そして私は化生する

中今透

そして私は化生する

第1話 鉞担いだ金太郎

 村を見下ろす小高い丘にひっそりと立つ桜の木。その根元に、私は膝を抱えて座り込んでいた。

 桜は地面からも生えているが、私の額からも生えている。小さな木が遠慮がちに二本、額を間借りしているのだ。


 丘にも桜、額にも桜。淡い桃色の花弁は綺麗だが、流石に飽き飽きする。

 しかし、目の前に寝そべる熊にとってはそうではないようだった。


「それは角と見るべきなのかね。民俗学者の折口信夫は、『おに』に『おぬ』の字を充てて、『見えない存在』……『かみ』と同義としたが、だとしたら、あんたは桜の神様だな」


 目の前には、青々とした野っ原にべったりと寝そべった熊がいた。

 いや、熊ではない。人間、若い男だ。


 草を刈られた畦畔けいはんのような頭に、真っ黒な太い眉、小指と薬指が欠けた左手。冗談のような大きな体つきをしているが、人懐っこい表情が威圧感を和らげている。

 誰とでも、それこそ熊とでも仲良くなれそうな、赤い前掛けが似合う金太郎。

 それが、彼の第一印象だった。


「鬼でも、神様でもないわ。ただの幽霊よ」

「幽霊か。どのくらい前の人だい?」

「いつ死んだのか、分からなくなるくらいには昔ね」

「死んだ年が分からないのか? 今は西暦一九五一年。元号は昭和……、さかのぼると、大正、明治、慶応、元治と続くが、どれか聞き覚えは?」


 金太郎の問いかけに、私は黙って首を横に振った。

 私は死んでからというもの、時間と不仲になったようで、何年前に死んだのか分からなくなっていた。五十年前だったような気もするし、百年前だったような気もする。


 生前、祖母が去年の出来事――私が蹴躓いて肥だめに突っ込んだことや、漏らした弟の尻を叩いて泣かせたこととか――を、さも昨日のことのように話すのが不思議だったが、どうやら祖母の感覚に追いついていたようだ。


「日本は少し前に戦争に負けてなあ、食うや食わずという毎日だったが、最近になってようやく持ち直してきたんだ。それで、村で何か祭りでも開いて、客を呼び込もうという話が出てきてるんだ。もう青森では『復興港まつり』として企業を巻き込んだ大きな祭りになってきてるし、東京では商店街が盛んに七夕まつりを開催している。丁度いいことに、オレは神主だから、神社の祭祀と絡めた催しもんができないもんかと、村の歴史を調べている最中で……」

「あきれた。よくまあ、幽霊相手にそこまで熱心に語れるわね」


 幽霊である私が見えるので、神職だというのには驚かないが、現代から切り離されている幽霊相手に、現代の話題を振ってこられても困る。


「せっかく幽霊に会ったんだ、昔村で行われていた祭りでも知らんかと思ってな。この村は疫病で大勢が死んだせいで、それ以前のことが分からなくなってるようだから」

「ふん! 十三歳でこの村に売られて、すぐ殺された私に、村の何を語れと言うの?」

「あぁ、そりゃ、悪かった。ちょいと無神経だったな」


 金太郎はむくりと起き上がってあぐらをかいた。


「いいわよ、別に。……疫病が流行ったのはいつ頃?」

「享保十七年だから、二百年くらい前だが……、なんだ、藪から棒に」

「私が殺されたのも、疫病が流行った辺りなの。あの頃は食べるものがなくて、私の家はわりと裕福な農家だったんだけど、それでも口減らしのために、この村に売られたの」

「丁度、『享保の大飢饉』が起こった頃だな。しかし、それなら、この村だってあんたを養う余裕はなかっただろ」

「だから、殺されたのよ。殺されて、焼かれて、灰を撒かれた。この桜の木にね」


 はらはらと、花びらが落ち始めている桜の木を見上げた。


「まるで『花咲爺』だ。それと飢饉がどう関係するんだ?」

「さあ? 私に分かるはずないじゃない」

「分からないって……、あんた、理由すら知らされずに殺されたのか?」

「死ぬことに理由なんて必要ないわ」


 私の言葉に、金太郎は泣きそうな、弱々しい表情を浮かべた。

 大の男がそのような顔になるとは思わず、私は強い動揺を覚えた。

 しかし、一瞬後には、金太郎の表情は逞しく不敵なものに戻っていた。


「よし。なら、オレが代わりに調べておこう」

「何を?」

「あんたが殺されなくてはならなかった理由と、あんたを成仏させる方法を」


 金太郎は、重そうな体を太い足で支えて立ち上がると、尻についた草と土を払った。


「そんじゃ、今日のところはお暇しよう」


 彼は緑いっぱいの地面を踏みしめて歩き出したが、数歩で立ち止まってこちらを振り返った。


「そういえば、まだ名乗ってなかったな。オレは、三好金朗みよしかねろうだ」


 彼はそう名乗ったが、私の中では既に金太郎だったし、名前にも金が含まれているので、やっぱり金太郎だった。


「あんたは?」


 促されてから、自分の名前を思い出すのに時間を要した。何しろ、幽霊になってから名前を意識したことがないのだ。


「……ちよ。ただの、ちよ」

「よろしくな、おちよ」


 金太郎は肉球がついていそうな厚い手の平を差し出してきた。

 私は白々しい彼の行為を嘲るように笑って、差し出された手を握ろうとした。

 手はすり抜けて、握手は空を切った。

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