第2話 花咲爺

 額の桜の木は生前から生えていた訳ではない。

 幽霊になってから、伸びた枝と桜の花が視界の隅をちらつくようになって、「どうやら桜が生えているらしい」と気がついたのだが、何分幽霊なもので、水たまりにも姿が映らないものだから、どのように生えているのかは分からなかった。


 ただ、丘に立つ桜の木と、不思議な繋がりが生まれたことには、気がついていた。

 桜の木から離れることができないのだ。


 暇なので村を一回りしてこよう、などと思い桜の木から離れて数十歩、あら不思議、気がつくと木の根元に戻っているのである。

 桜は灰の味が気に入ったのだろうか。

 もし、私が桜から離れることができるとすれば、それは、私が成仏する時だけなのかもしれない。

 そう、思っていた。


「一人暮らしの家だから、気兼ねしなくていいぞ。父さんも母さんも死んで、妹はとっくに嫁いだからな」

「……熊は飼ってないの?」

「なんの話だ?」

「いいの。気にしないで」


 私は金太郎の家にいた。

 金太郎は初めてあった日から、毎日のように私の元を訪れては世間話や昔のことを聞いたり、ドブロクという酒を抱えて桜を肴に呑んだり、新しい祭りの計画を話したりしていた。

 ようやく梅雨に入って、さて流石に雨の日は来ないだろうと高をくくっていたが、どっこいこいつは来た。


「雨降ってるし、ずっとここにいるのも暇だろう。うちに来いよ」

「幽霊相手に何言っているの。第一、私は桜の木から離れられないわよ」

「そんなら、桜の枝を持って行ったらどうだ?」


 そう言うと彼は、強風で折れた小さな桜の枝を拾い上げた。


「本当に木から離れられるのならね」


 どうせ無理だろうと思っての言葉だったが、思いのほかすんなりと、私は木から離れることができた。

 そして、気がつけばこいつの家だ。


「やってみるもんだが、これは生きてる人間の協力がないとできないな」


 金太郎はそう言いながら、花瓶に桜の枝を移して床畳に飾った。

 私は久しぶりに人間が住む家の中に入ることができて、少し気分が高ぶっていた。

 六畳の居間をじっくりと歩きながら、目の肥えた商人のように家具や置物を一つ一つ目で追っていった。


「この木の箱は何?」

「それはラジオだな」

「こっちの銀色の丸いのは?」

「そりゃみかんの缶詰だ」

「この透明なものは?」

「豆ランプだな」

「……?」


 興味を持って色々と尋ねてみたものの、何一つとして分からなかった。ラジオも缶詰もランプもききはじめである。二百年の歳月は、たとえそう感じずとも、確かにあったものと見える。

