第3話 桜の恋わずらい

 梅雨も明けて、蝉が一瞬の輝きを放ち始める頃、金太郎が行おうとしている祭りの草案そうあん(というらしい)が出来上がった。お役人にはすんなりと話が通り、今は細かい内容を詰めている最中だった。


「おちよの儀礼に沿うなら、雛流しみたいに、川を下る工程を加えたいんだよな」

「……そんなに気を遣わなくていいのよ?」


 金太郎と私は、村を横断する川に沿って歩いていた。桜の枝は金太郎の下半身の衣類を留めるベルトというものに固定されて持ち運ばれている。段々と扱いが雑になってきている気がする。


「成仏の約束があるだろ。それに、祭りの草案は、役所では割と評判よかったしな」


 私が殺された例の儀礼は、脚色後――私の殺害が事故ということになったり、疫病の発生が私の未練によるものだったりに変わっている――、村に伝えられる説話として祭りの草案に加えられた。この説話を下地に新しい祭りを作り上げると共に、私の供養も行おうというのが、金太郎の計画だった。

 配慮は嬉しい限りだが、どうにもこうにも、奇妙な気持ちになる。


「川は空襲で壊れた部分は修復済みだし、人形を流すのは問題なさそうだな。とはいえ、ぶっつけ本番は怖いから、一度試して見る必要はあるだろうが」


 金太郎は川の様子を見ながら、ぶつぶつと呟きつつ、小さな紙の束に何か書き込んでいる。

 私はその後ろ姿を見ながら、彼の大きな背中に手を伸ばした。

 背中をすり抜けた手には、体温も感触も残らなかった。


「……」


 寂しい。そう思った。

 結局のところ、どこまで行っても、私は幽霊なのだ。

 金太郎は親身になって気遣ってくれるが、しきりに口にする『成仏』という言葉が、金太郎の私に対する拒絶のようにも感じられる。


 成仏すれば、私は現世からいなくなる。金太郎と二度と話すことはできないし会うこともできない。それを分かって言っているのだろうか。まるで、さっさといなくなれと言わんばかりではないか。


「ああ、もう……!」


 頭では分かっている。

 別に金太郎はそんなこと思っていない。

 そもそも、既に死んだ人間が現世に留まり続けることなど不毛でしかない。金太郎の言う通り、さっさと成仏して来世へ行くべきだというのは、十二分に分かっている。

 それなのに、どうして寂しいのだろう……?


「そういや、昨日叔母さんから見合いを勧められてな」

「はァ?」


 思い悩んでいる私の頭上に、思いがけない岩石が降ってきた。

 意図せずして恫喝するような声が出た。


「……なに恐い声出してんだ」

「……別に。それで、お見合いするの?」

「断った。祭りの企画で忙しいしな」

「……ふん。いい歳して独り身なんて、みっともない」


 不思議と、心にもない言葉が口から飛び出て驚いた。


「おちよの時代じゃ、とっくに結婚している歳だろうが、時代は変わったんだよ」

「なら、結婚すればいいじゃない」

「他に好きな女がいるんだ」

「へ、へえ!」


 何故か声が上ずった。


「……お前、なんか変じゃないか?」

「どこが!」

「そういうところだ」


 勝手に動く口を咄嗟に閉じて、頬を手で押さえつけた。

 二百年の間、ぴくりともしなかった心が、今では釣り上げたばかりの魚のように飛び跳ねて、手に負えない。


「まあ、叔母さんも、オレが戦友の結婚式出たんで、『お前もさっさと身を固めろ』って言いたかったんだろ」

「戦友?」

「戦争の時に、フィリピンで一緒になった男だ。同じ戦場で生き延びた間柄だから、復員してからも付き合いがあってな。いい嫁さんもらったよ。べっぴんで気立ても良くて、ニコニコとよく笑う子でな」


「ふうん。やっぱり、男の人はそういう女性がいいのね。私とは大違い」

「おちよだってべっぴんだろう」

「……そういう意味で言っている訳じゃないって分かってるでしょ?」

「おちよも笑ってみろ。きっとかわいいぞ?」

「…………余計なお世話」


 これだ。このまさかり野郎にはこういうところがあるのだ。このせいで、名状しがたい奇妙な気持ちになるのだ。

 川を下っていくと神社の鳥居までやってきた。鳥居の石階段を登った先に、金太郎が神主を務める神社がある。


「……神社って、昔から村にあったかしら?」


 村に来た時に鳥居を見たことがなかったが、流石に記憶がおぼろげだ。


「神社ができたのは疫病が収まった後だな」

「焼畑への信仰があったから、必要なかったのかしら」

「焼畑というより、人から灰、灰から作物と、化生することで豊穣をもたらす、いわばを信じていたんだろう。桜に灰を撒いているから、桜の木への信仰もあったかもしれないが」


「木なら、私の村でも、大きなケヤキにしめ縄を巻いていたわね」

「樹木に対する信仰は一般的だからな。古事記の高木神たかぎのかみは高木を神格化させた存在だし、ヨーロッパには樹木の精霊の祝福を得るために木や枝を持ち帰る『五月の樹』という風習があるそうだ」


「なら、やっぱり私も神様なのかしら?」

「かもしれないな」

「私のことも祀っていいのよ?」

「うちは既に大国主神おおくにぬしのかみを祀っているからな。悪いが遠慮してくれ」

「あら、残念」


 所詮はただの軽口に過ぎなかったが、もし本当に私が神様であれば、疫病を起こせたことも納得できそうだ。疫病なんて大層なことに限らず、もっと色々できるのではなかろうか?

 何となしに、私は金太郎のベルトの桜の枝を見やり、『浮け』と心の中で口にした。


 枝は金太郎のベルトを離れて、宙に浮いた。

 冗談と気まぐれでやってみたことだけに、本当に浮くとは思わず、目を見張った。

 動揺して枝から集中を切らすと、枝は何事もなかったかのように地面にポトリと落ちた。


「うん?」


 枝が落ちた音に金太郎が振り返った。


「おっと、危ない危ない」


 金太郎は何も気がつかず枝をベルトに戻し、再び歩き始めた。

 私は何でもないふりをしながら後に続きつつ、とりあえず、このことは黙っていようと思った。

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