずの体が、熱を帯びるのが分かった。羞恥と共に、言いようのない高揚感が襲ってきて、顔が勝手に表情を変えようとした。
咄嗟に、私は神通力を使って金太郎の瞼を無理やり閉じて、開かないように固定した。
「おい、なんだ、瞼が開かないぞ」
「……こ、こういうこともできるのよ。すごいでしょ?」
「なるほど、器用なことだ」
金太郎は手探りで酒が入った器を探し当てて、一口呑んだ。
私は幾度となく深呼吸を繰り返し、心が落ち着くのを待ってから、神通力を解除した。
気まずそうに金太郎から目を逸らすと、ちゃぶ台に突っ伏した男が目に入った。
「と、ところで、この人は誰?」
これだけ騒いでもまったく起きる気配を見せず、いびきを響かせる男を指さして聞いた。
「前に話した戦友だ。
「ああ、去年、結婚式に出たっていう?」
「そうそう。ついに嫁さんが妊娠したんだが、どうも病気で寝込んでるらしい。医者から、腹の子供は諦めた方がいいって言われて、それでやけ酒に付き合ってたんだ」
伊藤という男の気持ちも分からない訳でもないが、女の立場から言わせてもらうなら、こんなところで酒を呑んでないで、奥さんの傍にいてやれと言ってやりたい。一番辛いのは病気している奥さんだろうに。
「……うん? そうだ。それこそ、神通力でどうにかならないのか?」
金太郎は前のめりになって聞いてきた。
「ええ? そんなの、やってみないと分からないし、約束できないわよ」
「駄目で元々だ。頼むよ」
「いいけど……、仮に治ったとしても、どう説明するの?」
「そうか、それが問題だな……」
幽霊や神様のおかげ、とは流石に言えないだろう。いや、金太郎は神主だから、何かお札とかお守りで悪霊を祓ったとかにすれば……、どちらにしてもうさんくさい。幽霊の私が言うべきではないかもしれないが。
ふと、ぷかぷかと浮いている桜の枝が目に入った。
「……やっぱり、薬を飲ませて治すのが、一番説得力あるわよね」
「そうだな。何か、適当な薬をでっち上げるか」
「確か、灰って薬になるのよね? 桜の枝を灰にして飲ませてあげたらどう?」
「なるほど……、そういえば、『
「灰の原料はあの桜の木だし、余計に効き目がありそうじゃない?」
「そうだな。よし、それでいこう」
結論からいうと、病気は治った。
伊藤と奥さんを金太郎の家に呼び、私が神通力を使用して治療した。表向きは、桜の灰で作られた薬、『
しかし、これが問題になった。
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