 私が興味津々に六畳の居間をてくてく歩きながら観察していると、金太郎がどこから持ってきたのか、ぶ厚い書物をどっさりと畳に下ろした。


「そんじゃ、ここ二ヶ月ほどでおちよから聞いたことを、まとめてみるか」

「やる気あるのね」

「お前さんとの約束もあるが、オレはオレで新しい祭りを作りたいからな。祭りをするにはお役人を説得する必要もあるから、そのための根拠も集めてるんだ」


 金太郎は畳に置いた書物の内、二三冊を大机の上に置いた。


「何これ」

「郷土史に他地域の祭りの歴史書、民俗学の論文、オレの個人的な調査をまとめたノートもある。おちよは、読み書きできるのか?」

「寺子屋に通えたから、簡単なのはできるけど……」

「そりゃいい」


 金太郎は一冊の薄い書物を開いた。


「おちよの話を聞く限り、あんたの殺害はやはり何かしらの儀礼だったと思うんだ。これが、今まで聞いた話の中で、儀礼と覚しき部分をまとめたものだ」



○おちよ殺害の儀礼

一、おちよを船に乗せて川を下る。


二、茶碗一杯の飯を食べさせる。


三、予め持たせておいた小判をおちよの手から、村長に差し出させる。


四、おちよを殺害し、遺体を燃やす。


五、燃やした後に残った灰を、桜の木に撒く。



 念のためか、金太郎が紙に書かれた内容を声に出して読んだ。実際、私が寺子屋で学んだ時とは大分異なる文章だったため、読んでもらわなければ分からなかっただろう。

 改めて自分が殺害された過程を振り返ってみても意味不明だと思った。


「郷土史を見ると、昔この村では焼畑農耕が行われていたらしい」

「確か、数年作物を育てたら火を入れて、土地を回復させるやり方でしょ?」

「そうだ。今でこそ衰退気味だが、十年前くらいまでは広く行われていた農耕だな」

「それが、何か関係あるの?」

「『花咲爺』の物語は聞いたことあるだろ?」


 花咲爺。

 小さい頃、祖母が話してくれたことは覚えているが、何分昔のことなので、細部はぼやけている。

 金太郎が『花咲爺』の大筋を書いた紙を机に置いた。



○『花咲爺』の大筋

一、川から流れてきた桃(木の根や重箱の場合もある)を割ると、犬が入っている。


二、犬に茶碗で食べさせると茶碗くらい、丼で食べさせると丼くらい大きくなる。


三、犬は排泄物として黄金を産み出す(地域によっては「ここ掘れワンワン」と叫んで飼い主に大判小判を掘らせる)。


四、殺害された犬から松が生え(樹木以外に果樹である場合もある)、臼に加工して富みを得る。


五、臼が焼かれてその灰を撒いて花を咲かせ、殿様から褒美を得る。



「この『花咲爺』は、元々、焼畑農耕に由来するんじゃないかと考えているんだ」


 金太郎の言葉に、私は首を傾げた。


「『花咲爺』では灰を枯れ木に撒いて花を咲かせることで殿様から褒美を授かる。灰は畑の肥料になるから、褒美とはつまり農作物……、となる。おちよの遺体の灰を撒いたのも同じ理由からに違いない」

「あなたには、私が犬に見えるわけ?」


「犬が女性に置き換わっても不思議ではないさ。遺体から作物を得るという意味なら、『古事記』の大宜都比売神オオゲツヒメノカミがいる。須佐之男命スサノオノミコトに斬り殺された彼の女神の体から、様々な作物が生えてきたという神話だ。インドネシアにも同じような話があると聞くし、作物に主軸を置いているのなら、犬が女性に置き換わってもおかしくはない」


 他にも金太郎は、『花咲爺』との共通点を挙げていった。

 川を船で下るのは川から流れてきた桃や重箱に犬が入っていたから。ご飯を食べさせるのは、養われた犬が異常な成長を遂げる部分に対応する。小判を差し出させたのは犬が爺に富をもたらす特性と一致する。


「『花咲爺』と似ている、というよりも、元々この村にも同じような話があって、それを再現することで、豊作をもたらそうとしたのかもしれん」

「そんな童話のせいで殺されたなんて、勘弁して欲しいけど」


「元にあるのは信仰さ。人から灰、灰から作物と、姿形を変える……によって豊穣をもたらす、焼畑農耕を由来とした信仰……。この村の人たちにとって、童話以上の意味、それこそ神話のような立ち位置だったんだろう。飢饉によって追い詰められていた連中にとっては、神や仏に祈るより、現実的な解決手段だったんだ」

「私を殺した人たちを随分と擁護するじゃない」

「庇っちゃいない。考察しているだけだ」


 金太郎は畳の上に積み重ねた本の一冊を引っ張り出して、パラパラと頁を捲った。


「それに、そんな残酷なことをしたせいか、村人にはばちが当たったらしいな。当時、飢饉と疫病が同時に発生したと記録されている。生き残った村人は二十人ほどだったそうだ」


 私は彼の物言いに思わず顔をしかめた。


「ばち? ばちですって? まるで、神様が天罰を下したみたいな言い方じゃない」

「幽霊がいるなら、神様だっていてもいいだろ。きっとこの村の人間は、牛頭天王ごずてんのうを冷遇して殺された巨旦将来こたんしょうらいのように、疫神えきしんの恨みを買ったのさ」


 金太郎はからからと笑いながら言った。


「神様よりも、もっと明確に恨みを買ったと分かる人間が、目の前にいるじゃない」

「……おちよのことか?」

「アタリ」


 私が頷くと、金太郎は苦笑した。


「それじゃあ、まるでおちよが疫病をもたらしたみたいじゃないか」

「そう言っているのよ」

「なるほど。額の角のような桜の木から考えるに、さしずめ、おちよは幽霊ではなく疫鬼えききといったところか? いや、二百年の間に疫神えきしんに昇進したのかもしれないな」


 冗談だと思ったのか、金太郎は私の桜を指出してからかった。


「……信じないでしょうけど」


 私はそう言って、彼の目の前に膝をついて、目を覗き込んだ。


「本当よ」

「……」


 視線が合った彼は数度瞬きをして、気まずそうに目を逸らした。


「そうか。すまない。また、無神経だった」


 意外とあっさり信じられてしまい、拍子抜けだった。


「……どうしてあんなことになったかなんて、私には、分からないけど……」


 喉に何かが詰まるような感覚があったが、無理矢理に先の言葉をひねり出した。


「死んじゃえばいいんだ、って思ったのよ。よくも、殺してくれたな。絶対に許さない、って」


 村に来てすぐは、まだよかったのだ。


 家族に売られたことへの悲しみはあったが、身売り先のこの村では優しくされ、飯を食べさせてもらい、一時の幸せを味わった。飯を食べている間は、「売られるのなんて珍しい話でもなし、この村でも頑張って生きよう」なんて、暢気なことを考える余裕さえあった。


 気がついた時には暗い小屋に入れられていた。

 事態を把握する間もなく、首にかけられた荒縄がきゅぅと絞まった。

 後ろに人の気配と微かな吐息を感じた。首に食い込んだ荒縄が、肌を擦り、喉を締め付け、視界はじわりじわりと暗闇に侵食された。

 もはや逃れる術はなく、殺されるのだと確信した途端、心が墜落し、そして、死んだ。


 死体は埋葬もされずに火で焼かれ、崩れた骨も灰にまみれて、桜の肥やしにされた。

 私をおいしく頂いた桜はたっぷりの花を咲かせて、恨みは、花びらとなって村中に広まった。

 

 一枚一枚が病魔となって村に散り、食べるものもなかった村の人はあっけなく死んだ。

 桜が完全に散る頃には、村は花びらと死体で埋まり、私は木の下で蹲っていた。


 私が村人を殺したのだという確信と、悲しいような、苦しいような気持ちで息が詰まりそうだった。そんな気持ちとは裏腹に、角のように額に根を下ろした桜の木は、いつまでも花を絶やすことなく、桃色に色づいていた。


「復讐を果たして『ああ、スッキリ。さあ、成仏しよう』、なんて、都合良くいくはずもなく、未だにこうして現世に留まってるの」


 私が復讐譚を聞かせてあげている間、金太郎はずっと苦い顔をしていた。


「そういうことだから、きっと私も、天刑星てんけいせいから罰を受けることになるのよ。それこそ、牛頭天王ごずてんのうのようにね」


 昔、旅の僧侶が、『六道絵りくどうえ』という絵に、天刑星てんけいせいという刑罰を与える鬼神が、牛頭天王をはじめとする疫神たちを食らっている様子が描かれていると話してくれた。私も天にのぼれば、きっと罰を受けるのだ。

 金太郎は開いていた本をぱたりと閉じて、代わりに口を開いた。


「人を殺して罰を受けるのなら、オレだってそうだろうな」


 思いがけない金太郎の言葉に、私は言葉を失った。

 私は彼の人の良さそうな見た目から、勝手に、赤い前掛けをつけてまさかりを担いだ姿を想像していたが、酒呑童子しゅてんどうじを退治するような激烈な一面もあるのだろうか。


「初めて会った時言っただろう。戦争があったって」

「戦争って……、いくさのこと?」

「そうか、江戸時代では戦争なんて呼ばれていなかったか。とはいえ、戦と戦争じゃ、受ける印象が大分違うな」


「とにかく、あなたは、その、戦争に参加してたのね?」

「オレだけじゃない。父さんも母さんも叔父も友人も……、この国に住むすべての人が、否応なしに、だ」


 金太郎はごろんと畳に横になって天井を見上げた。


「オレは十八歳で陸軍に志願して、フィリピンに行った。フィリピンってのは、日本の南西、海を渡ったずっと先にある国でな、オレはジャングルで米軍と戦ってたんだが、近くに迫撃砲がふってきて指が二本吹き飛んだ」


 私はちらりと、彼の指が欠けた左手を見た。


「腕もズタズタになって、手当受けてる間、ずっと『ばちが当たったんだ』って思ってた」

「……人を殺したから?」


「殺したな。ジャングルをさまよってる時に、現地人にばったり出くわしたと思ったら急に撃ってきて、咄嗟に応戦したら殺してしまってな。ゲリラだったんだが、母さんと同じ歳くらいの女性を殺したと思ったら、ふるえてなあ。食べるもんもなくて、判断力を失ってたんだって言い聞かせてた。カエルとかバッタとか食ってたもんな。けどやっぱり……、堪えるもんだ」


 金太郎は起き上がると大きな右手で、左手の甲を撫でた。


「父さんはニューギニアで死んで、骨も帰ってきてない。母さんは結核で寝込んで、帰ってきたオレの顔見たら安心したようにぽっくり逝っちまった。ホント、戦争なんてするもんじゃないわ。人殺すのも、雑草とかヘビとか食べるのも、友達が隣で血ィダラダラ流して死んでいくのも、もうごめんだ」


 金太郎と出会ってしばらく経つが、彼と話していると、豊満な笑顔の中に痛ましさが明滅する瞬間がある。それが、凄惨と貧困を味わったが故のものだったのかと悟り、親近感を覚えずにはいられない。

 戦争による血と飢餓の悲惨を知っているからこそ、彼は私に対して親身になってくれているのか。


 私はここにきて初めて、彼を身近に感じていた。


「だから、まあ、なんだ」


 金太郎は言葉に詰まったように頭を掻いた。


「オレはもうあんな思いはゴメンだから、この村をよくしようと思ってる。腹減っても食うに困らず、たまの楽しみに祭りもあって、楽しく暮らせる村にな。おちよも、自分がどうしたいか考えてみたらどうだ」

「幽霊に未来を見ろだなんて、随分と残酷なこと言うじゃない」

「だったら、来世で何したいか考えればいいだろ。そうすれば、さっさと成仏したくなるかもしれんぞ」


「何をしたいかって、たとえば?」

「そうだな。たとえば……、オレみたいな、いい男と結婚したい、とかだな」


 金太郎は茶化すように言ったが、私としては意表を突かれる答えだった。


「……そういえば、結婚しないまま死んじゃったわね」


 結婚。そうだ、すっかり忘れていたが、世の中にはそういうものがあった。

 私の時代は、親が相手を決めて、女性は従うのみだったが、金太郎の物言いでは、まるで選択権があるようだった。


 結婚したい相手を自分で決めて、想い人と結ばれる。

 まるで、夢物語。

 しかし、もし、それが可能だとしたら、私は…………。


「どうした? 物思いに耽って」


 中腰になった金太郎が、私の顔を覗き込んでいた。

 死後、初めて出会った異性の顔が、ほんの鼻ひとつ分の距離にあった。

 突然のことに、息がつまった。


「何かしたいことでも浮かんだか?」

「……なんでもない」


 生前どころか、今の今まで、考えもしなかった可能性に、私は頭を悩ませた。

 成仏が、遠のきそうだった。

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